#6 時をかける俺以外

 十三年でS市は変化する。街並みが洗練化し、人口も増える。とはいえ街を囲む山々は変わらずに聳えている。僕の知っている限り、いつまでも青い自然を広げている。

 僕にとっては見慣れすぎた光景だった。

 時を隔てればかならず変わり、あるべき形へと移ろってしまう。時間の流れに逆らえないそれらの物体に、いつしか僕は興味が持てなくなっていた。


 もっとも、重要なのは黒いバラだけだ。


「相変わらずだな」

 ××三〇年八月十日、S市近郊の山中にて、僕は黒いバラを見つめていた。

数分前に地震は予定通り起きていた。僕は開けた場所に待機していて、機をみはからって地滑りした台地を慎重に降りていった。黒いバラは崩れた地面の中央に鎮座していた。

 表面の銀河は相変わらず美しかった。黒い小さな花弁を何度か目にしていたが、本体の輝きとは雲泥の差があった。瞬いていて、ときに目がいたく感じるほどだ。この世のものとは思えないそれに、僕は親近感を覚えている。僕が時を超えていることを知っているのは今やその黒いバラだけだ。

 僕はバラに近づいた。表面に僕の顔がぼんやりと映る。三十を間近にして、目尻には皺が見えた。少年時代とやはり違う。僕はそれなりに成長していた。何度も繰り返し、巻き戻した成長ではあったけれども。

 僕は目を細めてバラを見ていた。

 僕は陸田を守り、長らえさせた。

 朝来も無罪のままでいる。

 僕は陸田に生きろと伝えた。

 この世界ではない、別の時間軸での陸田にだ。

 その結果、この世界の陸田は僕の言葉をメモにとり、自殺を思いとどまってくれた。

 同じ事をしなければ、陸田は死ぬ。

 だから僕にはタイムリープをする必要がある。前のようにはいかなくとも、陸田に対して生きろという命令を出す。この際、手法はなんでもいいだろう。メモを送りつけるのでも、寝ているときにささやきかけるのでもいい。とにかく陸田を見放さないことが肝要だ。

 僕がタイムリープをし、陸田が生き延びる。朝来の衝動は陸田によって抑えられる。ほんの一年ほど付き合い、数年後の同窓会で落ち合い、また近づく。すべては運命だ。僕はそれを邪魔してはならない。僕という存在は、彼らの関係に分け入ることはできない。

「さよならだ」

 黒いバラの花弁を指先で摘まんだ。

 冷たい感触が爪の先から浸食してくる。指の先が紫色に光って見えた。血など通っていないみたいだ。

 もしもタイムリープが上手くいったとしても、体力がもつかはわからない。二、三回が限度で、それ以降の世界では僕は死ぬのかもしれない。

 僕が今から行おうとしていることはエゴでしかない。僕は僕の生きていた世界でだけでも、朝来や陸田たちに無事でいてほしいのだ。他の時間軸においては見捨てるが、致し方ない。それが人間の限界だろう。

 意識が白んでくる。

 次の世界でも必ずメモをとることを忘れないように。心のうちにしかと刻み、意を決して目を閉じた。


「おい」

 人の声だ。

 こんなところに人は来なかったはずなのに。


考えている間に足音が迫ってきて、振り向いた瞬間、身体を引かれた。

僕は胸ぐらを掴まれていた。

「やっと見つけた」

相手の双眸が僕を見据える。目は見開かれ、口には大きな笑みが浮かんでいる。歯をむき出しにして、僕に覆い被さらんばかりだった。

「き、君は――」

 動揺しつつも、なんとか「陸田」という言葉を押し込めた。

 しかしそれはどこからどう見ても陸田だった。先日思いつきで生花店を訪ねたときにも見た、この世界のこの時間における陸田だ。

「誰だ、君は」

 赤の他人だ。そう思い込もうとした。

 手を緩めてくれない陸田に向って、息苦しいままで顔を顰めた。

「ずいぶんなことするじゃないか。見ず知らずの人につかみかかるなんて。こんな山奥で何をしにきたんだか知らないが、喧嘩したいならよそでしろ。いずれにしろ僕は無関係だ。謝る気もないんだったら、帰って」

「ごちゃごちゃ言うなよ、星野」

 声が途切れた。夜風の流れる音がよく聞こえた。

 僕は目を見開いていた。自覚できるくらいなのに、閉じることができなかった。口も開いていたと思うが動かなかった。目の前にいる男の正体が一気にわからなくなった。

「図星だな」

 ここにきて、陸田の顔がなお一層破顔した。

 僕も頷いた。もはや誤魔化すことはかなわなかった。それ以前に、陸田のことを知りたくなった。陸田の腕は僕の首から離れた。僕は前のめりに陸田に詰寄った。

「なぜ君が僕のことを覚えているんだ」

 逃げることを諦めたら、視界が開けた。たしかに夜ではあるけれど、空には星も月も浮かんでいた。決して暗くはなかった。

「勘、といっても納得しないだろうな」

うーん、と呻きながら陸田は頭をかいて天を仰ぎ見た。

「ちょうど高校に入ったばかりのころかな。死にたくなった時期があったんだ。仲の良かった友達に死なれて、自暴自棄になっていた。人生どうでもいいと思い始めていた」

 陸田はここで言葉を切った。空を観ていた顔の口元がふと緩んだ。

「だけど、いつの間にか、俺の手元にはメモがあった。

『死ぬな』

 見ていると胸がうずいたんだ。そのときは意味が分からなかった。でもとりあえず信じて、死ぬのを躊躇った」

昔のことを語る陸田は、大人びていた。死に急いでいたころの翳りはなくなり、穏やかに話している。

僕は陸田の話を静かに聞いていた。動揺もすでに落ち着いていた。陸田の行く末を見届けたかった。

「それからしばらくして、たまたま不思議なことが起きた。生花店でバイトしていたときだな。誰かに出会った気がしたんだよ。メモを持って、覚えていることを書こうとして唸っていたけど、結局そのときは何も書けなかった。でも既視感があったんだ。こんなふうにメモを持って思い出を探ったことがかつてあった気がしてさ」

陸田が前を向いた。僕に向って、切に訴えているようだった。

「俺は違和感の正体を知りたかった。友達と協力して自分の知り合いを当たったんだ。高校時代や中学時代の同級生、先生方、父兄の方々。 最後の最後に、俺の友達が思い出したんだ。俺が高校生だった頃、近所に転校してきたやつがいたって。学校の距離からして、晴嵐高校に来ると噂になっていたけれど、実際は何故か別の学校に通っていたって」

「それだけか」

思わず、僕は口を挟んだ。

「たったそれだけの情報で、その転校生の正体を突き詰めて、僕に辿り着いたというのか」

「ああ、相当時間がかかっちまったけどな」

 それでも普通、できはしない。

「すごいな」

 小さい声で言い、それからすぐに僕は首を振った。

「だが、悪いがそれはすべて妄想だ。証拠もない。第一何度もいうが、僕は君と会ったことがないよ」

 これを言ってしまえば全て終わる。そのつもりで、強い口調で言い放った。

梢が風に大きく揺れた。

「そうだな。関わりないのかもしれない。でも、想像はできたんだ。俺の知らない奴が、知らないところで俺を助けてくれていたんじゃないかってな」

「随分と自分勝手な想像だな」

「自分の違和感を信じたんでね」

鼻で笑った陸田は、真顔になり、僕の前に仁王立ちをした。

「というか、お前のその反応がなによりの証拠だろ」

 陸田の視線が僕を射貫いた。

「想像、か」

 タイムリープができなくとも、タイムリープをしている僕のことを想像することはできる。

 まるで言葉遊びのようだ。だけどその結果、陸田は確かにここに居る。胸ぐらを掴んでいた腕は決して偽物じゃない。

 擦れた首をそっと指で撫でた。痛みは確かにそこにあった。

「わかったよ。言うよ。君と僕は関わりがあった。実際、ある。しかし、どうして僕を止める。君には関係のない話だろう。僕が何をするかなど」

「この期に及んで、まだそんなことを言うのか」

陸田が一歩僕のほうへと足を踏み出した。

「何も言わずに死んだり消えたりするっていうのは、これ以上なく相手を傷つけることなんだよ」

 君がそれを言うのか、陸田。

奇妙な想いが胸にわいてくるのを感じながら、僕は噛みしめるように言った。

「君は何も知らないからそう言えるんだ。僕がいると君らは不幸になる。どの世界の君と出会っても結果は同じだったんだ。だから僕は君らと会わない道を選ぶことにした。放っておいてくれ。君らは君らで好きに生きればいいだろう」

 陸田が何を知っているわけでもないだろう。僕からはこれ以上なにを開示することもない。そう思って、僕は目をそらした。

 陸田が低い声で「めんどくせえ」と叫んだ。

「ややこしい話はどうだっていいんだよ。何が、不幸になる、だよ。どうしてそんなことが言える。言えたとして、それが何になる。不幸になろうがなんだろうが、結果を含めてひとつの立派な人生だろうが」

僕の目の前で、陸田は両腕を胸の前に構えた。

「俺が何に怒っているか教えてやるよ。お前のその態度だ。今の俺と知り合いになろうともしていないのに、俺のことを全部わかっているかのようなその物言いだ。お前に俺の何がわかる。お前の知っている俺は今の俺と全く同じなのか? お前は俺を知り尽くしているのか? そんなわけない。お前の見てきた俺が俺の全てだと決めつけるなよ!」

殴りかかってきたその手を僕ははねのけた。

拳と掌とがぶつかって、バシッと重い音を鳴らす。

「殴って解決だなんて野蛮なやつだ」

「悪かったな。賢くなくて」

 陸田が首を回した。ポキポキと音が鳴る。

「こうでもしないとお前を止めることができないからな」

「さっきから止める止めると言っているが、実際僕が何をしようとしていたのか君は知らないだろう」

「ああ、知らない。でもなんとなくだけど、死ぬとか、消えるとか、そんな感じのことじゃんじゃないか」

 勘で言うにしてもできすぎている。

 思わず口から笑い声が漏れた。

「それで、殴れば君は気が済むというのか」

「わからねえ。でも、何もしないよりはいい」

 陸田は再び拳を顔の前に持ってきた。いつの間にやらステップを踏んでいる。

「悪いが、僕もただで殴られるつもりはない」

 運動神経などないが、見様見真似で僕も腕を構えた。

 対する陸田も、陸上部だった記憶が薄れたのか、ステップもどこかぎこちない。

 僕は陸田のことをよく知らない。少なくとも全部知っているわけではない。それもそのはず。僕だってつねに陸田だけを監視していたわけにはいかない。

「来い」

 僕がいうと、陸田が素直にやってきた。

 飛んでくる拳をかいくぐり、僕もまた拳を伸ばした。碌に辺りもしない。陸田はすぐに距離をとった。ステップ、その途中石につまずいてよろめいた。そのすきに僕は殴りにかかったが、すぐに陸田は体勢を戻して僕の手を払ってしまった。

 再びの睨み合い。それから、お互いが雄叫びを上げて駆けだした。

 僕の拳は陸田の顔面を捉え、陸田のそれは僕の腹を抉った。

 まともに殴り合えたのはそれっきりだった。

 僕らは喧嘩にも慣れているはずもなく、すぐに息が切れた。泥仕合で取っ組み合って、あっという間に地に伏し、呼吸をしては噎せ返った。

 星空は相変わらず広がっていた。寝転がるとなおさら視界が開ける。聞こえてくる蝉たちもまだまだ眠る気配がない。

「痛……」

 陸田が先に、緩慢な動きながらも上体を起こした。さすがは元陸上部といったところか。僕はどうにも腕が動かなかったのでそのまま寝ていた。

「何やってるんだろうな、僕ら」

「言うなよ。お前、それはやめろよ」

 陸田が疲労混じりの掠れ声で制してきた。

「お前が面倒なことをしたせいだ」

 陸田の呆れ声に、返す言葉が浮かばない。

「目的は何だったんだ」

「朝来を救おうとした」

「朝来? どうしてあいつが?」

「話せば長いぞ」

「いいよ。聴く」

 躊躇ったが、陸田は頑として譲らなかった。仕方なく僕は口を開いた。

「月ヶ瀬隼人を覚えているか」

 どうしても、説明するには彼の名前が必要になった。僕の知らない、朝来と陸田の友人の名前だ。隼人の死に責任を感じた陸田は償うことを望み、その自死未遂を目の当たりにした朝来は精神を病み、月ヶ瀬の死を受けて凶行に及ぶ。たとえそれを防いでも、今度は陸田から離れられなくなる。僕にはそれがどうしても耐えられなかった。

「それで俺を生かそうとした、と」

 陸田が結論を先取りした。僕は黙っていた。否定できない僕の態度を陸田は肯定と受け取ったらしかった。

「あんまり知りたくなかったかもな」

 陸田は立ち上がり、空を見上げた。寝ている僕から彼の顔は見えなかった。

「やっぱりあれはお前だったんだな。俺に向って、生きろと伝えてくれたのは」

「そうだろうな」

「朝来を生かすため、だったんだな」

「ああ」

 口に出した途端、息の詰まる思いがした。陸田には失礼な答えだろう。僕は腕を意識し、何かあったときになるべく身体を防ごうとした。

「……そうか」

 陸田は放り投げるように言った。

「怒らないのか」

「どうだろ。怒るべき気もする。でも、何もかも俺のためだった、なんて考えるのもおかしいさ。重いし。そうじゃなかった、ってわかってむしろホッとしてもいる」

 尻すぼみになりながら、陸田は頭をかいた。

「どっちの考えも俺のものだ。いいとも悪いとも思っている。だからさ、お前もあんまり気にするなよ」

 気にするな、か。

 タイムリープをし続けている間、陸田や朝来に自分のことを知られるなんて考えなかった。僕は僕で、裏方に回って彼らを支えられればいいと思っていた。理由はあった。だが今となっては、それはどうにも小さなことのように感じられた。

「力が抜けた」

 ぼやきながら僕は上体を起こした。視界に黒いバラが煌々と鎮座していた。こんなときでも輝きは一切色褪せていない。

「なあ、あれさ。いったい何なんだ」

 僕の視線の先を見つめて、陸田が指を差した。

「名前はわからない。あれに触って念ずればタイムリープが起こる」

「何それ、そんなお手軽にできるものなのか?」

「実際全部できていたよ。さらに、一度手にすると、念ずればどこでも花弁を出すことができるようになる」

「つまりどこでもタイムリープできるってこと? 簡単すぎないか?」

「知らないよ。できるものはできるんだ。人知を超えているんだよ。地面の中から出てきたし、古代の文明の名残か、あるいは異星人の落とし物か、神の思し召しか。解釈は、それこそ好きなようにすればいい」

「ふうん」

 陸田は生返事をしてそっぽを向いた。横顔から、まだ黒いバラに目を向けていることが判った。

「あれ、素材は何だった」

「石かな」

 手に持った冷たい感触を思い浮かべながら、僕は答えた。

「じゃあ、同じ石ならいけるかな」

 そう言うと、陸田はおもむろにしゃがみ、また立ち上がった。その手には片手にギリギリおさまる大きさの石があった。

「おい、何をするつもりだ」

 思わず声が上ずった。嫌な予感が脳裏を過ぎった。

「いいことを思いついたんだよ」

 陸田が僕を振り向いた。口は笑っている。疲労が窺えるのに、目が煌めいていた。

「あのバラ、壊したら、お前はもうタイムリープできない。だよな」

 言われて僕は思案を巡らせた。

 バラがもし見つからなかったら。

 僕が時を遡らず、陸田や朝来を救おうとしなかったら。

「それは無理だ。僕や君がここに来た理由がなくなってしまう」

 僕は首を横に振った。

「僕がタイムリープをしないならば、僕はここに来ない。ゆえに、君が僕を追いかけてここにやってくるという出来事が起らなくなる。それはつまり、あの石を壊す可能性もなくなるということだ」

 考え得る可能性を勘案しながら、僕は陸田に説明した。アイデアを潰す心惜しさが残ったが、さりとて嘘をついていいものでもない。

「君が今、時のバラを壊してしまうことにより、他でもないあの時のバラを壊す可能性がなくなってしまう。タイムパラドックスだよ。それが発生したとき、何が起こるかはわかっていない。まだ誰も観測できていないんだ。矛盾を修正するために、何もかも、無くなってしまうという話もある」

 陸田は「じゃあさ」と背筋を伸ばした。

「もしもお前がここに来る必要さえなかったら、どうなる」

 最初から僕がここに来ない場合。

「どういう意味だ」

 判じかねている僕の前で、陸田が僕を振り返った。

「最初からタイムリープをする必要がないとしたら、矛盾も起こりえないんじゃないか」

「しかし、僕がここに来たのは、朝来を助けるためだ。それが起きないということは」

「俺が死なない、死のうとしないってことだ」

 陸田が自分の胸を親指で差した。

「そんなことが起るのはただ一つ、“月ヶ瀬が事故合わない場合”だけだ。あのバラを壊すことで起こる矛盾を修正するというなら、その“場合”が実現するほかない」

「馬鹿を言うな」

 僕は唾が飛びそうなほどの勢いで言った。

「どうしてそう言える」

「当たり前だろ。死んだ人間が生き返るなんて、まるで神の所業じゃないか! たった一人の、何の能力も持たないお前のために、お前以外のこの世の全てが時をかけるだと? お前、本気で言っているのか」

「大袈裟に言いすぎなんだよ。少なくとも、俺にはその結果が想像はできる。なら、不可能じゃない」

 陸田は笑っていた。

 何で笑えるのか僕にはわからなかった。

 大元の月ヶ瀬を救う場合を僕も考えたことがある。

 だが、それは、僕からは実行できない。タイムリープの始まる理由がなくなり、タイムパラドックスが起きてしまうからだ。

 ゆえに、誰も傷つかない未来など、僕は今まで一度も見たことがなかった。


 しかしそれは果たして、確定した未来だったろうか。


 何分か沈黙したのち、熱くなる頭を押さえながら、僕は呻いた。

僕は彼らの死を確実なものだとは証明できない。

「僕は君らが成功した場合を見たことがない」

 僕はとにかく一言注意をしたかった。ことの大きさに思考が麻痺しかけていた。

「そもそも大団円の場合があるのか、それすらわからないんだ」

「ある」

 陸田は思いの外強気に言った。

「適当に言うなよ。タイムパラドックスだぞ、何が起こるかわからないんだぞ。少しは慎重に」

「なったって、ならなくたって、変わらねえよ」

 陸田は黒いバラに近寄った。足取りは確かで、揺るぎがない。

 紫の輝きが慌ただしく変わっていった。

「これは賭けだ」

 やや距離の離れた僕に聞こえるように、声を大きくして陸田が言った。

「何かがあったら、全部消えたっていうなら、申し訳ないがそれまでだ。みんなごめんな。でも何も起きなかったら、そのときは俺の勝ちだ。神様ありがとうってな」

 陸田は石を両手で持ちあげた。

「星野、もしも無事だったら、今度も仲良くしてくれよな」

 それが最後の言葉だった。

「馬鹿、忘れるに決まってるだろ」

 僕が微笑みを浮かべた瞬間、陸田の腕は振り下ろされた。

 灰色の石が黒いバラの表面に衝突する。ガラスが割れるような、甲高い音が響いた。

 黒いバラの輝く宇宙に亀裂が走った。

 紫色の光が漏れて、陸田を包む。

 何も見えなかった。何もかげず、聞こえず、ただ地面があるようでもあり、宙に浮いているようでもある。

 何が起きているのか。人智を超えている。いずれにしても普通ではない。

「陸田……」

 上手くやってくれ。

 呟けたかどうか、僕にはわからなかった。

 僕の視界も思考も紫色に包まれた。

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