#7 同窓会

 シャンデリアを見つめていたら視界が揺れた。

 ただでさえ酔いが回っているのに、さらに頭痛が酷くなる。光でさえも刺激になった。あたりの声も耳に障る。手に持っていた取り皿をひとまずテーブルの上に置いて、椅子に深く腰掛けて息を吸った。

 俺は今、同窓会の会場にいた。集まっているのは高校時代の級友達だ。記憶からあまり変わらない者もいれば、すっかり様変わりしてしまった者もいた。

 卒業からすでに十三年の月日が流れていた。かつての知り合いも、ほとんど他人のようなものだ。会が始まってしばらくは声かけをしていたが、もう体力が追いつかなかった。

 一ヶ月前、同窓会の連絡が地元にいる母親から届いた。せっかくの機会だからと言いくるめられて、大学生になると同時に離れてしまった地元、S市へと帰ってきた。

 S市の街並みは、記憶の中にあるそれと大きくは変わっていなかったが、唯一駅前だけは大規模更新が行われつつあった。その営みの一角として、潰れたデパートの跡地に広がっていた市営の駐車場がいつの間にか大きなホテルへと変わった。そのホテルの一階部分を貸し切って、今日の同窓会は執り行われていた。

 俺が参加を決めたのはただの気まぐれだった。高校時代に特に良い思い出あったわけでもないが、特別に断る理由も無かった。結局話し疲れて一人椅子に座っているが、それも想像したとおりだ。慣れない会話に渇いた喉は酒で潤し続けた。酒の周りが速いのも道理だった。

 頭の中がまだ揺れていた。不快感が胸に募る。それでも、同窓会の居心地は不思議と良かった。僅かな間だが同じ学校の中で関わり合った人々の大人になった姿を見るというのは、たとえどんなに希薄な関係の上だとしても、思いの外楽しめるものだった。

 ぼんやりと深呼吸をしていたら、そのうちひときわ賑やかな声が耳に飛び込んできた。いかにも即席なステージの上で、幹事が大仰に諸手を挙げていた。顔はすでに真っ赤になっている。

「やあやあ皆様、ご盛況何よりです。こうしてみんなで落ち合うのは、成人式のときいらいですかね。あれから一〇年? もっと? まあ、どうでもいいですか。大人になると自分の歳に無頓着になるなんて昔からよく言われていますが、あれって本当なんですね。今日、実感しましたよ。心はいつでも高校生ですけどね! 仕事なんてしたくねえ! 何はともあれ、元三年三組一同、二十七名! 一人も欠けることなくこの同窓会に集まれたことをこの場で祝します。皆さんどうもありがとー!」

 幹事がほとんど怒鳴るように言い放つとその場でばったり倒れ込んだ。ろれつも怪しかったし、相当酔いが回っていたのだろう。駆けつける級友達もいる中で、「早速一人欠けたぞ!」なんて誰かが叫んでいた。

「お疲れさん」

 突然、頭の上にコップが置かれた。人が近づいてきていたことに俺はようやく気がついた。

 コップを手に持って振り向けば、朝来灯香が俺を見下ろしていた。

「いたのか」

「欠席者無しって幹事が言ってたじゃない」

 まったく、とぼやきながら、朝来は隣の椅子に座った。

 朝来は背丈も座高も高校生の頃からほとんど変わっていなかった。それなのになぜか全体的に大人びて見えた。

「辛いならじっとしないで、夜風に当たった方がいいよ」

「でも、会はまだ続いてるし」

「あの様子じゃまだまだ終わらない」

 朝来の指がステージを指した。振り向くまでもない。騒ぎ声と笑い声は未だに絶えていなかった。

 朝来の小さな指が俺の手首に絡まった。

「行こうよ。久しぶりに話したいし」

 高校を卒業して以来、朝来とは滅多に会っていなかった。大学に向けての勉強や、将来に向けての活動に勤しんでいるうちに、かつての幼馴染みといえどもその接点はだんだん失われていった。

 かつて、朝来は賑やかな女の子だった。比べて、今日の朝来は静かだ。それは大人びて見えた理由の一端だったのかもしれない。

 俺は立ち上がり、朝来の後ろについていった。


 ホテルの自動ドアを潜った途端、冷たい風が吹きつけてきた。もう三月も後半だったが、冬はなかなか離れてくれていなかった。

 俺と朝来は話しながら、ホテルの敷地内を歩いた。歩幅は広すぎず、狭すぎず。ちいさな庭園や、刈り込まれた低木、石像などを二人で眺めた。地方都市のホテルにしては意匠に凝っていて、目に留まるものは案外多かった。それでも、やがて見るものもなくなって、並んでベンチに腰掛けた。

「どうよ、久しぶりの田舎は」

「空気が綺麗だ」

「いきなりそこ? やっぱり違う?」

「全然」

 高校を卒業後、俺は都内の大学に進んだ。機械工学を専攻し、就職も都内を中心に回った。国内のどこに行こうとも、たとえ海外でも、働ければそれでいいと思って貪欲に選んだ。反対に朝来は高校を卒業したあともずっと地元に残っていた。実家の生花店を継いだところまでは俺も耳にしていた。

 社会人になってからは朝来と連絡をほとんど取り合っていなかった。学生も終わり、お互いの生活リズムは大きく変わった。趣味に精を出す機会も減った。異なる生活を営んでいる二人が共有できるような話題もめっきり少なくなってしまっていた。

 自分の住む世界が変わっていくにつれて、かつての友達と疎遠になる。当たり前だと思っていた関係も、時間が勝手に押しやってしまう。

 せっかく久しぶりに二人並んでいるというのに、俺たちの会話は途切れがちで、じつにぎこちないものとなった。

「小学生の頃から登臣くんは対人関係悪かったよね」

「人と仲良くなんてやってられねえからな」

「田舎でそれは致命的」

「そりゃあな。だからあんまり良い思い出がないんだよ」

 共通している過去のうち、思い出せることを少しずつ二人で掘り起こしていった。

 小学校のときのクラス、行事、日々の生活。中学生としての日々。俺がいつも何かにふてくされていて、朝来が気を遣ってくれて、そして、俺たちと一緒に遊んでくれた友がいたこと。

 避けることはできなかった。

 俺たちは十三年ぶりに月ヶ瀬隼人の名前を口にした。

「隼人の走りを俺は今でも憶えているんだ」

 思い出の中の隼人の顔は随分とぼやけてしまっている。だが彼の走りの見事さ、足の鋭さ、前進する力強さは鮮明に覚えていた。記憶がいくらか誇張しているかもしれないが、隼人の走りは風を巻き起こしていると本気で感じていた。

 記憶なんて、曖昧なものだ。

 口元は自然と綻んだ。

「隼人くんのお墓参り、する?」と、朝来は俺を覗き込んだ。

「起きられたら、朝のうちに済ませるよ」

「寝ちゃったら?」

「隼人には悪いけど、昼過ぎには帰らなきゃならない」

「じゃ、起こす。六時に」

 朝来は強い口調で宣言した。

「早くない?」

「まあね、だから、今日は早く寝てよ。朝起きなかったら乗り込んで叩き起こすからね」

 朝来は愉快そうに身を捩り、俺の背中を強く叩いた。むせ込む俺を見て「身体が弱くなったんじゃない?」などと言ってくる。図星だから文句も言いにくい。

 ひとしきり笑うと、朝来は少し身をひいた。疲れが少しだけ解れているようだった。

「こんなふうに登臣くんと、隼人くんの話をする日が来るなんて思いも寄らなかったよ、私は」

 朝来はほっと一息つき、それからやにわに腕を空へと伸ばした。薄明かりにぼやける星の空へ。

 幼げな仕草とは裏腹に、腕を降ろした朝来の横顔は真面目な顔つきだった。

「隼人くんが入院してからしばらくは、登臣くんのことが怖かった」

 俺の名前が出てくるとは思っていなかった。思わず「そうなのか」と問いかけると、朝来は小さく頷いた。

「いつも目つきが鋭くて、暗くて。人を殺すか、さもなきゃ自殺でもしそうだった」

 胸が疼いた。図星だったからだ。

「・・・・・・考えないわけじゃなかったさ」

 俺は少し考えて、小さな声でそう打ち明けた。その方がいいと思ったからだ。

 朝来がわずかに息を呑むのがわかり、慌てて首を横に振った。

「でも、死ぬわけにはいかないって思ってたんだ」

「そうなの? どうして」

「それは・・・・・・直感というか、なんというか」

「曖昧なの」

 朝来は口を尖らせた。冷ややかな視線を浴びて、俺は何も言えなくなった。

 代わりに朝来が、ほっと息をついた。

「死ななくて良かった」

 朝来はわずかに顔を俯かせた。

「隼人くんがいなくなって、登臣くんまでいなくなったら、きっと私どうにかなっちゃっていたよ。ひょっとしたら私も後を追っていたかもしれない。驚くかもしれないけれど、追い詰められていたんだよ、私も」

 細く小さくなりながらも、朝来はゆっくりと打ち明けた。初めて聞くことだった。内容も、そんな話をする朝来の態度も、俺は初めて見て、聞いた気がする。

「全く気づかなかった」

「酷い」

 朝来の頭が俺の肩に寄りかかった。髪の束が俺の胸もとで垂れた。また心臓が大きく鳴った。鼓動が鳴り響けば響くほど時は速く流れる。これはどこかの科学者の言葉だったか。

「私たちが付き合っていたのって、どれくらいの間だったっけ」

 今日の朝来は、ふっと別の話題を振ってくる。だが、ついていくのにそれほど苦労はしなかった。

「・・・・・・一年弱」

 高校二年の頭から、三年生になる直前まで。

「そっか。そんなもんだったんだ」

 最初に告白したのが俺だったのか、朝来だったのか、はっきりとは覚えていない。

「大したことはしてないよな」

「私も、された覚えはない」

 隼人が入院してから、携帯電話のメールで朝来とやりとりをすることが多くなった。電子の画面といえど、隼人について直接には書かなかった。わざわざ口に出さなくても、お互い同じ喪失感を埋め合っていることは明白だった。

 携帯の画面越しに、どうでもいいことを夜遅くまで語り合った。そのうち通学時には隣を歩くようになり、天文部の特権を使って屋上で二人で落ち合ったりもした。

 恋愛だとは思ってなかった。それは当時も、今でも同じだ。慰め合うための接触が、いつしか快くなって、お互いがお互いに長居をしてしまっていた。

「酷いことをしたよね、私たち。隼人がいないことにかこつけて、二人で手を繋いで歩いたりなんかして」

「今更気にすることでもない」

「それでも、隼人をほったらかしにしちゃったんだよ」

 朝来の頬が俺の肩に接しているからこそ、彼女が震えているのがわかった。

「もっとちゃんと弔ってあげれば良かった」

 高校一年の冬、隼人の家族は、隼人の延命を諦めることに同意した。

 集中治療室から出た隼人は棺の中に入り、葬儀に出席した俺たちの前に真っ白な顔をして現われた。エンバーミングという処理のおかげで、隼人はほとんど生前と変わらない顔をしていた。顔面を強打したというのに、傷痕はうっすらとしか見えなかった。まるで安らかに眠っているかのようだった。決して起きない眠りについている彼が火葬場に運ばれていくのを俺たちは長い間見守っていた。

「傷の舐め合いなんかして、逃げてばかりで。ごめんね、登臣くん」

「謝るなよ」

 咄嗟に言い返して、それから言葉を探した。

「俺だって同じなんだから。俺に謝られても困る」

「・・・・・・そうだね」

 朝来が顔を上げた。

 肩の重荷が軽くなる。

 庭園を見つめる朝来の精悍な横顔がホテルの灯に照らされてよく見えた。

「ねえ、登臣くん。約束しよう。もうずっと、絶対に、隼人くんのことを忘れないし、逃げもしない、って」

 朝来は言い終わるとともに、澄んだ双眸で俺を真っ直ぐに捉えた。あまりにも力強くて、とても逃げられそうにない。

「もちろん」

 本心から、そう答えていた。

 かつて俺は自殺を図っていた。幾度も。自分が生きながらえていることそのものが罪だと固く信じていた。

 でも、それは結局逃げでしかなかった。

「俺は隼人という友達がいた。それは一生忘れない。だからって抱え込みもしない。誰かに訊かれたら話すし、子どもができたら聞かせる。いなかったことになんか、絶対にしない。死んだからって言ったって、終わりにはしたくないんだ」

 ホテルの入り口から、呼び声が聞こえてきた。俺と朝来を呼んでいる。

 随分と長く外で話し込んでしまっていたらしい。同窓会もそろそろお開きの時間なのだろう。耳をすましてきいてみれば、集合写真を撮るから、と言われているのだとわかった。

「ほら」

 立ち上がって、朝来に手をさしのべた。

「私、酔ってないよ」

「関係ない。掴まれよ」

「ふらつかない?」

「いいから早く。いつもお前に引っ張ってもらっていたんだから」

「・・・・・・気にしてたの?」

「うるせえ」

 俺が舌打ちをするのと、朝来が吹き出したは同時だった。

 同級生たちが俺たちを呼ぶ声がする。一回で十分だというのに、寄っているのか、何度も何度も続いている。朝来はともかく、俺なんて碌に話しもしなかったのに奇特な連中だ。

 だが決して、悪い気分ではなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る