#続いて

 あかね色の空が青味を増している。普通の夜への移行とは異なり、中央がない。均質的な青が全体に増えていく。

 閑散とした街にも人はいて、その全員が固まっていた。

 下を向いているお年寄り、友達と笑い合っている学生、子どもと手を繋いでいる親子。こうしてみると、みな歩いている。独りのときも、誰かといるときも、人は歩くことができる。そういえば自分も、誰とも話せないというのにひたすら歩いていた。

 丘はいつしか平地に変わり、国道沿いの賑わいへと変わる。街灯はついていなかった。青くなりゆく空のせいで、視界は悪くなる一方だ。固まっている人々は黒い影のようになる。「あれは誰」という語源のとおりの黄昏時だ。

 空のヒビもまた増えている。穴も目立つようになった。巨大なガラス細工を内側から眺めているようなものだ。世界の外側の誰かによって、乱暴な目にあっている。

 空が完全に砕けたら、僕もまた消えるのだろうか。

「独りで消えるのは、寂しいな」

 アスファルトを踏みしめる音が淡々と響く。

 薄暗い中、ひときわ大きな陰が見えてくる。中学校の校舎だ。

 トレーニングは学校から始めた。着替えも通学鞄もまだ置いてある。今さら着替えたり、勉強道具を持ち帰ったりして、何が変わるわけでもないけれど、何もないよりはいい。僕にまつわるものが一つでも多ければ、安心できる気がした。


 青い光が、見慣れた校舎に降り注ぐ。

 正門からのイチョウ並木がアスファルトに影を落とす。交わることのないその影の合間を渡り歩いて、玄関へ向かう。途中にも人はいた。いたけれど、もう人の形をした黒い影にしか見えない。

 影の降り立つ影の景色。青も緑も黒に近づく。眠りにつくときの景色のように、明かりは必要とされていない。

 着替えは僕の教室にあった。夏の制服が一式だ。普段は更衣室を使うけれど、級友の影にはもう気にもならず、その場で着替えた。ひんやりしたワイシャツとスラックス。ベルトを通して、やることがなくなり、深く息をついた。

 教室にはぽつりぽつりと影があった。群がっていたり、放課後だというのにまだ椅子に腰掛けていたり。表情は目を凝らさないと読み取れなかった。笑っているとわかると、無闇に嬉しくなった。

 黒板の前に一人の影が立っている。束ねた二つの髪が大袈裟に振れている。手のひらから落ちた黒板消しを拾おうとしたのだろう。今日の日直当番として、彼女はそこにいた。

「朝来」

 陸田の幼馴染みで、僕の友達。朝来灯香は、影ではあるものの、驚いた顔をしているのがわかった。

 宙に浮かんだ黒板消しに手をかける。戻そうとしたけれど、どうにも動いてくれない。もう空間に固定されてしまっている。朝来の手を引っ込めようとしたけれど、それもまた上手くいかなかった。

 僕の方から、朝来に触れることができない。干渉せず、影響せず、眺めていることすら、次第に難しくなっていく。

「そっか」

 空のヒビがまた音を立てた。オレンジから青に、それがさらに暗くなって、星のない夜にも見える。どれが穴でどれが空か、もううまくわからない。

 消灯の時間が来たかのように、世界から光が失われていった。まだ呼吸ができるのがむしろ奇妙に感じられた。未だに世界はこの僕に、何をさせようというのだろう。

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