空を舞うクラゲ.09

少しの間椎名は何も喋らないまま、沈んで行く夕陽を眺めていた。

私はと言うと、普段はこの時間になるとベッドでごろごろしているせいか少しだけ眠くなっていた。つい、あくびが出てしまった。チラリとこちらを見た椎名もつられてあくびをした。


「あ、そうそう。」

パチパチと瞬きをしながら椎名がカバンを漁り始めた。

「海月さん、炭酸飲める?」

「炭酸?飲めるよ。」

「お、よかったー。」


椎名がカバンから取り出したのは、ペットボトルに入ったオレンジソーダとコーラだった。

「さっき買ってきたんだ。どっちがいい?」

「あ。また悪いことしてるな。」

「今更何言ってるの。屋上にいる時点で海月さんも共犯者だよ。」

「うっ。」

確かに、今の私に椎名を咎める権利は無かった。


「はいはい、どっち?」

「…オレンジの方。」

「ん、はい。」

「ありがと。」


椎名がニコニコしながらペットボトルのキャップを開けた。

シュッと気持ちのいい音が鳴る。そのまま椎名は勢い良くコーラを飲み始めた。

夕焼けの街を背にコーラを飲む椎名の姿は、まるでテレビCMの一場面の様だった。喉を水分が通過する音すら爽やかで、絵になる。


「はぁー!屋上で炭酸とか、なんかヤンキーみたい。ははは!」

「ははは、何それ。私もいただくね。」

「うん。」


椎名からもらったオレンジソーダ。

キャップを開けて私も飲む。

口の中で炭酸とオレンジの酸味が弾けた。

学校の屋上でジュースを飲むと言う校則を破る事に対する罪の意識も、喉を通るソーダと共に流れていく様だった。

何故かいつもより、美味しく感じた。


「はぁ。なんかいいね。こう言うのも。」

椎名が私を見て笑う。

「でしょ?」

「うん。なんか青春って感じ。」

「それそれ!!」

椎名が元気な声と共に私を指さした。

「それがしたかったんだよなー!」

そう言いながら『やる事ノート』を開いて私に見せつける。


『友達と青春っぽいこと』


友達。私の事だろうか。この場合は私の事だろうな。

椎名に友達としてカウントされていた事に少し驚いたが、正直なところ、もう椎名の事は嫌いじゃない。そんな気がしていた。気がついていた。むしろ良く喋る方の友達、くらいの距離間なのだろうか。


「あはは、ぽいってなに。ぽいって。」

「イマイチ青春ってピンと来てないからさ、何となくのイメージで浮かんだ事やって、青春だなって思ったらオッケー。」

「なんか違うなって思ったら?」

「またなんかやる。」

「今回は?」

「100点。ははは。」

「満点出ちゃった、はは。」


私は椎名の座っている少しだけ高なっているへりを背もたれにして座り込んだ。


椎名と友達になった。

小憎たらしさに腹を立てていた事も、何故か笑えてきた。

夕陽の暖かさに包まれて、私の眠気が増していく。

うとうと、うとうと。

視界がボヤけて塞がり始める。

深海に落ちる感覚が、怖い。


「海月さん?」


ぼやけた視界の端に、椎名がこちらをのぞき込む顔が見える。

私は今どんな顔をしていたのだろう。


「眠い?」

「ん。いつも寝てる時間だから…。」

「そうなの?こんなとこで寝ると風邪ひくよ。」

「うーん。あ、椎名。」

「なに?」

眠くてへろへろの声で話す。


「深海って何があるんだろうね。」

「深海?急にどうしたの。」

「私さ、寝そうになると頭の中に深海のイメージが浮かぶんだよね。なんでかわかんないけど。」

「へぇ。不思議だね。深海はどうなってるの?」

椎名はこちらを向いてニコニコしている。

私は半分寝ぼけながら話している。

「太陽がどんどん遠くなってって……深海に着く頃には真っ暗で何も見えないんだよね。」

「あら。」


「真っ暗で音もないし、寂しくて怖い。」


「海月さんの中ではそう言うイメージなのかな。深海は。」

「なんかのテレビで見たような気がする。」

「深海の全部を見たわけじゃないのに、もったいないね。」

「え?」


「テレビで見た深海は、ほんの一部だろ?そこだけが真っ暗なのかもしれないよ。」

「そんな馬鹿な。」

「いやいや大真面目。だって見てないもん。もしかしたら息ができる特別な水があったり、すごい発光してる海藻とかが自生してたり、竜宮城があってもいいね。乙姫様がいたりして。」

椎名は楽しそうに話す。

「ふふふ。そんな深海楽しそう。」

「でしょ?あ、太陽があったりして!今見えてる夕陽よりも大きくて綺麗なのが見えるかもしれない。その夕陽を見ながらコーラとオレンジソーダを飲んじゃったり。人とかもたくさんいたりして。」

「深海にもコーラあるのかよ。」

「無いとは限らないからね!深海って火星と同じくらい調査が進んでないらしいし。将来、深海に行けるようになったら僕らがコーラを持って行って、深海のコーラと飲み比べるんだ。どっちが美味しいかって。」

「ふふふ……。」


楽しそうに話を続ける椎名がおかしくて、笑ってしまった。しかし私の眠気は限界だ。


まだ見てない景色なら、いろんな想像して楽しめばいいんじゃないかな。


椎名の声が遠くに聞こえた気がした。

ホントに不思議なやつ。椎名の言葉を、今ならすんなり受け入れられる。


半開きの目がゆっくりと、閉じていく。

私の身体がふわりと浮かび上がり、屋上の床から離れた。

周りには大きな水泡が浮かんでいる。私はいつの間にか、水の中にいたようだ。

下に見えるグラウンドには、虹色に光る海藻が揺らいでいる。遠くの山々は巨大な珊瑚礁に姿を変えていた。

優しい光を放つ夕陽が、暖かい。

気づけば私の周りには、ふわふわとクラゲが漂っていた。夕陽に照らされ、オレンジ色に光っている。


なるほど。こんな深海があってもいいな。

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