空を舞うクラゲ.03

「海月さーん。」

椎名だ。

力の抜けた声で私を呼んでいる。今日、私は椎名に対して無視を決め込むことにした。椎名に構ってるほど高校入試を控えた中学3年生は暇じゃないのだ。ざまあみろ。


「そこ間違ってるよー。」

「え!?」

思わず反応してしまった。


「そこのvolleyballバレーボールつづり。vの後、aじゃなくてoね。」


本当だ。


「………ありがとう。」

「どういたしまして。」


先程まで無視しようとしていた相手から、ましてや椎名から間違いを正されるなんて思ってもみなかった。心の中でありがたい気持ちと腹立たしい気持ちがバチバチと火花を散らしてぶつかり合っている。

ちらっと椎名に目をやる。今日の椎名は毛糸で作った輪っかを使ってあやとりに勤しんでいた。器用な指使いで作った三段梯子はしごの隙間からこちらを覗いている。目が合ってしまった。

「…椎名は勉強しないの?」

「生きることって勉強みたいなもんだと思ってるから、今も勉強中だよ。」

「そうじゃねぇよ。入試の勉強。」

「あー…。どこ行くか決めてないからやらない。」

「決めてないにしろ勉強はしといた方がいいんじゃない?」

「俺頭いいからなぁ。今日の授業全部理解してるし、勉強なんかに時間割いてられないよ。」

「あやとりには時間が割けるのかよ。」

「今の課題はあやとりだから。」

「課題?」

「何でもないよー。あと先生こっち見てるよ。」


先生と目が合ってしまった。

「じゃあ2番の問題、佐藤さん。書いて。」

指名されてしまった。問題なんて見ていなかった。えーっと…?


あ。

v【o】lleyballバレーボールだ。




昼放課になった。いつも昼放課は早紀が私の席に来て、雑談をする。椎名はいつもどこかへ行っているので、早紀は椎名の席を借りている。


「椎名って頭いいの?」

私は椎名が自分で「頭がいい」と言っていたのが、少しだけ気になっていた。

「海ちゃんが椎名の話するなんて珍しいね。どうしたの?」

「いや、さっきアイツが間違い教えてくれてさ。いっつも遊んでるのに、よくできるなぁって。」

「あー。テストの成績、学年で2位らしいよ。噂だけど。」

「え?あの椎名が?」


「あれ。海月さん、俺の話?」

「うわっ」

突然背後から声をかけられ、驚いた。椎名が立っていた。

「あ、椎名。席借りてるよ。」

「いいよ。貸すどころかあげちゃう。何の話?」

椎名が小ボケを挟む。もう聞き飽きてしまった。

「海ちゃんが椎名って頭いいのー?って。学年2位って噂だけど、本当なの?」

「前のテストは3位だったけどね。」

「へぇーすごいね!海ちゃん、本当だったね!」

「あぁ、うん…。」


私が椎名の事を気にかけたと言うのが椎名に知れてしまったことに、私は恥ずかしさに似た例えようのない気持ちになっていた。なんだろう。


「あぁ。海月さん、俺が普段遊んでるから、なんでって気になっちゃった?」

「なってねぇよ。クソ椎名め。」

思わずど毒突どくづいてしまった。

「あのさ、思うんだけど海ちゃんって椎名に対してめちゃめちゃ口悪いよね。」

「そ、そうかな。」

「あ、早紀ちゃんもそれ思う?だよねー。海月さん、酷いよね。」

「え!」

早紀がいきなり声をあげた。

「早紀、なに?」

「椎名って私のこと下の名前で呼ぶんだ!」

早紀は口に手を当て驚いている。椎名は少しだけ困った顔をしていた。

そこでチャイムが鳴る。早紀は小走りで席に戻っていった。


「…確かに、早紀ちゃんって呼ぶんだね。」

少し以外だった。

椎名は席に戻り、髪をくしゃくしゃと掻きながら困った顔で答える。

「海月さんが早紀って呼んでるの聞いてるからね。あの人にそこまで興味ないからあの人の名字知らないんだけど、これはナイショにしててね。」


それをそのまま私に言うのか、と思った。

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