空を舞うクラゲ.08

私は何をしているのだろうか。


屋上へ続く階段は生徒が入り込めないように、今は使われていない机で作られたバリケードにより塞がれている。私はその机の下でスパイ映画さながら、身を屈めて隠れる侵入者の様に息を潜めていた。


「ちょっとここでそうしててね。」と椎名に言われるがまま、10分程そのままだ。

…騙されたのだろうか。

そう思い始めた頃、椎名が私を呼ぶ声がした。


「おまたせ。海月さん、いる?」


私の姿が見えない椎名が階段の下から机の山に声をかけている。

「遅いんだけど。何してたの。」

「内緒だよー。お楽しみは後でね。さ、上がっちゃって。もうみんな帰ってるから大丈夫だよ。」

椎名がそう言うと、後ろの机がガタガタと音を立て始め、その音は私の頭上を通過して行く。机の上を歩いて登っているようだ。私は取り残されないよう、せっせと階段と机の隙間を這って登る。


「ふふ。待たせたねー。開けちゃうよ。」

ニヤニヤしながらポケットから鍵を取り出す椎名。

「マジで行くのかよ。バレたら怒られるぞ。」

椎名の腕を掴み引き止める。

内心不安なのだ。私は何をしているのだろう。職員室に連行されて椎名と2人で怒られる姿が目に浮かんだ。

「バレなきゃ無罪だよ海月さん。内緒だからね。」

椎名が私を見て、ふふっと優しく微笑んだ。少し気持ちがぐらつくのを感じたが、いけない、とすぐ正気に戻す。

そんな私の不安と緊張をよそに、ガチャ、と夕方の屋上へと続くドアが開いた。

風が私達の髪をなびかせる。




大きな夕陽。大きな赤い空。

素直にキレイだ、と思った。


グラウンドから舞い上がってきたであろう砂で少しザラザラしているコンクリートの床を、歩いて屋上の1番先までやってきた。淵が少し高くなっているだけで、フェンスなどはない。椎名はその淵に腰を下ろし、夕陽を見る。怖がりな私はその少し後ろでしゃがんで一緒に夕陽を見た。

殺風景な田舎。遮る物がほとんどない、大きな夕陽。


「どう?海月さん。」

「綺麗。すごい。」

「だよねー。」

「これが見たかったの?」

「違うよ?」

「何がしたかったの。」

「ふふふ。気になっちゃう?」

椎名がいつもの様にニヤニヤしながら聞いてくる。


「椎名、その性格直せよな。」

「ええ?急にそんな事言う?」

喋る言葉、一言一言に含みを持たせるような、人をおちょくったような喋りが無ければ私は椎名と仲良くなれていたんじゃないか、と今ふと思った。まぁ、今はどうでもいいが。


「いいから何しに来たか言えよ。」

「やれやれ、海月さんはせっかちだなぁ。ふふふ。」

椎名はそう言うとカバンからゴソゴソと、ノートを取り出した。授業中に落書きしているあのノートだ。


「じゃん。やる事ノート!」

「…ん?」

椎名の目が生き生きとしている。

「落書き帳じゃないのかよそれ。」

「失礼な。これは大事な大事なノートなんだよ。誰かに見せるのも初めてだし。」

「お、おお…ごめん…。中見せてよ。」

私は椎名からノートを受け取りパラパラとページをめくる。


「あ。」


そこにはトランプタワーやあやとりなど、椎名が授業中にしている遊びの数々が書き連ねてあった。

他にも、『強い割り箸ゴム銃作り』や『消しゴムを使い切る』など、私にはとてもじゃないが、やる事として書き出す価値のない事がびっしりと書いてある。

そして、おそらく満足したであろうものには左端にチェックマークが書かれている。


「これ本当に必要な事なのかよ。」

「なんで?」

「トランプタワーなんていつでも作れるだろ。あやとりだってそうだし。記録計って何になるんだよ。」

「んー…そうだな…。」

椎名はにやけたつらで考える素振りをした。


「海月さんは何のために生きているのか、わかる?」

「え?」

「このまま卒業して、高校入って。勉強して大学へ進むのかな?それとも就職するのかな?もしかしたらお嫁さんに行くのかもしれない。」

「なんの話だよ。」

「海月さんがどんな道に進むかなんて誰にもわからないけど、その先の意味ってなんだろうね。人生に意味を見つけるとしたら、どのタイミングで見つかるんだろう。」

椎名は微笑む。


「そんなの、死ぬ時しかわかんないだろ。」

「なんでそう思う?」

「死んだ時に何を残すか、だと思ってるから。」

「へぇ。けど、その時本当に見つかるのかな。もしかしたら死に際に残した物が、食べかけのポテトチップスだけだったらどうしよう。」

「たぶんそんな事ないから大丈夫だ。」

「そう。」

椎名は食い気味に言った。

「たぶん。わかんないよね。たぶんじゃ。生き抜いた時にしかわからないと思うんだよね。意味が見つかるか見つからないか、なんて。」

「ん…?」

椎名が何を言いたいのかがわからなくなってきた。


「それと同じだよ。意味があったのかどうかなんて、やってみなきゃわからないだろ?消しゴムを使い切ったところで表彰されて新聞に載る訳じゃないし、トランプタワーを作ったところで住めるわけじゃないし。けどやらないとわからないから。初めから意味が無いなんて決めつけてたら、何も出来ないし何も見えないよ。」


私は椎名の淡々とした語り口調に聞き入っていた。椎名の言葉は説得力があり、語彙力のない私では返す言葉が見つからなかった。


「お前、達観し過ぎだって。」

「はは、まぁやる事のほとんどはくだらないって思いながらやってるから。けどそれが楽しかったりするよ。」

「なんだそれ。自分でもくだらないとか思ってんのかよ。」

「思う。けど大人になったらこんな事ばっかりやってる時間ないだろうし。今だけだよ。自由があるのは。わかってる。」


椎名は夕陽に照らされながら、遠くを見て言った。

今なら椎名の思っている事が、少しだけわかる気がする。

きっと、椎名は自由を愛しているのだろう。そして、やがて訪れる自由との別れが寂しいのだろう。



儚げな表情をした椎名が、私の目にはとても大きく写った。



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