空を舞うクラゲ.10(終)



「あ。海月さんおはよう。」


「…………おはよう。今何時…。」

「もう19時前だよ。」

「んん…嘘だ…。寝過ぎた…いてっ。」


首が痛い。寝違えたようだ。

辺りが暗い。

19時。…19時はまずい!ママに怒られる!


「やばい帰らなきゃ!早く起こしてよー!」

「ごめんごめん、気持ちよさそうに寝てたから。」

「もう!行くよ!」

「はいはい。また来ようね。」

「…ほら、行くよ!」

「はーい。」

私はえて答えなかった。



バリケード代わりの机をよじ登り、慎重に歩みを進める私をよそに椎名はバタバタと駆け下りる。

「怖いからやめて!」

「時間ないでしょー!海月さんも早くー!」

「んん…てか昇降口の鍵とか持ってるの!?」

「持ってないよ。先生の閉め忘れってことにしとこう。」

「戸締り担当の先生が可哀想だろ!」

階段を無事に降りて椎名に駆け寄る。

「青春に痛みは付き物だろ。」

「青春し終わった人に痛みが向かってるんだよ。」

「じゃあその人を思って胸を痛めよう。」

「わけわかんないよ。まぁどこから出ても鍵閉めれないなら一緒か…。」

「そうだよ。先生ごめんなさい。誰かわかんないけど。」

「ごめんなさい。ほら、行くよ!」

「はーい。」


廊下を2人でパタパタと走りだす。暗くなった学校はホントに怖いが、正直楽しいと思っている自分がいた。

「海月さん走るのも速いね!」

「え?まぁ女子の中では速い方かな!髪がうっとおしいけど!」

「切っちゃいなよ!ショートも似合うんじゃない?」

「えっ。」

少し恥ずかしい気持ちになった。似合うのかな。

だが、この気持ちを悟られたくはない。

「…切るのもアリかな!はは!」

「お、楽しみにしてる!」


昇降口にたどり着き、校舎の外に出た。街灯が少ないので、辺りは暗い。

私達の通う学校には校門が2つあった。

「椎名の家どっちだっけ?」

「俺ん家南門の方。」

「うぇ、方向違うのかよ。」

「ふふふ。しかも自転車だから、こっからは楽なんだ。」

「あ、自転車?」


私は今のテンションを利用して、強引に誘ってみた。

「じゃあ乗せて行ってよ!」

「えっ!」

椎名も少し驚いた様子だった。この表情の椎名を見るのは初めてだった。

「椎名でも驚くことってあるんだな。」

「当たり前だろ。てか乗せてくって二人乗り?」

「うん。今更校則とか言い出すなよ?」

「あー…。なるほど。」

「元はと言えば椎名に付き合ったからこんな時間になったんだからな!女子1人で夜道を歩かせるような男なのか!椎名は!」

「海月さんが寝たからこんな時間になったんだけどなぁ…まぁ、夜道も危ないし、いいよ。行こう。」

「やった!ありがとう!」

「二人乗りとか初めてなんだけどな……。」

椎名は歩きながらブツブツと何かを言っていた。



「はい乗って。」

「お願いしまーす。」

スカートを荷台に敷いて跨る。荷台は思ったより痛くなかった。

「椎名、コケないでねー!」

「はーい、ちゃんと捕まっててねー。行くよー。」

「ぉおっと…!」

椎名の肩にぎゅっと掴まった。意外とゴツゴツしていて、男子だな、と思った。


「家どこら辺ー?」

「市役所の近く!」

「結構遠いんだね!」

「ギリギリ徒歩通学の範囲だった!」

私達は声が風にかき消されないよう、大きな声で喋った。


「海月さんさぁ。」

「ん?」

「俺が名前呼んでも嫌な顔しなくなったよね。」

私は返事に困ってしまった。

少し前まで嫌っていた相手を友達と認めてしまった今だから、素直になろうかどうしようか。迷う。


「…友達なんだろ!」

「え?あぁ、うん!」

「じゃあ好きに呼んで!」

「ははは。今日の海月さん、感じいいね。」

「…クラゲって、意外と可愛い…。」

「ん?クラゲ?が、なに?」

「なんでもない!次右ねー!」

「はいー。下り坂だから気をつけてねー!」

「うん!」


グングンと速度を増す自転車。正直怖い。

「椎名!速いってー!」

「大丈夫大丈夫!しっかり捕まっててね!」

「うぅ、わかったー!」

私は椎名にしがみついた。

男子にここまで触れたのは初めてだった。

小学生の頃にあったキャンプで、キャンプファイヤーを囲んでフォークダンスをさせられた時に男子の手を握った以来かもしれない。

速度に対する恐怖か、椎名に抱きついている緊張のせいか。心の臓が張り裂けそうだった。鼓動が椎名に伝わっているかもしれない。と思うと、恥ずかしさで全身から火が出そうだった。


今のこの気持ちの名前がわからない。

今の私は何者なのだろう。

私が私じゃないような、そんな気がした。


が、とりあえず。坂を下るまでは。

このままでいた。






「…あ、そう言えば。」

坂を下った後、私は早希の事を思い出した。椎名が気になっている、と言っていた事。


「なに?」

「早希がね…。」



「なに?」




「なんでもないー!」


今日はまだ、言わなくていいかな。と思ってしまった。


今の私は、決して椎名が気になっていない。断じて気になっていない。


何故か、そう自分の胸に言い聞かせた。



「ここ右で家着く。」

「はいー。」

「…椎名。」

「なに?」

「またバスケしようね。」

「お?するよ?」

「屋上も登ろうね!」

「うん、登ろう!やる事ノートに書き足しとく。」

「ははは。」

「また海月さんがヨダレ垂らして寝てたら起こしてもいい?」

「え!?私ヨダレ垂らしてた!?」

「おっと。なんでもないよ。」

椎名の顔は見えないが、きっとニヤニヤしているに違いない。


「クソ椎名!」

「あははは。海月さんは怖いなー。」


きっと私は、思春期をしているのだろう。


「クソ!もうバカ!」

「また明日も遊ぼう。」


私はもう一度、椎名にしがみついた。

すっと、目を瞑る。


「…クソ椎名。」

「あははは。」







進んで行く自転車の横を、小さなクラゲがふわりと飛んだ気がした。







空を舞うクラゲ

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