光を待つ.06(終)

その後、僕らは16時過ぎに店を出た。

「また今度、ウチで優衣ちゃんのお勉強会しようね!将ちゃん抜きで!」

「はい!ありがとうございます、よろしくお願いします!」

「ははは。その時はよろしく頼むよ。今日はありがとな。」

「はーい、じゃあね!」


「ふう。パンケーキ、美味しかったね。」

「ほとんど私が食べたじゃん。お腹すいたとか言っちゃって。」

「少食だからさ。」

「嘘つき。ふふ、ありがとう。」

「さ、受験生らしく、帰ってお勉強しようか。」

「うん。」


玄関ドアに鍵を差し込み、ひねる。

「あれ?」

「どうしたの?」

鍵が開いていた。

「いや…。」



ゆっくりと、ドアを開ける。


「…………。…ただいま。」

「おい、お前らこっち来い。」

「はい。」

「…はい…。」


リビングでは養父がタバコをふかしていた。

いつになくドスの効いた、低い声で僕らを呼んだ。

僕は優衣の少し前に正座して、いつでも優衣を守れるようにした。


「おい。」

「はい。」

「お前ら俺らの事、誰かにチクったろ。」

「…誰にも言ってないです。」

俺らの事、と言うのは先程栞から聞いた噂の事だろう。本人にまで回って来たのか。

「言ってないんだな?」

「はい。」

「じゃあてめぇがチクったんか、おい!」

「!!!」

そう言うと養父は僕を突き飛ばし、優衣の胸ぐらに掴みかかった。

「痛っ…言ってないです!言ってないです!」

「あ?じゃあてめぇの兄貴が嘘ついたんか?なぁ!?」

「……違います!!」

「僕らは誰にも言ってません!!」

優衣の胸ぐらに伸びる養父の腕を掴み、引き剥がした。

「騒音と声で噂になってるって、さっき聞きました!僕の痣も周りに見られてるって!だからそうなんじゃないかって!僕らはそんな事、誰にも話してないです!」

僕は必死になって自分達の潔白を証明しようとした。

「じゃあなんだ、俺らが悪いのか?あ?」

養父が、ゆっくりこちらに詰め寄ってくる。

「……。」

「おい。なんか言えよ。」

「すいませ…」

「すいませんねぇだろ…おい!!」

「うっ……!」

僕は腹を殴られ、養父の前に崩れ落ちた。息が苦しい。そのまま養父は足元でうずくまる僕の髪を引っ張り上げる。

「てめぇらみてぇなモン引き取ってやってんだぞこっちは。わかってんの?」

「痛っ…す、すいません…。」

「……チッ…。」

髪を掴む手を離し、僕は地面に下ろされる。養父はそのまま僕の肩を蹴飛ばし、僕は後ろの壁に頭を強く打ちつけた。

「お兄ちゃん!!」

「おめぇもだぞ。お兄ちゃんお兄ちゃんってうるせぇなぁ。てめぇの声が漏れてんのか?」

「すいません…!でも…」

「あ?でも?なに?」

「…お、お兄ちゃんが…!」

「それしか言えねぇのかてめぇは!」

「!」

パン!と響く音。平手打ちをされた優衣がよろめく。

「優衣!…痛て…!」

僕はなんとか起き上がり、優衣のそばに駆け寄る。

「大丈夫か…。」

「うん…。グス…。」

目に涙を貯め、頬が赤くなっている。

僕は怒りでどうにかなりそうだった。


「おい、お前。兄の方。」

「…はい。」

「お前学校辞めてこい。働け。」

「えっ…それは…。」

「なに?今金ねぇんだわ。働けよ。」

「そ、それはダメです!」

優衣が声を上げた。

「は?」

「お、お兄ちゃんが…高校出るまであと少しなんで…それまで待ってください…!そしたらここを出て2人で暮らすんで…それまでは!」

優衣が涙ながらに、養父に訴えかける。その姿は必死そのものだった。

「優衣、それは…」

「え、お前何言ってんの?誰がここを出すって言ったの?」

「えっ…。」


「お前らはここで暮らして給料を俺らに渡すんだよ?世話になったもんな、当たり前だろ?」


最悪だ。


「お前も中学出たら働きに行かせるからな。まさか高校行けるとか思ってねぇよな。」

「…そんな…。」


絶望しかなかった。


「優衣だけは勘弁してあげてください!お願いします!優衣だけは!」

気づけば、僕は養父の足元で土下座をしていた。

「優衣だけは出してあげてください!今までの生活費も僕が全部払います!お願いします!」

「お兄ちゃん…!やめて…。」

「お願いします!お願いします!」

「バカてめぇ声がでけぇんだよ!」

養父に顔を蹴られた。僕はまたしても壁に身体を打ちつけた。蹴られた目の上が激しく痛い。が、今はそれどころではない。

「お兄ちゃん……!!」

「うぅっ…お願いします…お願いします…!」

「気持ちわりぃ。お前らデキてんの?じゃあ俺行ってくるから。掃除しとけよ。」

ガチャっと玄関のドアが開き、養母が顔を覗かせた。

「ちょっとアンタ遅いんだけど。なにしてんの。」

「こいつらに将来のお話してあげてた。俺らのために働いてくれるってよ。」

養父はそう言うとタバコに火をつけ、僕らに背を向けた。

「待ってください…!お願いします…!」

「お兄ちゃんもうやめて!」

「明日までに学校には言っとけよ。」





ドクン、と僕の心臓が鼓動を刻む。



口の中を切ったようだ。しょっぱい、血の味。

後頭部も切れている。血が、頭皮を伝って流れて行く感覚。ここへ来てから、何度も味わった感覚。

痛み。


「お兄ちゃんやめて!!!!」


どんなに深くて、陽の光さえ届かない海底でも。

時間をかけて。少しずつ。上を目指せば、いつかは光が見えると思っていた。信じていたんだ。


「お前……!!!」




僕の考えが、間違っていたのかもしれない。








「イヤァァァァ!!」



優衣の悲鳴で、我に返った。

僕の足元で、胸から血を流して倒れる養親。

赤黒く染まっていた僕の手。握りしめた包丁。何度刺したのだろう。



「ううっ…!」

脳が揺れるような激しい頭痛に見舞われ、僕はその場にへたり込む。


「お兄…ちゃん…。」

「俺は…大丈夫だから。優衣は幸せになるんだよ。」

「こんなの…うぅ、どうしたらいいの…お兄ちゃんが…お兄ちゃんが…!」

「仕方ないだろ…こうするしかなかった。ごめんな、優衣。一緒に暮らせなくて。」

「うぅ……!!う、うっ…!」

「頼れる所は全部頼れ。何としてでも幸せになれ。チワワ飼うんだろ?」


玄関のドアが、勢い良く開く。


「将ちゃん!!!」

「栞さん!!お兄ちゃんが…!!」

「何これ…嘘でしょ…!?」

「栞ごめん…こうしなきゃダメだった…。警察と救急車を…頼む…。う…うぅ…。」

頭が痛い。意識が少しずつ遠のいて行くのを感じる。


「将ちゃん!?」

「お兄ちゃんしっかりして!!お兄ちゃん!お兄ちゃん!!」





また、深いところに落ちて、落ちて、堕ちて行く。

きっと、僕では抗えないのだろう。この環境に。

どんどん落ちて、落ちて、堕ちて行く。

その度に、光は遠ざかって行く。僕の目指した物。


それでも。


線路も。電車も。

汚い壁も。灰色の空も。


いつかは

美しいと思える日が来るはずだ。


暗い、深い、深海に堕ちても。

その日まで

息を潜めて。







僕のための。


光を待つ。








光を待つ(終)

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