光を待つ.04

「ただいま。」



「……ントにクソ台引いたわ。」

「アンタの横のババア、あの後めっちゃ当ててたしね。…あら。」



「……。ただいま。」

リビングには、養親がいた。

缶ビールを片手に、何やら機嫌が悪そうだ。

…おそらくパチンコで負けてきたのだろう。

「チッ…あぁ腹立つ…。クッソ……。」

ドレッドヘアーにヒゲを生やした養父が、貧乏ゆすりをしながらタバコをふかしている。

僕らを引き取ってくれた人。僕らが『あの人達』と呼ぶ、その片割れ。僕の痣の、生みの親。


「いつまでそこで突っ立ってんだよ!おめぇは!」

「痛っ…!!」

僕の視線に気付いた養父が、飲みかけの缶ビールを投げつけてきた。そこそこ中身の入った缶は僕の腕に当たって床に転がった。ドクドクと、中身のビールが床に広がった。


「お兄ちゃん!」

キッチンで何かを作っていた優衣が、僕の元に駆け寄る。

「優衣、大丈夫だから。大丈夫だからキッチンに戻りな…。」

2人の気に触らないよう、小声で優衣を僕から遠ざけた。優衣まで標的にされたくなかった。


「ちょっとアンタ、また顔に痣できたらめんどくさいからやめてよね。」

「下狙ったから大丈夫だろ。おい、拭いとけよそれ。…てかマジ今日の店……」

2人はテレビに向き直り、今日の反省会を再開した。


僕は使い終わったバスタオルを持ってきて、床にこぼれたビールを拭く。結衣がこちらを心配そうに見ている。

僕は口の動きだけで、『大丈夫だよ』と伝えた。肘に当たっていたので、本当はかなり痛かった。


「ちょっと唐揚げまだできないのー?遅くない?」

リビングから、養母の声が飛んできた。

「あ、も、もうすぐ出来ます!」

「何時間揚げるつもりなの…ったく。」

養母は結衣の家事にとことん厳しい。毎晩飲み散らかされたリビングをあの人達が起きてくるまでに片付けていないと、容赦無く平手打ちが飛ぶ。


「で、できました。」

「ん。マヨネーズ持ってきてよ。」

「あ…マヨネーズ、昨日で無くなっちゃいました…。」

「はぁ?アンタ買ってきてないの?」

「あの…お、お金持ってないん…で……。」

「無いなら無いで今朝そこの兄貴にもらっとけよ!」

養母が勢い良くリモコンを手に取った。

「ご、ごめんなさい!」

優衣が咄嗟に手で身を守る。


「あの!」

僕は間一髪の所で、二人の間に割って入った。


「あの、後で優衣にお金渡しておきますんで…すいません……。」


「チッ…ホントに使えないなぁ……。」

「すいません…ほら優衣、部屋に戻ろう。キッチンの片付けやっとくから。」

そう言って、優衣の背中をぐっと押した。

「あ……うん、ありがとう…。」


僕らの両親は、3年前に事故で亡くなった。

結婚記念日にデートをした帰りの車で、信号無視の車と衝突して、そのまま。

あの人達は、『お気楽なもんだよな』『いい思い出になったんじゃない』と笑って僕らに話した。

あの人達は僕らを引き取ってくれたが、僕らに相続された持ち家をあの人達がすぐに売り払った事で、僕らのためではない事がすぐにわかった。


「キッチンの片付け終わりました。」

「ん。」

「シャワーお借りします。」

「…いいよなぁ、子供は。働きもせずに、寝泊まりできる環境が確保されてて。」

「ね。もっとバイト増やしたら?」

「……税金かかるギリギリなんで…。」

「高校やめて働いたらいいじゃん。養ってよ。」

「ハハハ!それいいな、小遣いくれよ!」

「アンタすぐ溶かすでしょ。」

「はぁ、今日のはホントクソだった。明日は取り返す。明日は……」

「……。」


僕はできるだけ何も考えずにバスルームに向かって、1日の汚れと感情を洗い流そうとした。感情だけは、上手く流れ落ちてくれなかった。


自室に戻ると、優衣が布団の中でボロボロの漫画を読み返していた。

「…お金、多めに置いとくね。」

僕は財布から5000円札を取り出し、優衣の勉強机に置いた。


「お兄ちゃん…そんなにいらないよ。」

僕はふすまで区切られたリビングに声が漏れないよう、小声で話す。

「なんかあったら面倒だろ?」

親指で背後のリビングの方を指さした。

「でもお兄ちゃんのお小遣いもあるし…。」

「優衣のお小遣い、生活費で無くなっちゃったんだろ?その漫画だってボロボロじゃないか。新しい漫画でも買ってきな。」

「……。」

「いつも美味しいご飯作ってくれるお礼だよ。あの人達には内緒だからな。買ったらちゃんと隠すんだぞ?」

「うん…。」

優衣の目が潤んできた。

「優衣は昔から泣き虫だなぁ。」

「だって…。」

「……優衣は将来何になりたい?」

「え?」

「将来の夢。」

「え…。んー…。急に聞かれても…。そうだなぁ、幸せな家庭が持ちたいかなぁ。」

「お。どんな?」

「えぇ?…旦那さんと、子供が2人いて…あと、犬飼いたいな。」

「犬種は?」

「チワワ。」

「ふふ、可愛いな。」

「チワワ…飼ってみたいなぁ……。」

優衣は目線を上に向け、足をパタパタさせた。


「じゃあ、チワワが飼えるようになったら、俺に漫画買ってよ。」

「なにそれ。ふふっ。」

「その時まで、今は我慢だ。できるだろ?」

「…うん。できる。」

「よし、さすが俺の妹。はい、今日はもう寝るよ。」

「うん。ありがとう。おやすみ。」



リビングから、あの人達の笑い声が聞こえる。

汚い、汚い、笑い声。

僕らをねじ伏せ、暗い闇の奥底まで引き釣りこむ声。

何を言われても。殴られても。僕は負けない。

何があろうと。何をされても。


息を潜めて。

光を待つ。

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