短編リライトの会

戸松秋茄子

オリジナル

喫茶カテドラル

〈喫茶カテドラル〉のドアが開いて、喪服の男が二人、入ってきた。一方がもう一方を介抱するようにしてカウンター席に座る。


「何になさいますか」僕は言った。


「さて、何にしたもんかね」左の男が、もう一方に尋ねた。「あんたはどうする」


 右の男は何も答えなかった。カウンターに目を落としたまま、顔を上げようともしない。


「まあいい。コーヒーを二杯だ」左の男が言った。もう一方に確認する。「あんたもそれでいいだろ」


 右の男は黙ってうなずいた。


「かしこまりました」


「ちょっと待て、兄ちゃん」伊藤が自分の席から割り込んだ。「喫茶店に来て、『コーヒー』なんて注文の仕方があるか」


「この人が言いたいのは」伊藤の連れが言った。「一口にコーヒーと言ってもいろいろあるってことだね。ブレンドなのか、エスプレッソなのか、カプチーノなのか」


「コーヒーはコーヒーだろう」左の男が言った。「ほら、マスターはちゃんと心得てるぜ」

 

 左の男は、すでに豆を挽きはじめていた僕を顎で示した。


「そこが二代目のダメなところだな」伊藤は言った。「何か適当に出すつもりだったんだろう。先代は違ったぞ。コーヒーの味もわからん奴はぴしゃりと追い返したもんだ」


「でも、いまはこの人がマスターだ」左の男は僕に向き直った。「そうだろ?」


「ええ」


 伊藤はふんと鼻を鳴らし、向かいの男に愚痴を零しはじめた。


 極細に挽いた豆をエスプレッソマシンのバスケットに入れて均し、ダンパーで圧力をかけていく。挽き加減を考えて、三〇秒ほどかけて専用のカップに抽出した。


「お待たせしました」


 僕はエスプレッソを二杯出した。


「ほら、あんたも飲めよ」左の男はカップに砂糖を投じながら言った。「少しは気が楽になるぜ」


 右の男は目の前のカップを見つめたまま手を出そうとしない。


「具合が悪いんですか」


「ああ」左の男は言った。「と言っても、ここの問題なんだが」そう言って自分の胸を叩く。「困ったもんだ。これから自首するっていうのに」


「自首……ですか」


「ああ、ちょっとばかし荒事を起こしちまってな。そうだろ」と、最後は右の男に確認するように言った。


「ということはあんたたち犯罪者か」伊藤がいきり立った。


「いんや」左の男が言った。「あいにくとこの人だけ。俺はただの通りすがりだよ」


「お揃いの格好じゃないか」


「たまたまだよ」左の男は言った。「俺は弟の葬儀の帰りだったんだがね。そう言えば、この人はなんだって喪服なんだろう」右の男に問う。「おい、あんた。そいつも現場からくすねたのかい」


 右の男はうなずいた。


「二代目」伊藤ががなった。「一一〇番だ。店の電話を貸してくれ」


「これから自首するって言ってるだろう」左の男が言った。「心配しなさんな。俺がちゃんと付き添うから」


「お仲間の言うことなんて誰が信じられるか」


「あのう」奥の席で、サイモンが手を上げた。「もしつもりなら、そもそも自分たちから犯罪を仄めかすようなことなんて言わないと思いますけど」


「盗み聞きとはお里が知れるな。アメ公」


「だから、オーストラリアですって」それからカウンターに向かって、「もし、よければ何をしたのか話してくれませんか」


 右の男は何も答えない。


「おい、この人たちに話していいか」左の男が尋ねると、右の男は小さくうなずいた。


「罪の告白まで人任せとはいいご身分だな。え?」伊藤は嘲った。「何をしたか知らんが、現場に魂でも置いてきたか」


 左の男は無視して、「この人は、ある家に押し入ったんだ。そうだろ?」


 右の男はうなずき、言った。「……殺した……俺が……あの子」


「人でなしが!」伊藤は怒鳴った。席を立ち、カウンターに向かってくる。「もう我慢ならん。ここでふんじばって近くの交番に突き出してやる」


「落ち着けよ、じいさん」左の男が立ち上がった。両手を広げて右の男を守るようにする。「まだ何も話してさえいない」それから後ろを向き、「自分で話せるか?」


 右の男はうなずいた。


「あの子は……タミカは……じっと俺を見ていた。家に押し入った俺を、ただじっと。逃げず、騒ぎ立てず、黒目がちな、吸いこまれそうな目で俺を見てたんだ。俺はそれが恐ろしかった。だから、そう。手に持ったゴルフドライバーを振り下ろしたんだ。あの子の頭めがけて何度も何度も。最初の一撃で頭蓋骨が陥没して、砕け、脳症が飛び散ったよ。そう、俺はあのかわいそうな犬を……」


「ちょっと待て」伊藤が割り込んだ。「犬なのか? あんたが殺したっていうのは」


「犬だって生き物ですよ」サイモンは言った。「動物愛護法違反と器物損壊罪に問われます。それに住居侵入の構成要件も満たしてそうですね」


「押し入ったって、なんでまたそんな」僕はつぶやいた。


「それは俺もわからないんだ」左の男が言った。「話してくれなかったからな。わかってるのは、この人がその家に押し入って、一家を皆殺しにした後、犬の頭をゴルフドライバーで潰したってことだけなんだ」


「やっぱり人殺しじゃないか!」伊藤は叫んだ。


「殺人罪……強盗目的で二人以上なら極刑は免れない……」サイモンはつぶやいた。


「おい二代目。今度こそ一一〇番だ」伊藤は言った。「まったく、犬畜生にも劣るとはこのことだよ。人様の命より、犬コロの命を奪ったことを嘆いてやがる」


「伊藤さん」連れの男が細い声で言った。「ダメだよ。刺激しちゃあ。いまは借りて来た猫のようでも、とさかに来たら何をするかわかったもんじゃないじゃないか」


「落ち着けよ、じいさんたち」左の男は言った。「さっきから自首するって何度も言ってるだろ。なんならあんたたちに立ち会ってもらってもいいんだぜ」


 そこで、サイモンがぽつりと漏らした。


「しかし、本当なんでしょうか。彼が、その……殺人を働いたなんて」


「おいおい、そこを疑うのか」左の男が迫った。


「あなたも彼から話を聞いただけでしょう」サイモンは言った。「証拠がないじゃないですか。家族が襲われてるのに、犬が吠えも逃げもせずただ見てるだけっていうのも変ですよ。血の匂いに興奮しないはずがないし……」


「この人は嘘を言わないよ」


「どうしてわかるんです」


「公園で俺の話を聞いてくれたんだ」左の男は目を赤くして言った。「知らない男がいきなり話しかけてきたんだぜ。普通なら気味悪がって逃げるところだ」


 サイモンは気圧されたように、口をつぐんだ。


「この人は押し入った家の人たちを殺した」左の男は言った。「あと犬もな。間違いない。俺はそう信じてる」


 右の男は、口を閉ざしたままだ。エスプレッソにも口をつけない。


「エスプレッソは苦手でしたか?」


 右の男は首を横に振った。


「こいつは困ったな」左の男は言った。「マスター、何かこの人でも飲めそうなものを出してくれ」


「そう言われましても」


「頼むよ。娑婆とはこれでおさらばなんだ。そしたらもう一服なんてできないんだぜ」


「わかりました。少々お待ちいただけますか」


 僕は二階の居住スペースに上がった。キッチンの戸棚を開け、ハーブティーの袋を手当たり次第に取り出し、机の上に並べる。逡巡の末、バレリアンとレモンバームを選んだ。次はガラス製のポットを探す。まだ食器かごの中だ。布巾で水滴を拭い、ハーブとともに店に持ち帰った。


「それは?」左の男が言った。


「ハーブティーです」僕はポットを温めながら言った。「少し匂いがきついですが、神経を鎮め、不安をやわらげてくれますよ」


「二代目」伊藤が叫んだ。「カテドラルはいつから茶なんて出すようになったんだ」


「これは個人的な趣味です」僕は言った。「お代もいただきませんよ」


「勝手なことをされちゃ困る。先代は本物のコーヒーを供するためにこの店を出したんだ」


「知りませんよ」


 ポットのお湯を捨て、ドライハーブを入れる。バレリアンは腐臭にも似た匂いがする。レモンバームを多めに入れて、匂いをやわらげる必要があった。お湯を入れ、素早く蓋をしめる。透明なポットの中で、琥珀色の色素がお湯に溶け出していく。五分ほど蒸らしてから、カップに注ぎ、右の男に差し出した。


「飲めそうですか」


 右の男はしばらくカップを見つめた後、首を横に振った。


「匂いがちょっと苦手みたいだ」左の男は言った。「悪いな、マスター。次はココアを頼んでもいいか?」


 右の男はココアを飲んだ後、左の男に伴われて店を後にした。ほどなくして、伊藤たちとサイモンもそれに続く。時計は午後一時を回った。僕はすっかり冷たくなったハーブティーをすすり、口の中に広がる苦みを噛みしめた。

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