リライト

死神の通告(原作:陽月@luceri)

原作:https://kakuyomu.jp/works/1177354054885330674/episodes/1177354054885330681



 母の喪が明けてから一週間後の月曜日だった。犬の散歩を兼ねたジョギングで汗を流し、シャワーを浴びてから出勤の準備を整えていると、大学で同じゼミだった清田和博きよたかずひろから電話がかかってきた。


 清田とは、二年前の夏、NACK5スタジアム大宮でばったり顔を合わせて以来だった。こうして連絡を取ってくるのも久しぶりのことだ。急な電話に驚きつつ、互いの近況を報告する。二月に母が亡くなったことを告げると、清田はお悔やみを述べ、やがて、こちらの反応を窺うようにしてこう切り出した。


「なあ、こんな話を信じるか?」


 去年の春先のことだったという。会社近くの喫茶店で資格の勉強をしていた清田は、転職した会社の先輩から久しぶりに電話を受けた。少し話したい。そう告げる先輩の声にただならぬものを感じ取った清田は訝しく思いながらも話を聞くことにした。その旨を伝えると、先輩はひどく安堵したような声を漏らし、そしてこう続けたという。


『なあ、こんな話を信じるか?』


「ん?」僕は訝しく思いながらも、黙って続きを聞くことにした。


 さかのぼることさらに半年前のことだった。その先輩がラスベガスのトイレで下痢に苦しんでいると、スマートフォンのIP電話サービスに、日本からの着信が転送されてきた。無視するつもりだったが、念のため相手を確認すると数ヶ月前に別れた愛人だった。彼女とは後腐れなく別れたはずだった。何の用か気になって電話に出ると、彼女はこう言った。


『ねえ、こんな話を信じる?』


「待て待て待て」僕は話を遮った。「そのパターンがこの後も続くんじゃないだろうな」


「よくわかったな」


 不意に大学時代のことを思い出した。ゼミの合宿で清田をドッキリにかけたのだ。いい大人が八年も前のことを蒸し返して意趣返しを試みるとも思えないが、そうでなければ突然こんなふざけた電話をかけてくる理由に見当がつかなかった。


「悪いけど、清田」僕は言った。「もう出勤しないと。何のつもりか知らないけど、冗談にしちゃそこそこ手が込んでたよ」


 電話を切ろうとした気配を察したのだろう、清田が慌てて言った。


「ちょっと待てよ。話はこれからなんだって」


 清田はあらん限りの言葉で僕を説得にかかった。けっきょく、僕は今度会ったとき――そんな機会があるとして――何かおごらせることを約束して話を聞いてやることにした。


「朝から悪いな。こんな与太話に付き合わせて」清田は急にしおらしく言った。「俺も先輩からこの話を聞かされたときは面食らったもんさ」


 僕は愛犬のリンツァートルテと静御前に留守を任せ、マンションの部屋を出た。階段でエントランスまで下り、雨上がりの街へと繰り出す。清田も屋外にいるらしい。彼の声に混ざって救急車のサイレンや、踏切警報機の音が聞こえてきた。


「伝言ゲームみたいなもんなんだ。どこまでさかのぼっても同じことの繰り返し。疎遠になってた誰かからある日突然、電話を受ける。そして、こう切り出されるんだ。『こんな話を信じるか?』って」


「けっきょく誰もその話とやらを聞いたことがないなんてオチじゃないだろうな」


「俺も先輩に同じことを言ったよ」


「そして先輩も電話をかけてきた愛人に同じことを言ったんだろう?」頭が痛くなってくる。「はぐらかすのはやめて、その先輩から聞いたとやらを聞かせろ。もしも、そんなものがあればの話だけど」


 清田は沈黙した。電話の向こうからは、電車が風を切って通過する音が聞こえるばかりだ。


「どうした。やっぱり、さっきのがオチだったか?」


「そうじゃないんだ」清田は弱気な声を出した。「ただ、どうすれば信じてもらえるかと思ってな」それから居心地悪そうに、「死神……そうだな、死神だ。そう言ってもお前はきっと信じないよな」


「なんだって?」思わず変な声が漏れた。


「いや、悪い。おふくろさんを亡くしたばかりのお前に話すようなことじゃないのはわかってる」清田は弁解した。「知ってたら電話しなかったんだがな」


「それは気にしなくていいから」僕は言った。「それで、死神がなんだって?」


「もったいぶるような話じゃないんだ」清田は照れたように言った。「想像してくれ。ある日、目の前に死神が現れこう言うんだ。『あなたの命は後二四時間です』って」


「死神と言われてもね」僕は苦笑した。「イメージがわかないよ。鎌でも持ってるのか?」


「そこは任意のイメージを当てはめるといい。なんでもいいよ。黒ずくめのダンディでも、白塗りのパンクでも、赤毛のビッチでも。実際、目撃証言はかなりばらけてる」


「モンタージュ作りに苦労しそうだな。それで? その通告を受けると本当に死んでしまうのか?」


「そういうことだな」


「それで、お前はその先輩から聞いた都市伝説をどうしても大学の同期に話したい衝動に駆られて、月曜の朝から電話をかけてきたっていうのか?」


「さっきからってせっかちな奴だな」清田は言った。「話にはまだ続きがある。死期を悟った奴は、だいたい決まって疎遠になってた友人や家族に電話をかけるんだ」


「それは、まあ、ありそうなことだな」


「しかし、死神に会ったなんて言っても誰も信じちゃくれない」


「それはそうだ」


「だから、話のとっかかりに迷いつつ、けっきょくはこう切り出すんだ。『こんな話を信じるか?』ってな」


 話しながら北与野駅西口に入った。電話を左手に持ち替えながら、パスケースをかざし、改札を通る。ホームへの階段を上りながら言った。


「なあ、清田」僕は言った。「僕が『お前も死神に会ったってことか』と言うとでも?」


「ノリが悪いんだな」清田は低く笑った。「学生時代は違っただろう。いまでも覚えてるぞ。みんなで俺をはめやがって」


「いい加減にしろよ。清田。支離滅裂じゃないか。お前の話が本当なら、死神は電話を受けた奴から受けた奴へと渡り歩くことになる。そうじゃないと、この話は成立しないぞ」


「そういうことになるな」清田はそこで何かに気づいたように、「ああ、そういうことか畜生! あの先輩は俺を道連れにしやがったんだ! いったい、何のつもりなんだ。弟の筆おろしの世話までしてやったっていうのに!」


「苦し紛れのアドリブはよせ」僕は言った。「その先輩だって本当はいまもピンピンしてるんだろ。いや、そもそもそんな奴は実在しないんだ。違うか?」


「電話がかかってきたのは本当さ。野郎が生きてるかどうかは知らないけどな。番号を変えたのか、つながらなくなったんだ」


「そんな話を誰が信じると――」


 言いかけたところで、電話の向こうからまた警報機の音が聞こえてきた。


「悪いな。もう電車が来るみたいだ」


「駅にいるのか?」


 もしそうなら、さっきからアナウンスや発着音が聞こえないのはおかしい。しかし、清田は僕の疑問を無視して言った。


「なあ、桑原くわはら。死神はロバート・デ・ニーロに似てたよ。ほら、『エンゼル・ハート』のルイス・サイファーだ。あれはもしかしたら、俺の中にあった死神のイメージが投影されていたのかもしれないな」


 それが最後の言葉になった。「あれは悪魔だろう」という僕の訂正を遮るようにして、電話が切られたのだ。


 なんだったのだろう。スマートフォンの画面をにらみつけたところで、何も答えてはくれない。


 ゴールデンウィーク明けのホームにはどことなくけだるげな雰囲気が漂っていた。朝から妙な話を聞いたせいもあって、こっちまで気が滅入ってくる。


 デ・ニーロ似の死神だって? 何て浅はかなんだろう。清田が『エンゼル・ハート』を愛好していたことは、大学時代の仲間なら誰もが知ってる。そんなところから死神のイメージを引いて来るなんて、嘘くさいにもほどがあるというものだ。


 それに、だ。死神というなら、たとえばロン・チェイニーのビーバーハット・マンの方がよっぽどそれっぽい。彼が動く姿が見られるなら、冥土の土産としては申し分ないだろう。


 そんなことを考えながらいつもの電車を待っていると、間もなく、ホームにアナウンスが流れた。


「上尾~宮原間の踏切で人身事故が発生したため、ただいま上下線とも運転を見合わせています」

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