姫騎士フィル(原作:やえく@Bexar)

原作:

https://kakuyomu.jp/works/1177354054885339037/episodes/1177354054885339038



 セレガウリア暦一三一二年十一月八日――


 よく晴れた夜だった。二つの月が冴え冴えと光って、不気味なくらいに明るい。どういう理屈かは知らないけど、こういう夜に限ってよく冷えるものだ。明日の朝には霜が降りるかもしれない。わたしは生垣の陰で体をぶるっと震わせた。動きやすいように軽装で来ている。隣のモニカも同様だった。


「そっちに行ったぞ!」警邏の声が聞こえる。


「犬を戻すんだ! 匂いをたどらせろ!」


 すぐ近くを二つの足音が通り過ぎて行く。息をひそめてやり過ごした。剣の柄から手を離し、首から下げた御守チャームに感謝を捧げる。魔を払う銀のダガー。母の形見だ。女が持つには武骨に過ぎるそれは、正義を行えという母の信念の表れでもあった。


 存命の頃、母は王妃の立場から慈善事業に積極的にかかわり、特に貧しい子供たちへの支援に力を入れていた。貧民街の訪問中に殺人鬼「闇のジャックジャック・ザ・ダークネス」の犠牲となったときは葬列を見送るため王都を縦断する長い人だかりができたものだ。


「やり過ごせたみたいね」言いながら、隣を振り向く。モニカはピラカンサの実を口に運ぼうとしていた。


「こら」わたしはモニカの頭を叩いた。「毒があることくらい知ってるでしょ。ホント悪食なんだから」


「ひどいですよ、フィルシア様ぁ」モニカは抗議した。「いまので種ごと飲み込んじゃったじゃないですか」


「ほっといても食べたでしょ」わたしは決めつけた。「一つだけにしておきなさい」


「はあい」


「それと、いまのわたしはフィルシアじゃなく、気高き女騎士フィルシリアよ」


「はあい」


「本当にわかってる?」


「わかってます」モニカは言った。「フィルシリア様」


「それでよし」


 わたしは最後に、ポン、とモニカの頭を軽く叩いた。


「じき、犬に嗅ぎつけられるわ」わたしは言った。「急ぎましょう」


「急ぐって?」


「強行突破」わたしは言った。「屋敷に乗り込んで、を押さえる。これだけ厳重な警備を敷いてるんだもの。やましいことがあるって言ってるようなものだわ」


「ブツがなかったら?」


「そのときは二人してごめんなさいよ」わたしは言った。「さ、行くわよ」


 近頃、王都は内なる毒に苛まれていた。妖魔郷イド由来の代替麻薬が労働者階級を中心に蔓延していたのだ。


 代替麻薬は妖魔郷の奥地で発見された新種の植物を原料とする。三年前に規制されるまで法的にグレーゾーンの位置づけだったことをいいことに、何者かが栽培・精製のノウハウと流通システムを確立、薄利多売で市場を席巻し、大量の中毒者を生んだ。取り締まりがはじまったいまでも、貧民街は代替麻薬を求めて違法行為に手を染める空ろな目の中毒者で溢れ、治安は悪化の一途をたどっていた。


 末端の売人を叩いたところで、出てくる名前は、同じような中毒者の売人ばかり。高度に組織化された流通システムに、警察も手をこまねいていたが、先日、闇のジャックの模倣犯としてひっぱられた下流貴族が有力な情報をもたらした。ある日、彼が不良仲間と麻薬パーティーを開いたときのことだ。ブツを仕入れた仲間がその仕入れ先としてウデモイ伯爵の名を出したという。


 酩酊しラリった状況での証言にどれだけの信憑性があるか疑問だし、司法取引を当てにしたガセの可能性もある。その上、名指しされたのは貴族だ。警察を動かすに足る情報ではない。警視庁をふらっと訪れた折、知り合いの警部からそう聞かされたわたしはいてもたってもいられなくなり護衛のモニカを伴って調査に乗り出した。


 叔母の隠し子影武者に公務を丸投げして監視を続けること一週間、ついに努力が実った。屋敷に出入りする男を締め上げたところ、卿の屋敷に大量の代替麻薬が備蓄されていることがわかったのだ。


 ウデモイ邸は王都郊外にある。石積みの古典様式。左右対称のファザードは、裏手に回ってもその威厳を失わないらしい。警邏が巡回する沈床庭園の先に、広々としたテラスを構えている。等間隔に並んだ窓のいくつかから灯りが漏れていた。


「いたぞ! 賊だ!」


 警邏が叫びながら、サーベルを抜く。同時に、左からも足音が迫っていた。


「殺しても?」モニカが目を光らせた。


「ダメよ」わたしは言った。「締め落とすくらい簡単でしょ」


「アイアイサー」


 不服そうな返事を残して、モニカの姿が闇に溶けた。


「な、消えた!?」警邏は戸惑いの声を上げた。だが、その行方を追う余裕はない。すぐ目前に、わたしが迫っていたからだ。


 上段から切りかかった。牽制のつもりが知らず力が入ってしまう。刀身がさっきまで警邏が立っていた場所を払い、イチイの葉を散らした。


「隙あり!」


 警邏がサーベルを振りかぶる。いけない。わたしは咄嗟に剣を突き出した。


「ぐぼっ」


 防具の類を身に着けていなかったらしい、剣は拍子抜けするほど簡単に、警邏の腹に吸い込まれていった。


「げふっ」


 剣を引き抜くと、警邏はゼラニウムの花壇に倒れ込んだ。殺すなと言ったそばから、これだ。さすがにばつが悪く、わたしは血振りをしながら言った。


「残念だわ。間抜けな警邏さえいなければ、いい庭園なのに」


 新たに足音と話し声が近づいてくる。


「自分だけずるいですよぉ」


 モニカがぬっと顔を出した。


「好きで殺ったんじゃないわ」わたしは言った。「ほら、次が来るわよ」


「ねえ、フィルシア様ぁ」モニカがねだるように言った。「モニカ思うんですけど、一人殺ったら二人でも三人でも同じことじゃないですか」


「そうね」わたしはため息をついた。「いいわ。存分に暴れなさい。


「アイアイサー!」


 母は常に貧しい子供たちのことを気にかけていた。それはたとえ、盗みをはじめとする犯罪で生計を立てる子たちであっても例外ではない。彼らが犯罪に手を染めるのは、環境がそうさせるからであって、彼ら自身の罪ではない。逆に言えば、高潔な人柄で知られる紳士淑女にしたところで同じ環境に身を置けば同じことをする。それが、母の考えだった。


 温室育ちのわたしにその是非を判断することはできない。わかるのは、母ならば、たとえ自分の仇であっても救いの手を差し伸べたであろうこと。そして、闇のジャックと呼ばれる連続殺人鬼がわたしの目的を果たすうえで有力な手駒になるであろうということだけだった。


「おとなしくわたしに救われなさい」


 わたしは路地裏でぼろ布にくるまってた彼女にそう声をかけた。それがモニカとの出逢いだ。以来、彼女はわたしの護衛として付き従うようになった。わたしの見込み通り彼女は役に立った。こうして時代遅れの騎士ごっこに付き合ってくれるのも彼女しかいない。


 わたしたちは警邏を次々に切り伏せながら屋敷に向かった。庭の花が散り、血が飛散した。横倒しになったカンテラから灯油が漏れて花を焼き、闇を照らす。


「これなら見失うまい!」


 そう意気込む警邏の目前から、モニカはふっと姿を消す。振りかぶったサーベルが宙を切り、前につんのめった警邏の頸部をモニカのナイフが掻っ切った。


「よ、妖魔……」


「うーん。惜しい」モニカは虚空から舌を出した。「正解は幻魔レヴナントでした」


 神出鬼没のジャックが妖魔、あるいは死にぞこないレヴナント等の幻魔に類する存在であるという噂は広く知られていた。砲兵戦術の登場によって人間に敗れ去った妖魔だが、ゲリラ戦においては未だにその効力を発揮する。彼らの多くは人と見分けがつかず、弱点である銀の備えがなければ対処する術もない。非正規の手段で悪を粛清するにはもってこいの人材だった。特に元が人の幻魔は妖魔より扱いやすい。モニカとの出逢いは僥倖と言えた。


「ええい、騒がしい。賊はまだ捕まらんのか」


 警邏と犬を残らず始末したところで、テラスからでっぷりと太った男が身を乗り出して来た。全身を光物で固めている。きっと、口の中には金歯があるだろう。貴族というより、成金の商人といった風情だ。


「やっと出てきた」モニカが嬉々として叫ぶ。「ウデモイ卿。お覚悟」


 いまにもテラスに向かって駆け出しそうだ。わたしはその首根っこを掴んで言った。


「いや、モニカ。人違いだわ。誰よ、アレ。まあ、どうせ薬の売人か何かでしょうけど」


「し、失敬な」売人はどもった。「わ、わたしは伯爵の友人である。そうですよね、伯爵」


 売人の背後から、洗練された雰囲気の紳士が歩み出てきた。テラスの手すりに手をつき、庭を見下ろすようにする。


「なんということだ。なんということだ……」紳士はこの世の終わりのような声で言った。「我輩の……我輩の庭が……」


「伯爵!」売人が叫ぶ。


「ああ、そうだね。そういうことを言ってる場合じゃなかった」ウデモイ卿は眼鏡を上げ直して、屋敷に向かって叫ぶ。「おおい、鉄砲隊を出して」


「まだ雑魚がいるんだあ」モニカはうんざりしたように言った。「フィルシア様ぁ、モニカ疲れちゃいました。そろそろやっちゃってよくないですか」


「そうね」わたしは言った。「じゃあ、モニカ。いつものお願い」


「やった」


「おい、何をこそこそと話しておる」


「では」モニカは売人を無視して、こほんと咳をついた。すぅっと息を吸い込み、テラスに向かって叫ぶ。「ええい! そこの者たち、頭が高ーい! この方をどなたと心得るか! セレガウリア国第二王女フィルシア様その人である!」 


「ば、馬鹿な!」売人の顔が一瞬にして青ざめた。「いや、たしかによく見れば姫様に違いない。これはとんだ御無礼を……ああ、なんとお詫びすれば」


 対して、ウデモイ卿は虚を突かれた様子で顎をさすっている。


「ちょっと、いまのが聞こえなかったの」


「いやあ、そういうわけじゃないんだけどね」ウデモイ卿は首をひねった。「うーん。おかしいなあ。我輩の聞いたところじゃ、姫様はいまごろ宮廷の舞踏会に出席されてるはずなんだけど」


「世迷いごとを!」モニカは声を張り上げた。「紛う方なき姫様であらせられよう! この麗しいかんばせが目に入らぬか!」


「いや、たぶんそれ本当よ」


「え」モニカが振り向いた。


影武者アリシリアが出てるんでしょ」わたしは言った。「そっか、今晩は予定があったか。最近、影武者に投げっぱなしだったから自分でものスケジュールを把握できてないのよね」


「あちゃー」


「え、えーっと。つまり?」売人がウデモイ卿の顔色を窺う。


「まあ、つまり」ウデモイ卿はレストランのメニューでも選ぶような調子で言った。「影武者云々っていうのは聞かなかったことにするとしてだね。ここにいるフィルシア様は偽者ってことでいいんじゃないかなあ」


「そ、そうですね!」売人は急に調子づいた。「兵たちよ、銃を構えよ!」


「我輩の私兵なんだけどなあ」


 売人の合図を受けて、屋内からぞろぞろと私兵が飛び出してきた。テラスにずらっと整列し、小銃を構える。二段構えの陣だ。


「面倒なことになりましたね」


「何よ、あんなおもちゃ」わたしは言った。「この距離よ。一発当たればいいものだわ」


「モニカはいいですけど、姫様は一発が致命傷になることもあるんじゃ?」


「ならさっさと片付けなさい」


「アイアイサー」


 モニカは気のない返事とともに、虚空に溶けた。


「な、なんだあれは」売人は狼狽えた。「ええい! とにかく放て!」


「だから、我輩の兵」ウデモイ卿が訴える。「まあいいや。撃っていいよ」


 パンパンと乾いた音を立てて、小銃が斉射される。わたしはテラスに向かってまっすぐ突っ込んでいった。銃弾が頬をなぜる。間髪置かず、第二陣が銃を構えるが、虚空から出現したナイフが次々にその喉頸に襲いかかった。


「ひえええ!」


「やめろ、こっちに撃つな!」


「は、伯爵~」


「うーん。妖魔、いや、幻魔かな。誰かキッチンからありったけの銀食器を持ってこさせて。いますぐ」


「ええっ、ナイフとフォークでどう戦……ぐぁっ!」


 わたしはテラスのすぐ下まで距離を詰め、跳び上がった。テラスの混乱を見下ろす。胸元で銀のダガーが揺れて、きらりと光った。

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