夏祭り(原作:流々@ballgag)
原作:
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885332628/episodes/1177354054885332629
三年前にぶっ倒れて以来、神輿を担げなくなった。
俺が若い頃、担ぎ手は二〇から三〇の若い男に限られていた。俺も三〇のときに一度一線を退いているが、その数年後には人手不足から年齢制限が緩和され、ふたたび神輿を担げるようになった。「生涯現役」そう喧伝しながら神輿を担ぐことおよそ半世紀。三年前の俺は六五歳で、町内の担ぎ手では最高齢だった。自分ではまだまだやれると思っていたが、知らないうちにガタが来ていたみたいだ。
「昌ちゃんはよくやったよ。後は若い連中に任せて、ゆっくり休みな」
自分より年上のじいさんにそういたわられることほど悔しいことはない。それに、その若い連中の手が足りてないから問題なんじゃないか。ここは「地方都市の郊外」なんて名乗ることすら憚られる田舎町だ。俺の娘のように、進学や就職を機に町を出ていく若者も少なくない。今後、町が劇的に若返るなんてことはありえないのだ。
しかし、いくら気炎を上げたところで体は言うことを聞かない。いまの俺にできるのは、後進の連中を大人しく見守ることだけだ。
そんな俺にとって、若い担ぎ手の新規参入は何よりの慰めだった。一年前、駅前に小洒落たマンションが建ち、若い世帯がいくらかまとまって入居してきた。といっても、しょせんはよそ者。見るだけならともかく、自分で神輿を担ごうなんて酔狂な奴はそういないだろう。そう思っていたが、例年より梅雨入りが遅れた今年の六月末、睦に一人の若者が顔を出した。一九〇センチ近い長身で、集会所の鴨居を窮屈そうにくぐりながら現れたそいつは、中村慎二と名乗った。「神輿が担ぎたい!」そんな酔狂な奴があのカーサなんとかとかいうマンションにもいたのだ。
腰が低い若者だった。祭りと言ったら、子供の頃に縁日でヨーヨーすくいや型抜きに興じた程度の経験しかないことを恥ずかしそうに語り、こんな自分でも神輿を担げるかと尋ねてきた。もちろん、じいさんたちは大歓迎だ。俺だってすぐにでも祝杯をあげたい気分だった。
一か月前の打ち合わせを皮切りに、祭りの準備がはじまった。
「いいか、神輿の蔵出しはとにかく一番早くやるかんな。一番に出すのが験担ぎだかんな。宮元みやもとががたがた言っても関係ねーから」
「担ぐときの掛け声は『わっしょい』だかんな。『セイヤー』なんてのは掛け声なんかじゃねぇ」
「はい! 勉強になります!」
慎二君は相談役の長い話を鬱陶しがることなくメモした。蔵出しの日は仕事があるっていうのに出勤前から率先しててきぱきと動き、荷物運びにテント張りと若い力を存分に振るった。
「慎二君は本当に祭りが楽しみなんだなあ」
「はい!」と大声で返事した後、慎二君は恥ずかしそうに「というのも、地元の神輿は氏子しか担げなかったので……」
「それでずっと憧れてたわけだ」
「はい!」
また大声の返事。これには、睦連中がどっと沸いた。
「こりゃあ、昌ちゃんも安心だわな」
加藤のじいさんがそんなことをつぶやく。余計なお世話だが、まったくもってその通りだった。
いよいよ神輿巡行の日がやって来た。梅雨明けの十日の晴天に恵まれ、絶好の祭り日和だ。去年はまさかの台風直撃。予備日も大雨に、雷が鳴り、せっかくの準備がふいになった。胸をなでおろしながら、神酒所に勢ぞろいした面々を見渡すと、慎二君が半纏の帯が上手く結べずあたふたとしていた。
「どれ、貸してみな。締めてやるから」
半纏帯は細いだけで、浴衣帯と同じだ。貝の口に締めてやれば男前に決まる。
「おぉっ、格好いいっすね!ありがとうございますっ!」
まったく気持ちのいい若者だ。いったい、どうやって育てれば、こんな素直でいい子に育つのだろう。
正午を回って、神輿が町を巡行しはじめた。
「わっしょい! わっしょい!」
担ぎ手の男どもが叫ぶ。睦のじいさんが叩く拍子木に合わせて、神輿を左右に揺らす。こうすることによって、神の霊が活性化され、より多くの恩恵を受けることができるのだ。
「わっしょい! わっしょい!」
慎二君が叫ぶ。長身の彼には負担が大きいだろう。背中を曲げ、周りと高さを合わせながら、神輿を担いでいる。
「わっしょい! わっしょい!」
巡行コースには、途中途中に接待所がある。水やアルコールが振舞われ、担ぎ手たちに活気を与える。
「わっしょい! わっしょい!」
町を一周するのにだいたい四時間かかる。担ぎ手を交代しながら、神輿は町を練り歩く。
「わっしょい! わっしょい!」
男たちの汗がほとばしる。うだるような熱さだ。八月上旬の昼下がり。一年で最も暑い時期の、最も暑い時間と言って過言ではない。この過酷さが、男たちを、祭りをいっそう熱くする。俺を熱く燃え上がらせる。
「わっしょい! わっしょい!」
俺は声を張り上げた。
「わっしょい! わっしょい!」
「いたたたた……」
巡行が終わった後、慎二君がでかい体を折り曲げて、唸った。
「やっぱりデカいから、担ぐのは大変そうだなぁ」加藤のじいさんが他人事のように笑う。
「慣れないし体中痛いけど、楽しかったっす」慎二君は苦し気な笑みを浮かべた。「来年も頑張ります」
「おう、期待しとるぞ」
ぼん、と背中を叩かれ、「いたっ!」と悲鳴を上げる慎二君。睦の連中がそれを見てがははと笑う。
「しかし、慎二君はなんだってこんな田舎に越してきたね」
「はあ」慎二君は少し言いにくそうに、「実は、母の故郷なんです」
睦の連中がざわめいた。
「なんだなんだ、それならそうと教えてくれればよかったのに」加藤のじいさんが言う。「お袋さんの旧姓はなんていうんだ。もしかしたら知ってる家かもしれんぞ」
「旧姓は富士野。冨士野佳代って言うんですけど」慎二君は言った。「ご存知でしょうか。どうも祖父と喧嘩するようにして家を飛び出したみたいで……」
時が止まったような沈黙。佳代の息子。その事実が俺にはすぐには飲み込めなかった。
「こりゃ驚いたな。あんた、佳代ちゃんの息子か」加藤のじいさんが言った。「ってことは、昌ちゃんの孫ってことになるじゃないかね」
「はい」
俺の孫……このバレー選手みたいな長身の若者が? 佳代の奴、いったいどんな旦那を捕まえたってんだ。俺は一六〇ちょいしかないってのに。
「慎二君」加藤のじいさんが尋ねる。「あんた、じいさんのことは……」
「ええ。聞きました」慎二君はうなずいた。「三年前の祭りで倒れてそのまま……」
「ああ、ありゃ残念だった。まさか、わしより早く逝っちまうなんて」
そう、三年前の祭りで、俺は死んだ。心筋梗塞だった。元々、血圧が高めだったから、医者にはもう一線を退くように言われてたんだ。しかし、俺はやめなかった。担ぎ手をやめるのはこの命が尽きるときだって決めてたからな。もちろん、身体には気を使ってたさ。三年前の夏は今年に負けず劣らずの暑さだった。脱水症が心筋梗塞や脳梗塞の引き金になることは知ってたし、接待所でもアルコールには手をつけず、水ばかり飲んでいた。担ぎ手としてもほとんど補欠みたいな立ち位置で、体力が回復したら少し担がせてもらってすぐに交代してたんだが、それでも、老体には負担が大きかったらしい。突然、胸が押し潰されたような痛みを覚え、猛暑日だってのに冷や汗が流れた。ヤバい気はしたが、「わっしょい!」の掛け声が、俺を神輿に縛り付けた。胸の苦しみはちっとも収まらない。やがて息ができなくなり、俺は遠のく神輿を目で追いながらその場に倒れた。アスファルトの焼けるような熱さが、生涯最後の感覚だった。
「しかしまあ」加藤のじいさんが言った。「今日は立派だったぜ、慎二君。さすが祭り狂いだった昌ちゃんの孫だけあるよ。昌ちゃんが見てたらきっと誇りに思ったろうよ」
「だといいんですけど」
その通りだぜ、慎二君。いや、慎二。まったく、佳代の奴、こんな立派な息子を残してたとはな。少し見直したぜ。あいつがあの世に来たときは、三〇年前のことを許してやってもいいかもな。
睦の連中が鉢洗いの会場に向かって歩いていく。半纏の後ろ姿が群がって、デカい背中を取り囲むようにしている。俺の思い出話に花を咲かせているようだ。おいおい、孫に余計なことを話してくれるなよ。そんなことを思いながら、俺は天高く昇って行った。
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