川は流れる(原作:水円 岳@mizomer)

 舞台となる川を別の場所に差し替えればそれだけで成立する題材ではあるのでしょう。書き手としてもハードよりソフトで個性を見せる方がかっこいいのでしょうが、筆力不足もあって最近の趣味に寄せています。元々、川という道具立てには興味があって自作でも使いたいと思っていたのですが、こんな形で実現するとは思いませんでした。


 繰り返し述べているように、思春期の娘の立場から父=原作を相対化すれば自分の作品になるという確信がありました。また、父親と対置される要素として彼氏を置いています。映画に『ファイト・クラブ』を選んだのもそのためですね。あれは現代社会へのアンチテーゼですから。反抗期の表現として都合がいい。


 ただ、そういうわかりやすい反抗に対してもどこか乗れない、というあてどなさを描くために「ぼんやり見ていた」と表現しています。モラトリアムの感覚というか、自分が好んで描く主人公はだいたいこんな感じですね。もちろん、それ以前に『ファイト・クラブ』の世界が男臭すぎて入っていけないというのもあるでしょうけど。交際歴の浅い彼女と見るのはちょっと冒険だと思います。最悪、『タクシードライバー』のトラヴィスみたいになってしまいますね。語り手の年齢は話の構造から逆算して決めています。これが高校生くらいならちょっと父親に依存しすぎな感じになってた気がします。


 また、もう一つ対置される要素として母の存在があります。娘視点では、エレクトラコンプレックス的な話になりますし、父視点ではファム・ファタールと言いましょうか、アニムスに引き付けられるあまり破滅一歩手前まで行く男の物語になっています。まあ、一種のサイレーンですよね。だから、というわけじゃないですが川に落ちる。


 舞台を山梨にしたのは、埼玉に近いとこで天井川を探した結果です。これまで海を母性のイメージに使うことが多かったのですが、この話では逆に海から内陸へと向かう話になっています。それを娘が連れ戻す。そういう話ですね。なので親子の家も埼玉から静岡に移しました。餃子と言えば浜松ですが、それだと南アルプスまで遠すぎるので、最終的に清水駅周辺に落ち着きました。

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