試された大地(原作:大地 鷲@eaglearth)

原作:

https://kakuyomu.jp/works/1177354054885337023/episodes/1177354054885337035



 札幌で生まれ育った祖母が東京の大学に進学したのは、故郷が壊滅する半世紀以上前のことだった。それ以来、実家には帰っていないらしい。家族と何があったのかは、娘である母も知らない。<大空落>で札幌が壊滅する三年前、祖母は手動運転車クラシックカーにはねられ命を落としていた。


「北海道は試されることになる」それが祖母の口癖だった。「いつか、空が落ちてくるよ」


 祖母のさらに祖母……わたしから見て高祖母となる女性は、ニューエイジの流れをくむ新興宗教の教祖だった。教義は融通無碍そのもので、祖母はその節操のなさを「麻婆カレー丼」とたとえて笑ったものだ。ヨガやアーユルヴェーダを売り物に信者を増やし、北海道を中心に支部を増やしていったというが、オウム真理教の犯罪が明るみに出て以降はその余波で斜陽となり、札幌に本部を残すだけになった。


「でもね、祖母は本物の霊媒だった」祖母は言った。「おばあちゃんはそう思う」


 高祖母は不思議な力を持っていた。唐突に神がかりになり、死んだ人の言葉を伝えたり、失せ物の場所を教えてくれたという。祖母の母はそれを「孫向けのサービス」と受け流したが、祖母はそれを信じた。


「おばあちゃんが生まれる少し前、世界は終わるかもしれなかった」祖母は言った。「ノストラダムスなんて言ってもわからないだろうけど、その大昔のお医者さんが一九九九年に恐怖の大王が空から降りてくるっていう予言を残してたんだ」


 二〇世紀末は終末論ブームで沸いた。高祖母はそれに便乗することはなかったが、自分でもしばしば神託と称する予言を発表していたという。その中に、「空が落ちる」というものがあった。


「そう遠くない未来、北海道の空が落ちる。それが北海道に未曽有の大災厄をもたらす。北海道は現代のソドムとゴモラになる」


 だから、祖母は必死になって勉強した。北海道から逃げるために。災厄から逃げるために。地元の進学校に進学して、東京の大学を受験した。


「家族や友達もつれて行きたかったけど、こんなことを言っても誰も信じてくれない。聖書のノアはきっと同じ気持ちだったんだろうね」祖母は言った。「たまにどうしようもなく帰りたくなることがある。だけど、あそこにはもうおばあちゃんの居場所はない」


 結果として、高祖母の予言は部分的に現実のものとなった。西暦二〇八三年の終戦記念日に、北海道は道内最大の都市を失ったのだ。


 そこで何が起こったのか知る者はいない。わかっているのは、八月十五日の十三時二七分を最後に、札幌との通信が突如、遮断されたことだけだ。固定電話、携帯電話、無線、インターネット、衛星電話。札幌はあらゆる通信手段から孤立した。


「空が落ちた」


 ある目撃者はそう証言した。札幌から帰省するところだったという彼は、自分の住む街が大音響とともに崩壊し、更地に戻る様を目撃した。


 札幌近郊に居合わせた目撃者たちが撮影した映像は瞬く間に拡散され、列島中に恐怖を伝播させた。大規模テロ、ミサイル攻撃、隕石衝突。噂が錯綜する中、政府は安否不明の北海道知事に代わって避難指示を発令、災害対策用のヘリを飛ばした。


 ヘリが目撃したのは、北海道最大の都市が瓦礫の山と化した姿だった。<大空落>。そう名付けたのが誰なのかはわからないが、great fallと英訳されるその呼称は瞬く間に浸透し、原因不明の大災害として全世界に知れ渡った。国内を中心に終末思想が息を吹き返し、来たるべき二一世紀末こそが最後の審判のときであり、大空落はその前触れであると喧伝する宗教家やスピリチュアリストの著作がベストセラーリストを席巻した。


 祖母が生きていたら、いったい何を思っただろう。一世紀越しに成就した予言に何を。何をいまさら、とちっとも動じなかっただろうか。それとも、札幌にいるはずの親戚たちの身を案じただろうか。あるいは、遅すぎる、と誰にともなくなじっただろうか。世間がどれだけ終末ブームに沸こうが、一〇〇年前の早すぎた予言者が日の目を見ることはないだろうから。


「おばあちゃんもどこまで信じてたんだか」母は言う。「お母さんが子供の頃はそんな話、全然しなかったのよ。本当はただ東京に憧れて出て来ただけなんじゃない」


 母が言うには、祖母は大学に進学する前、修学旅行で東京を訪れたことがあったという。ちょうど前回の東京五輪の年だった。浅草寺、スカイツリー、上野動物園、そして、ディズニーランド。祖母は東京に魅了されたという。母が子供の頃、何度もその話を繰り返したそうだ。


「ウォルト・ディズニーが東京大空襲をけしかけてたって知ったときはカチューシャをへし折ったもんだけど」いつだったか、家族でディズニーランドに行ったとき、祖母が言っていたことを思い出す。「それはそれ、これはこれだからね。東京はこうして焼け野原から立ち直ったわけだし」


 祖母の親戚という男性に出会ったのは、何度目かの復興ボランティアで札幌を訪れたときのことだった。祖母の弟の孫。わたしから見ると又従兄ということになる。彼は曾祖母……祖母の母と一緒に小樽に住んでいた。曾祖母は大空落から一年を待たずして肺炎で亡くなったという。


「曾祖母は最後にごめんて言ってたよ」誉さんは言った。「信じてあげられなくてごめんって。誰に向けて言っていたのかはわからなかったけど……」


 大空落の前まで、祖母は親戚の間では忘れられた存在だった。誉さんも自身に大叔母がいることだけは知っていたものの、東京に住んでいることまでは知らなかった。


「ありがとうございます」誉さんは祖母の墓前で言った。「相良乃さんを災厄から遠ざけてくれてありがとうございます」


 わたしは誉さんと結婚して子供をもうけた。いまは札幌に住んでいる。かつては郊外だったところだが、いまは札幌の新たな中心部として開発が進んでいる。家族のアルバムには、子供たちの成長と街の復興が同時に記録されている。わたしはときどき、子供たちに祖母のことを話す。そのとき、自分が長い鎖の輪の一つであることを自覚する。高祖母や祖母がつないできた時間が自分の中にも流れていることに気づく。


 もうすぐ新世紀が来る。最後の審判が下るのかどうかはわからない。だけど、わたしたちが試されているのは事実だ。そう思う。

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