「だから私は隣にいるんですよ?」

 ……寒い。

 朝から降り続ける雨のせいで気温が下がって、まるで冷蔵庫の中みたいだ。全然、春らしくない。気温一桁なんじゃないか?


 制服の上から腕を擦って摩擦で体を温めようと試みるが全く意味を成していない。

 階段を上るにつれて人気が無くなり、人気が無くなるにつれて気温が下がっていくのだ。

 戻って教室で飯食いたい……。


「遅いです!」


 後輩が屋上扉前の踊り場で腰に手を当てて仁王立ちして俺を見下ろしている。

 俺はそれをひとつ下の踊り場から見上げ――っ!?


「どうしたんですか? そんなに慌てて顔を背けて」

「……見える」

「見えるってなにを――あっ」


 見えないがスカートの裾を押さえたのだろう。

 彼女のスカートの丈は短い。っていうか校則違反レベルなんじゃないだろうか。

 別に短いのが嫌いってわけではないのだが、寧ろ好きなのだが、って何を言ってるんだ俺は……。

 つまり言いたかったのは、見えるのはよろしくないし見る気もないということだ。


「見えました?」

「見てない」

「見えたかどうか聞いてるんです!」


 ちっ、引っかからないか。


「見えてないぞ……」

「だったら私の目を見て言ってください!」

「見えてない、本当だから」

「本当ですか……?」

「本当だって」


 冷や汗を背中にかきながら後輩の返事を待つ。

 そんなに不機嫌な顔で俺を見ないでくれ。本当に見てないから信じてくれ……。

 そんな念が伝わったのか、彼女が大きく息を吐いて諦めたように階段に腰を下ろした。


「もういいですよ。座ってください」

「え、あ、うん」


 なんかあっさりと許してくれた。

 若干不審に思いながら、後輩の隣に座った。

 まだ彼女はスカートを抑えてそわそわしている。俺も落ち着かず、弁当の袋をいじっている。


「スカートの丈が短いのがいけないと思うんだ」

「……短いのは嫌いですか?」

「いや、そうじゃないけど、危険じゃないか」

「先輩以外の前ではちゃんと警戒してますよ」

「俺の前でもちゃんとしてくれ!」


 後輩が不満そうに口をとがらせて無言の威圧をかけてくる。そんな顔されてもダメなものはダメだろう。特に男子と女子に関しては。

 俺も一応男なんだからそういうところはちゃんとして欲しい。

 ましてや学校一の美少女なのだ。意識しないようにしても目が行ってしまう。


「先輩、見ないでください……」

「悪い……」


 また気まずい空気が流れる。

 30センチくらいしか離れていないのに人混みを越しに目が合ったくらい遠く感じる。

 何かフォローしようにも、下手に手を出せばかえって空気が悪くなるだろうからやめた。

 手が寂しくなってまた弁当の袋をいじり始める。

 後輩のほうを見ないように気を付けて、だ。


「先輩」

「なんだ?」

「見たかったですか?」

「ごはっ」


 そのままゴホゴホと5秒ほど咳き込む。

 誰だって予期せぬ話題が飛んで来たら咽る。しかもそれが異性の下着の話などとなれば尚更だ。


「あのなあ! 女の子がそういうこと言うもんじゃねえから! 俺誘われてるの?」

「先輩が良ければ……」


 我慢できずに後輩の額にチョップを叩き込む。

 どんな危ないことを口走ってんだこいつは! 俺みたいなヘタレじゃなきゃ絶対喰ってたぞ!


「痛いです……」

「当たり前だ。この状況を考えてみろ」

「先輩、怒ってます?」

「怒ってるよ! 人気のないところで男女二人きり、これで誘うなんて襲われても文句は言えないぞ」

「……ごめんなさい」


 さらに肩をすぼめて小さくなる後輩。

 わかればいいんだが、怒り過ぎた気もする。

 いや、怒り過ぎってことはないだろう。こいつの体のことなんだ、自分で守れなくちゃ意味がない。


 でも、さすがに今のは言い過ぎだ。多分。

 言いたいことを一気に行ったからか、急激に頭が冷えて状況を冷静に飲み込めるようになった。

 ……早いとこ仲直りしないと明日に支障が出る。


「……悪い、言い過ぎた」

「……いいえ、私が注意してなかったのがいけないんです。先輩は正しいです」

「……そうじゃなくて……ごめんな。熱くなりすぎた」


 後輩の顔が見れない。合わせる顔がないというか、後ろめたいというか。

 さっきのは酷い言い方だった。もうちょっと良い言い方があったはずだ。


 嫌がることをしたくない。でも何かしなければ彼女はどんどん離れていく。

 矛盾する2つに挟まれて動けず、絞り出せたのが今の一言だった。


 また、気まずい沈黙が体を冷やす。


 俺が何も言えずにいると、後輩が大きく息を吸って口を開いた。


「先輩。先輩は優しいんです。私のことを心配してくれる優しい人なんです。だから謝らないでください」


 後輩が俺の顔を下から覗き込んでくる。


「うん、ごめん」


 顔を上げて後輩と目を合わせる。大丈夫、笑える。

 後輩に笑って見せると彼女も笑い返してくれる。

 いつもの笑顔。いつもの空気。いつもの後輩。当たり前があることに涙が出そうになった。


「優しくて、温かい先輩だから私は隣にいるんですよ?」

「俺を泣かせるようなことを言うな……」

「優しすぎてヘタレになっちゃうのが玉に瑕ですけどね」

「ヘタレで悪かったな!」






 この後、昼食を摂って久々に明日の約束をした。

 流れで指切りまでしてしまって恥ずかしかった。

 でもこれでいいんだと思う。これくらいの恥ずかしさが俺たちの間には必要なんだと思った。

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