「そんなに私のこと好きだったんですか?」
「先輩……」
「ん? なんだ?」
後輩が俺を見上げている。少し眉が下がっていて不安げな表情だ。まるで子犬のよう。
「その……怒らないんですか?」
「え、なんで?」
何故に俺が怒らなければならないのだろうか? 別に俺の機嫌が悪いわけでもないし後輩が何か悪いことをしたわけでもないのだ。どこに怒る要素があるんだろう?
しかし彼女は不安げな表情のまま、まだ俺の顔を覗き込んでいる。
「なんでって、私が先輩より来るのが遅かったですから……」
確かに今日は珍しく先に屋上に来ていた。多分彼女より早く来たのは初めてだったと思う。
でもなんで彼女はそのことを後ろめたく思っているのだろう? もしかして眉間にしわでも寄っていたか?
「なんでそんなことで怒らなきゃならないのさ? 別にそこまで心が狭いわけじゃないよ」
「……本当ですか?」
「ああ、気にしてない、ってのも違うか。お前が気に病む必要はないよ」
そう言うと彼女は下を向いて、わかりました、と小さく呟いて俺の隣に並んで座った。
……いつもより三十センチほど距離が近い気がするのは気のせいだろう。うん。
「理由、言ったほうがいいですか?」
「別に言いたくないならいいよ」
互いに目線を交わさず、前を向いたまま会話する。
ここまでこいつが変だとこっちも調子が狂う。いつもがかなり積極的なだけに落差が激しすぎて、どうしていいのかわからない。
後輩を盗み見てみる。が、浮かない顔のままだ。
沈黙が苦しい。こいつと一緒に居てそう感じるのは初めてだ。
「……告白されてたんです」
「え……」
驚いた。驚いてしまった。
今までそんな素振りはなかったが少し考えてみればわかることだ。こうも可愛らしい子が入学して、二ヶ月も経てば誰か突撃する奴が居てもおかしくない。
「それで、どうしたんだ?」
声が少し震えてしまった。
彼女が告白を受ければ、多分こうして毎日話すことは出来なくなってしまう。笑い合うことも、からかうことも出来なくなってしまう。
こうやって隣に居ることは出来なくなってしまう。
それは、嫌だ。
息を呑んで彼女の返事を待つ。
時間にしてみればたった数秒間の出来事だっただろう。だけど俺には途轍もなく長く感じた。重くて、苦しくて潰れてしまいそうだった。
「断りましたよ」
「そうか。……よかった」
その言葉を聞いて急に空気が軽くなった。
断られてしまった奴の不幸を喜んでいるようでちょっと申し訳ないがこればかりは許してほしい。
すると後輩は小さく笑い声を上げた。
彼女のほうに振り向いてみると、彼女も俺を見ていた。
「よかった、ってどういうことですか?」
「っ……聞こえてたのかよ」
「どういうことですか?」
さっきとは打って変わって声色が明るくなっている。そしていつもの調子の小悪魔の笑み。気のせいか距離もさらに近づいている気がする。
これで気持ちが落ち着くというのもおかしな話だ。
「言いたくない……」
「そんなに私のこと好きだったんですか?」
「別に……」
「それとも私が他の男のものになるのが嫌だったんですか?」
「うるさい……」
別にそこまで深くは思ってない。思ってないったら思ってない!
ただなんとなく嫌だっただけだ。好きとかそんなのじゃない。
目を逸らそうと顔を動かしたが、小悪魔の笑みが視界に入ってくる。今だけはやめて欲しい。
「大丈夫ですよ。私の好きな人は先輩なので」
しかしこいつはこっちの気も知らずにこんなことを言ってくる。しかも極上の笑顔とセットだ。おかげでさっきから心臓がうるさい。気のせいか体温が上がったような気もする。
だが顔には出さないように頑張る。ここで慌てれば負けだ。何に負けるのかはわからないがとにかく負けな気がする。
「からかうな、バーカ」
そう言って軽くチョップを額に食らわせる。
「痛いです……」
「罰だ。人の気持ちを弄ぶんじゃない」
特にこの小悪魔には重めに与えておかなければ。
「むう……もう知らないです。先輩のバーカ」
「はいはい、バカでもいいですよ」
お互いにわざとらしく腕を組んで少しだけ体を外側に向ける。
しかし我慢できず、十秒も経たずに目だけで後輩を確認してみてしまう。
すると彼女も同じように目だけを向けてこちらを盗み見ていた。
同時に吹き出してしまう。やってることが子供だ。可笑しすぎる。
「バーカ」
「先輩のほうがバカです」
「そうかよバカ」
「うるさいですバカ」
しばらく幼稚な罵り合いが続く。バカ、バカ、と言い合うだけなのにすごく嬉しいというか楽しいというか、まさにバカだ。
「もう終わりにしませんかバカ」
「そうしようバカ」
もう、俺は後輩の告白のことは考えていなかった。そんなことをくよくよ考えるよりこうしてこいつとじゃれ合っているほうがずっと有意義で楽しいと今のやりとりで気付かされた。
本当にこいつといると飽きないな。
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