「私の乙女心を弄んだ罪です」

「なあ、後輩ちゃんや」

「なんですか?」

「甘いものは好きか?」


 ちらりと左側に座っている後輩を盗み見る。

 すると案の定、目をキラキラさせて俺を見上げていた。


「大好きです!!」


 予想以上の食いつきっぷりに少し驚いた。

 やっぱり女の子はみんな甘いものが好きなのか。いや、うちの母さんは嫌いだったっけ。


 ブレザーの右ポケットから薄い箱を取り出して、後輩に渡す。


「じゃあ、あげる」

「チョコレートですか?」


 渡したのは紛れもないただの市販のチョコレートだ。十二粒1ダース入りのやつ。未開封。

 チョコを受け取った後輩は不思議そうに目を丸くして俺の顔を覗き込んだ。


「バレンタインにはまだ八ヶ月くらい早いですよ?」

「バレンタインじゃねえよ」


 なぜ男子が女子にチョコを渡すのだ。いや最近は逆チョコなるものもあるし、もともと外国では男子から渡すのも普通らしいが。


「じゃあどうしたんですか?」

「朝、コンビニに寄った時に衝動買いしてしまった」

「どうしてまたそんなことを?」

「眠気を疲れと勘違いして体が甘いものを欲してたんだよ」

「わかるようなわからないような……」


 昨日は四時まで起きてたんだから仕方ない。俺だってたまにはやらかすのだ。

 だからそんな怪訝そうな目を向けないでくれ……。


「まあ、何にせよここにチョコがある」

「開き直りますか……」

「だけど俺一人じゃ十二粒も食べきれない」

「つまり私は消費要員ですか?」

「そういうことになる……」


 後輩は俺の顔を無言で数秒見つめて、大げさな仕草でため息を吐いた。

 確かに期待させたのは悪かったけど、そこまで落ち込まなくてもいいじゃないか……?


「あ、あの……水瀬みなせさん?」

「なんですか? 朴念仁先輩」


 俺はそんな不名誉な名前をもらった覚えはない。


「いや、その、悪かった、ごめんなさい」

「本当にそう思ってますか?」

「思ってます……」


 俺は後輩を直視することができない。多分彼女は怒っている。今まで朴念仁なんて言われたことはなかったはずだ。


 しばらく沈黙が続く。

 すると後輩が箱を開けてチョコを一粒取り出した。


「先輩」


 後輩は手に持ったチョコを俺の口に向かって、ずいと突き出してくる。


「口を開けてください」


 ……それは、いわゆる、あーんというやつでは?


「いや、なんで?」

「私の乙女心を弄んだ罪です」

「いやでもそれは恋人同士がやるもので」

「溶けちゃいますから、早くしてください!」


 そう言われましても……。


 しかし彼女はまだチョコを俺に押し付けてくる。これ、俺が折れないといけないやつですか?


「はい、あーん」

「いやだっ」


 一旦距離を取ろうと後ろに下がるがすぐに背中がフェンスにぶつかった。しかも後輩は俺の前に回って進路を塞がれる。

 結果的に相対距離は変わっていない。いやむしろ近くなった。


「大人しく諦めてください!」

「絶対に嫌だ!」


 これだけは譲れない…………ってわけでもないか。でも反射的にそう口にしていた。


「私のことが好きなんじゃないんですか?」

「それは、そうだけど……」

「じゃあ何でダメなんです?」


 咄嗟に言葉が出なかった。

 その隙に後輩がさらに距離を詰めて、顔と顔の距離が三十センチくらいまで迫ってきた。

 顔を逸らして目の前を見ないようにする。


「少しでも罪の意識があるなら大人しく従ってください」

「そりゃあるけど……」

「この前の私のことが好きっていうのは嘘だったんですか?」

「それとこれは……」


 言葉が止まってしまった。なぜなら、ちらりと覗き見た彼女の顔が拗ねて泣きそうな感じだったからだ。


「え、水瀬さん?」

「……なんですか、朴念仁先輩」


 だからそんな不名誉な名前をもらった覚えはない。


「その、そんなに嫌じゃないから。やってもいいから」

「……本当ですか?」

「本当だ。さっきは恥ずかしかっただけ」


 いや、今も恥ずかしいけど、やらなければこいつの機嫌が戻らないかもしれない。

 ならやるしかない。俺にとってこいつを喜ばせることは最優先事項なのだ。


「いいんですか?」

「しなくてもしいなら俺は寝るぞ」


 わざとらしく目を瞑ってみる。


「やりますっ、だから起きてください」

「はいはい」

「……あーん」

「あー」


 舌の上にチョコが転がり落ちる。口を閉じてそれを転がすとねっとりとした甘さが口の中に広がった。


「先輩、耳赤いですよ?」

「お前だって顔真っ赤だぞ」


 言われるまでもなく耳が赤くなっているのは自分が一番分かっていた。だってものすごく熱くなっていたから。

 女子に餌付けされるだけでも恥ずかしい(と思う)のに、それが学校一の美少女なのだから破壊力が違う。正直心臓が止まるかと思った。


「普通に食べよう」


 しばらく熱を逃がしてから言った。

 俺も彼女も気まずくなって動けていなかったのだ。


「そうしましょうか」


 後輩はそう言ってチョコの箱を差し出してきた。一粒手に取る。


「食べないんですか?」

「ああ、食べるよ」


 そう答えつつもチョコを口には入れない。


「なあ、後輩ちゃん」

「なんですか――っ」

「仕返し」


 後輩の口が開く瞬間に合わせて手に持ったチョコを彼女の口に放り込んだ。

 すると彼女は少し固まって、次にまた顔を真っ赤に染めて目を逸らしてしまった。


「先輩のくせに……」

「後輩ちゃんは可愛いなあ」

「からかわないでくださいっ」

「からかってないよ」

「もういいです、先輩なんて知りません」


 そう言って彼女は完全に背中を向けてしまった。

 仕方がないのでチョコを食べる。さっきよりは甘くない。

 甘さに慣れたのではなく、さっきのチョコが特別甘いものだったのだと思いたい。


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