「まだわからないんですか?」

 体がとても重い。一歩踏み出すのにいつもの三倍以上の気力と体力が持っていかれる。それでも約束を反故にするわけにはいかない。

 階段を登るのがこんなに辛いのは初めてだ。理由はただひとつ、後輩に会うのが怖いだけだ。昨日、をして普通にしていられるはずがない。


 昨日、俺たちは事故を起こした。具体的に言えば口と口が接触……は余計わかりにくいか。簡単に言えばキスをしてしまった。俺が、寝ている後輩に。

 しかしそれだけでは終わらなかった。

 寝ていると思ったいた後輩は起きていた。当然彼女は俺がキスしたことに気付いた。

 そして後輩は言った。

「リテイクです」と。


 一回目は不問。二回目は合意があったとはいえ、付き合ってもいない人とキスをしてしまった事実は変わらない。

 犯した罪の重さに押し潰されそうだ。しかも後輩被害者が訴えない以上この罪は消えることは無い。

 ……死にたい。


 現実はそう上手くはいかず、結局死ぬ事も出来ず屋上に着いてしまう。


「はぁー……」


 ため息を吐いて、少しでも体を軽くする。

 そして覚悟を決め、屋上へのドアを押し開けた。


「遅いです……」


 いつも通りに拗ねる後輩。


「わ、悪い……」


 噛んだ。今のはいつも通りの後輩に驚いただけだ。多分。

 昨日のことなど無かったように努めて冷静に、不自然にならないように後輩の隣に座る。


「昨日はよく眠れましたか?」


 横にいる俺に向かって顔を向けてくる後輩さん。その視線を避けるために顔を前向きに固定。

 しかしいきなり際どい質問をしてくる。こっちは意識しないように頑張ってるのに。


「昨日はなかなか寝付けなかったな」

「……それは私のせいですか?」


 そんなことを言われたら嫌でも意識させられる。

 昨日の寝顔、唇の感触、心臓のうるささ、キスの後の後輩の表情。今まで堰き止めていた昨日の記憶が一気に流れてくる。

 ああ、もう。なにしやがる……。


「半分はね」

「もう半分は?」

「未熟な俺のせい」


 俺がもうちょっと魔法使いとして生きていられたら昨日の記憶を消していたかもしれないし、感情のコントロールが上手ければそれすらも必要ない。


「私も眠れませんでした」

「……ごめんな」

「何がですか?」

「俺が……したから」


 するといきなり後輩は立ち上がり、俺の目の前に回り込んだ。口を引き結び、体に力が入っている。もしかして、怒ってる……?


「謝らないでください」

「でも――」

「でも、は無しです」

「悪いことしたから……」

「何がです?」

「寝てる時に、キスしたこと……」


 二回目は辛うじて合意があった。でも一回目は完全に犯罪だ。強制わいせつ罪だ。

 それよりも、勝手に彼女のファーストキスを奪ってしまったことに罪悪感を感じていた。ただの少し仲のいい先輩なのに、あんなことをしてしまったのに、何も裁こうとしない後輩に大きな引け目を感じてしまう。


「先輩、問題です」

「なんでしょうか……?」

「なぜ私はやり直しを要求したのでしょうか?」


 なぜって言われても……一回目が気に入らなかったからって理由じゃ……?

 すると後輩は俺の視線をその瞳に合わせて笑った。


「私がもっと先輩とキスしたかったからです」

「……え?」


 後輩の笑顔と言葉に頭が回らなくなる。

 聞こえるのは自分の心臓の音だけ。


「まだわからないんですか? ……私、先輩のことが好きなんです」


 好き? お前が? 俺を?

 信じられない。そんなわけない。そんな感情がループして頭の中をぐるぐるする。


「だって、お前、そんな……」

「嘘じゃないですよ?」


 本当に後輩が俺のことを好きなのだとしたら、それで辻褄が合う。今の発言も、昨日の行動も。

 でもそんなことが、冴えない俺がこんな可愛いやつに好かれるなんてことがあるだなんて信じられない。


「だから先輩が昨日したことは許してあげます。その代わりに……」


 顔が近づいて視界一杯に後輩の顔が広がる。そして


「……私をちゃんと捕まえてくださいね?」


 小悪魔の笑顔でそう言った。


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