あをによし-奈良の都は盛りなり-
しきしま
第一章 長屋王
長屋王の変
邸宅包囲
明かり取りの窓に掛けてある簾から朝日と鳥の声が入ってくる。朝日は布団から出るように急かしているが、小鳥の声は優しく二度寝を誘っている。神亀六年(七二九年)二月十一日も平穏に夜が明けた。
左大臣長屋王は、布団に仰向けのまま、ぼんやりした頭で天井を見た。
長屋王は天武天皇の孫である。父の
布団から出るのをためらっている長屋王の横には、吉備内親王が心地よさそうに寝息を立てていた。長屋王は元明天皇にかわいがられ、天皇の次女である
宮中へ上がれば、左大臣として忙しい日が待っている。慌ただしい一日が始まる前のひとときを生暖かい布団の中で楽しみたい。幾つになっても、朝廷で重責を担う身であっても、春の夜明けは布団が恋しい。
ピヨピヨという小鳥の声は、そろそろ起きなければならないという思いを優しく包み込み自然にまぶたが閉じてくる。
長屋王は布団に横たわったまま伸びをした。手足が伸びたおかげで、眠気はなんとか追い払うことができた。天井の節目模様もはっきり見えてきた。
聖武天皇は、今日も浮かない顔で朝議に出るのだろうか。
一歳にならない
朝議での聖武天皇を見ていると、息子の膳夫のほうが天皇にふさわしいと思えてくる。元明天皇が、膳夫たちを皇孫にしてくださったのは、聖武天皇が天皇職を放りだすとか、後嗣がないままに崩御した場合に備えてのことだったのかもしれない。いっそのこと天皇には退位願って、膳夫を天皇に据え、自分が国を切り盛りしたほうが良いのか。
不敬な考えを持ってしまった。天皇をすげ替えるなどと、左大臣が謀反を考えては洒落にならない。膳夫は左大臣となるべきだ。聖武天皇が頼りない今、左大臣である自分が政をしっかりとしなくてはならない。
聖武天皇はまだ良い。問題なのは
朝日が部屋の中に直接入ってきて起き上がるように急かしてきた。そろそろ着替えをしなければならないが、やはり暖かい布団の中が恋しい。
長屋王が上体を起こし、大きなあくびをしたとき、寝所の戸を勢いよく開けて入ってくる者があった。
「長屋王様、お目覚めください。お屋敷が軍勢に囲まれています」
開け放たれた戸から冷気が勢いよく流れ込み、長屋王の体を包み込む。
「騒がしいぞ
長屋王に叱られた
長屋王の横で寝ていた吉備内親王は体を起こし、子虫の姿を見ると慌てて寝間着の衿を整えた。
「無礼を承知でお知らせに参りました。一大事です。今まで見たことのないような数の兵馬がお屋敷を囲んでいます。門の前だけではなく、塀の外にも鎧甲に身を固めた者たちがいます。屋敷からは猫の子一匹抜け出ることができません。すぐに着替えてお出ましください」
「兵の訓練があるとは聞いておらぬが、どこかへ行く途中なのではないか」
長屋王は大きなあくびをする。子虫の後からついてきた二人の采女が、長屋王と吉備内親王に羽織を着せてくれた。
「寝ぼけていては困ります。兵は屋敷を睨んで動こうとしません。明らかにお屋敷を狙っているのです」
「左大臣を狙う者があるか」
長屋王は立ち上がって、羽織を掛け直した。
「何かの間違いであろう」
「資人たちに、屋敷を囲んでいる兵の中に知った顔がないか。事情を聞ける者がいないか調べさせています。屋敷の者たちが不安になっておりますれば、お召し替えをして指示をください」
寝所から縁側に出ると、冷たい空気に身が引き締められた。雲一つなく晴れ渡った空からはまぶしい日の光が降り注いでいる。光に目を射られて、一瞬何も見えなくなる。思わず左手で日の光を遮った。
しばらくすると目が慣れて、あたりが見えるようになってきた。
屋敷の庭では家人たちが不安そうにうろうろしている。塀の外からはおびただしい殺気が流れ込んできているが、粛として人の声は聞こえてこない。ときおり馬の鳴き声が聞こえるだけだ。
縁側に出た長屋王に大伴子虫が報告する。
「兵の数からすると五衛府が総出で、屋敷を包囲しているようです。文字どおり蟻の這い出る隙間もありません。兵は静かにしていて、今すぐに襲ってくるというわけではなさそうですが、下人たちはおびえきっています。いったい何が起こっているのでしょうか」
こちらが聞きたい。いったい何が起こっているというのだ。何故に我が屋敷が兵馬で包囲されなければならない。
「誰が何の目的で……」
謀反であれば、兵を屋敷に入れることに躊躇しない。兵が屋敷になだれ込んでこないのは、左大臣の権威を畏れるからだ。左大臣を畏れるのならば兵など出さない。そもそも、兵馬の大権は天皇にある。兵部卿であっても勝手に兵を動かすことはできない。
「聖武天皇が兵を使って我が屋敷を包囲しているというのか。あの気弱で優柔不断な天皇が? 自分がいないと何もできない天皇が? 十五年以上にわたってめんどうを見てきた天皇が、恩を仇で返すというのか」
聖武天皇の即位に悩んだ十五年前のことが不意に思い起こされてきた。十五年前、聖武天皇は
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