舎人親王との確執

 霜柱の上を吹いてくる風は冷たく、厚着をしていても体が冷える。宮中の役人や采女も背中を丸め手を懐に入れて歩く。生駒山の山頂には、年明けに降った雪が残っている。宮中の西池は、張った氷が一日中溶けなかったという。空を覆う鉛色の雲は動く様子がなく、雪を降らす時を待っているらしい。

 養老六年(七二二年)一月二十日、年が明けてから初めての朝議が行われた。長屋王は右大臣に昇進し太政官だじようかん筆頭となっていた。長屋王の横には、舎人親王が知太政官事ちだじようかんじ、新田部親王が知五衛及授刀舎人事ちごえおよびじゆとうしやじんじという令外官りようげのかんを与えられて座っている。律令の役職上では、長屋王の方が二人の親王より格上となるが、血筋では両親王の方が長屋王よりも格上となる。他に参議として、巨勢祖父こせのおおじ、大伴旅人、藤原武智麻呂ふじわらむちまろ藤原房前ふじはらふささき多治比池守たじひのいけもり阿倍広庭あべのひろにわが座っていた。

 長屋王が正月の行事が一通り終わったことを元正天皇に向かって報告したとき、天皇の横に座る首親王がくしゃみをした。首親王は霊亀二年(七一六年)に、藤原不比等の娘である光明子こうみようし安宿媛あすかべひめ)を夫人ぶにんに迎えていて、二人の間には五歳になる阿倍内親王がいた。

 首親王は、娘の襁褓が取れるようになったというのに相変わらず自信なさそうに見える。后をもらって子供ができれば変わるかと思っていたが期待は外れてしまった。我ら公卿を睥睨するくらいでないと、天皇は務まらない。同い年の光明子が、国の力に頼らずに悲田院ひでんいん施薬院せやくいんを作るのだと頑張っているのに、首親王は自分で動こくことがない。光明子の方がしっかりしている。きっと閨でも光明子に敷かれているに違いない。首親王は舎人親王や新田部親王のふてぶてしさを見習って欲しい。

 石上麻呂殿、藤原不比等殿が相次いで亡くなって、自分が朝議の筆頭になったから、本当はもっと自由に政を行えるはずなのに、邪魔な二人が令外官として朝議に加わって、政に文句ばかりつけてくる。まったくもって腹が立つ。特に舎人親王は、元明天皇が膳夫かしわで葛木かつらぎを二世王にしてくれたときから自分に突っかかってばかりいる。

 舎人親王が手を上げた。

「去年の最後の朝議で上奏した開墾計画を、良田百万町歩開墾計画として発表し実施したいと考えます」

 やれやれ、舎人親王は敵愾心むき出しで、現実味のないことを言う。

「舎人親王は百万町歩と言われたが、我が国の田の広さをご存じかな」

 奈良時代初期の朝廷は、戸籍、風土記や地図の作製によって、全国の人口、田畑の面積、税収などを正確に把握している。

「約六十万町歩だ」

「現在六十万町歩しかないのに、倍近くの百万町歩を開墾するとはお笑いではないか」

「長屋王は人の話を最後まで聞いてほしい」

 舎人親王は「ふん」と鼻を鳴らして続ける。

「食物は民にとって最も大切なものであり、食を備えるために時節にかなった政を行わねばなりません。農耕を奨励し穀物を蓄えることを所司に命じますが、これだけでは足りないでしょう。人夫を十日間に限って臨時に徴収し、国から食料や農具を支給して肥沃な土地の開墾に当たらせます。さらに、開墾に精励して三千石以上の実績を上げたものには、終生租税を免除するという特典を付けます。東北には肥沃な土地が余っているとの知らせがあります。南国の肥後や薩摩も同様であると聞いています。蝦夷を慰撫し隼人を帰順させれば百万町歩も夢ではありません」

「実現不可能な計画を出しても百官や民は付いてこない。無謀な計画は人々に笑われるだけだ」

「長屋王は、私の案をよく考えもしないで勝手なことを言う。政には大きな目標とか、夢が必要なのだ」

 舎人親王が気色ばんだところで、新田部親王が口を出してきた。

「開墾も良いのですが、税収や庸役の元になる戸籍が乱れてきています。例えば美濃や筑紫から上がってくる戸籍は男女比がほぼ同じですが、下総から上がってきた戸籍は男十に対し女十三と明らかにおかしくなってきています。女にも口分田が支給されますが、庸、調、雑徭は課せられないことから、里長などが税を逃れるために謀っていると考えられます。加えて、近年では都に出てきたままで国に帰らない浪人が増えております。浪人を本貫ほんがんの国へ返すか、浪人だけ別の戸籍を作るべきです」

「新田部親王が言うことも一理あると思いますが、私は人口が増え口分田が不足してきていることが根本の原因だと思います」

「長屋王は、私が言った開墾計画を否定したではないか。言うことがいい加減すぎる」

「私は、舎人親王の計画に実効性がないと言ったまでです。開墾するためには民の意欲が一番重要です。既存の用水や池を用いて開墾した者は一代に限り、用水を新たに作って開墾した者には三代まで田畑の所有を認めるという特典を付ければ、民は喜んで開墾に励むでしょう」

「田畑の私有を認めては、律令の根本である公地公民が崩れるではないか」

 新田部親王の言葉に舎人親王が続ける。

「自分が提案した終生租税免除の方が理にかなっている」

 律令の根本云々と知ったかぶりをされても困る。私こそが、律令を作った藤原不比等殿の後継者なのだ。

 律令では決められた以上の口分田を持つことができない。開墾しても口分田の面積を超えたら公収されてしまうので開墾意欲が出ない。だから、民の開墾意欲を刺激する政が必要なのだ。実際に、我が国が手本とした唐の均田制は、口分田のほかに永業田えいぎようでんという私有を認められた土地がある。二人の律令に関する知識は浅い。

 舎人親王と新田部親王は、いつでもケチを付けてくる。令外官である二人は、右大臣として太政官筆頭であることがうらやましいのか。二人がいては、自分の政がやりにくくてしかたがない。大宰府やどこかの国司として飛ばしてしまいたいが、何か良い口実はないものか。

「開墾地には税を掛けますし、いずれ公収されるのです。律令の根本を変えることはありません。むしろ、田畑が借り物ではなく、自分の財産であると感じることができれば、農耕に励み、積極的に開墾するでしょう」

 長屋王、舎人親王、新田部親王が言い争いになったところで、藤原房前が口を挟んできた。

「三人とも、お控えください。朝廷の重鎮が言い争っていては、天皇様や皇太子様がお困りです」

 元正天皇は口を固く閉じ苦り切った顔で宙を見ていた。首親王は目と口を閉じて下を向いている。巨勢祖父や大伴旅人などほかの参議は「またか」という、あきれ顔をしていた。朝議の雰囲気は明らかに悪い。

「三人が問題とされていることは、民に配給する口分田がなくなってきていることです。解決策は一つではないと私は考えます。年明け最初の朝議でもありますので、三人とも持ち帰って、政の詳細を詰めた上で再び朝議で奏上したらいかがでしょうか」

 元正天皇がゆっくりと息を吐き出しながら頷いたので、長屋王たちは頭を下げた。

「私から天皇様に決裁してほしい儀があります」

 元正天皇の「どのようなことでしょう」という言葉に房前は続ける。

「先に、丈部路石勝はせつかべみちのいわかつという漆部司ぬりべのつかさの官吏を、漆を盗んだ罪により流罪にすると決めましたが、息子の祖父麻呂おじまろ安頭麻呂あずまろ乙麻呂おつまろの三人が、自らを官奴の身分に落とし父の罪を償うので減刑して欲しいと願い出ています。息子らはそれぞれ、十二、九、七歳です。三人が申しますには、石勝いわかつが役所の漆を盗んだのは子供たちを養うためであるので、父の罪を一緒に償いたいとのことです。どのように処分すべきか判断を仰ぎたいと思います」

 退屈そうな顔をして座っていた首親王は目を輝かせた。

「幼い子供らが父のために尽くそうとする気持ちに心を打たれました。石勝を許し子供たちには褒美を下しましょう」

 首親王は単純すぎる。房前殿は、朝議の険悪な雰囲気を変えるために石勝の話を出したのだ。この程度のことであれば朝議に諮ることなく、房前殿だけで決裁できる。しかも、首親王は律令で国を動かすということを理解していない。情と法は違うことを、房前殿の上奏を借りて首親王に教えなければならない。

「皇太子様に申し上げます。国家は律令で統治してゆくものであり、天皇といえども律令に従って賞罰を決めねばなりません。感心することがあるからといって判断を変えていては、人々は律令に従わなくなります。石勝の子供が殊勝だからといっても、法を曲げて罪を許すことはできません。もし、石勝の罪を許すのであれば、漆を盗んだ罪を償わせるために、子供らを官奴にしなければなりません」

「律令を守ることの大切さは分かっているが、長屋王は情がなさすぎる」

 すぐにふてくされてしまう。生まれながらの天皇は、世渡りの術を知らないから、人の言うことを額面どおり受け取ってしまった。自分にだって人の情くらい分かるし、政に情けがなければならないことは首親王に言われなくても知っている。律令を守り石勝親子を救うなど簡単なことなのだ。

 長屋王は元正天皇を見た。

「朕も長屋王の言うとおり、幼い子供らの心に免じて石勝の罪が消えるものではないと考えます。しかし、人には常に行わなければならない徳があり、孝行はすべてに優先しなければならないとも考えます。幼い祖父麻呂らは自分の身を官奴に落として父の罪を償い救おうとしています。物事の道理を通すと同時に憐れみを掛けるべきでしょう。願いに従って子供らを官奴とし父の石勝の罪を許しましょう。父への孝行は民の手本として褒賞しなければなりません。官奴へ身を落とし罪を償った後は、孝行を褒賞してすみやかに元の身分にもどし、父子共に末永く朝廷に仕えてもらいます」

 さすがは元正天皇だ。私や房前殿の考えていることを見事にくんでくださった。

 首親王が情のある政の行い方を学んでくれればよいのだが。無邪気に明るい笑顔になった首親王は、本当に理解したのだろうか。これからも天皇や房前殿と一緒に首親王を鍛えてゆかねばならない。

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