三宅麻呂の誣告

 再び舎人親王が手を上げて発言を求めた。

「実は、多治比三宅麻呂たじひのみやけまろが長屋王に不穏な動きがあると告発してきています」

 朝議の雰囲気が一気に変わった。

「私に不穏な動きとは何だ!」

「三宅麻呂の告発では、長屋王は光明子様に男子が産まれないように呪いを掛けているとのことです」

「馬鹿なことを言うな! 私は皇太子様に男子が産まれ皇統が安定することを願っている。光明子様を呪って私に何の得があるというのだ」

 長屋王の怒り声に舎人親王は一瞬ひるんだ。

「三宅麻呂によれば、長屋王は、皇太子様に皇子が生まれなければ、二世王の宣下を受けている膳夫王にも皇位継承の可能性がでてくるとして、光明子様のご懐妊を阻むよう呪いをかけているとのことです」

 二世王であれば、舎人親王の子供はみな二世王ではないか。お前こそ頼りない首親王に変えて息子を天皇にしたいのではないか。それとも、私を陥れて右大臣の地位を得たいのか。いずれにせよ舎人親王は無実の罪を着せようとしている。

 長屋王が答える前に新田部親王が口を挟んできた。

「長屋王は、自身が催した宴会で穂積老ほづみのおゆが天皇を非難する言葉を吐いたにもかかわらず、そのまま帰してしまったと聞いています。臣下が天皇を非難することなどあってはなりません。穂積老は式部省の大輔たいふ(次官)ですので、式部卿(長官)である長屋王には部下の監督責任があり、二重に責めを負うべきです」

 新田部親王も一緒になって私を陥れようとしているのか。それとも、先ほどの議論で新田部親王の案を否定した意趣返しか。

 自分は右大臣だ。舎人親王や新田部親王が敵対するのならば、右大臣の地位を使って二人を封じ込めてやる。

 首親王は難しい顔をしていた。

 首親王は舎人親王と新田部親王の讒言を真に受けているのか。人の言葉の裏にあるものを読めないとは情けない。首親王を鍛えなければならないが、まずは舎人親王と新田部親王を懲らしめてやる。

「私が光明子様に呪いを掛けているなどとは言いがかりも甚だしい。膳夫や子供たちには天皇様や皇太子様に尽くすよう常々教えている。百官を慰労する宴会を開くことがあるが、来客で天皇様に不満を言う者はいない。もし不遜なことを言う者がいたら右大臣としてその場で処罰している。穂積老が天皇様について不敬なことを言ったのならば、処断しなければならない」

「盗人も最初から罪を認める者はいない」

「私を盗人呼ばわりするのか!」

「三宅麻呂は、左大弁、民部卿、河内国摂官など歴任している高官。穂積老は式部省の大輔。呼び出して事の真偽を質せばよい」

 舎人親王は涼しい顔で長屋王から視線を外した。

「三人ともお待ちなさい」

 元正天皇の声に、長屋王たちは上座を見た。

「長屋王は長年にわたって朕の右腕として誠意を持って勤め、皇太子に政の要諦を教えてくれている忠臣です。特に藤原左大臣(不比等)が亡くなってからは太政官の筆頭として政に精励してくれています。皇親である長屋王が光明子を呪うなどありえませんし、酒の席とはいえ天皇や皇族に対する暴言を見逃すことはないでしょう。多治比三宅麻呂は誣告、穂積老の暴言は長屋王とは関係ない宴席でのことでしょう」

 あっけなく片が付いてしまった。元正天皇が即決で冤罪を晴らしてくださったから、舎人親王と新田部親王は何も言えまい。二人の歯ぎしりが聞こえるようだ。

 長屋王は心の中で二人を笑った。

 さて、舎人親王と新田部親王に反撃しよう。

「太政官を誣告する者、天皇を誹謗する者は、高官であろうとも厳罰に処さなければなりません」

「長屋王はどのような処罰をしたいのだ」

 という首親王の質問に、長屋王は

「律令に基づき斬刑にすべきです。讒言を真に受けた者も罪を免れることはできません」

 と答えた。

 首親王が不安そうな顔をして天皇を見ている。「斬刑」という言葉におびえているのか? 私が多治比や穂積を本当に殺したいと思っているのだろうか。斬刑とは駆け引きの材料であることを理解して欲しい。そして、天皇に助言など求めず、自らの意見を言えるようになって欲しい。むくれている舎人親王や、苦虫をかみつぶしている新田部親王を見習って欲しい。

 首親王は言う。

「自分も多治比三宅麻呂や穂積老を見知っている。二人は殺されなければならないほどの悪人ではないと思うのだが……」

「秋霜烈日です。巨大な国家は情ではなく法をもって統治しなければなりません。律令を厳密に施行することで、法と運用する者の権威が生まれるのです」

 首親王は下を向いてしまった。代わりに房前が口を開く。

「多治比と穂積は天皇様のために精勤してきた者です。長屋王殿の言われる律令の重要さは承知しておりますが、舌禍で命を奪うには冷たすぎます。天皇様の慈悲をいただきたいと思うのですが」

 房前の言葉に、元正天皇は頷いた。

「朕も藤原卿と同じ意見です。多治比と穂積の罪は重いとは考えますが、八虐に当たるというわけではありません。斬刑ではなく流刑とします。二人を処罰することで、多治比や穂積の言葉の背景にある者への忠告にもなるでしょう」

 天皇の言葉に舎人親王と新田部親王は口を固く閉ざしてうつむいた。

 房前が続ける。

「本来ならば斬刑にすべきところを、皇太子様が助命を願い出たので減刑したと発表してはいかがでしょうか」

 元正天皇は物事を良く理解してくださるし、房前殿は私の考えを良く察してくれる。分かっていないのは首親王だけか。自身の名前が出たことにきょとんとした顔をしてはいけない。房前殿は、将来の天皇として首親王の権威を高めようとしているのだ。

 天皇が房前の上奏を裁可したことで、二人の処分が決まった。

 房前殿に救われた気がするが、私を陥れようとした舎人親王と新田部親王を許すことはできない。

 内憂外患とは今の自分の状況を言う。

 外患は、口分田が不足しているから開墾を奨励する政を考える必要があること。東北の蝦夷、南国の隼人はいまだに天皇に服属していないで反乱を起こしているから、懐柔か討伐を決めなければならないことだ。内憂は、首親王には未だに天皇になる威厳や知識が備わっていないこと。舎人親王と新田部親王は自分に直接対決してきたことだ。

 政はただでさえ難しいのに、めんどうごとだけ増えてゆく。

 長屋王がため息をついたとき、元正天皇が朝議の終了を宣言した。

 雰囲気の悪い部屋から逃げるように参議たちが退出してゆく。替わりに冷たい風が部屋の中に吹き込んできた。

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