基親王

藤原宮子称号事件

 神亀元年(七二四年)二月四日。元正天皇は譲位し、首親王が即位して聖武天皇となった。

 空は晴れて日の光が降り注ぎ、朝堂院の庭では、気の早い梅が白い花を咲かせている。夜に開かれる宴会での練習をしているのか、どこからら雅楽の音が聞こえ、厨からは振る舞われる料理の、おいしそうな香りが漂ってきた。下級官吏まで祝いの品が下賜され、宮中は笑い顔が絶えない。都の辻々には即位を祝う幟や旗が立てられ、東西の市はいつもの倍の人出でにぎわっている。人々は新天皇を称え、都は天皇の即位を祝う空気で満たされていた。

 聖武天皇の即位に合わせ、長屋王は従二位右大臣から正二位左大臣に昇進。新田部親王は二品ほんから一品(一位相当)へ昇叙。すでに一品の舎人親王は五百戸を加増された。「品」は親王、内親王へ、「位」は臣下へ下賜する位階である。

 長屋王は中下級官吏の昇叙案、恩赦と下賜品について聖武天皇に上奏した。

「以上が、聖武天皇様の即位を祝うための政です。準備は整っていますので、勅許をいただきしだい担当官吏に申しつけます」

 聖武天皇は、元正太上天皇が頷くことを確認してから、長屋王が差し出した上表書に「可」と朱書きして返した。

 長屋王、舎人親王、新田部親王、藤原房前以下は、元正太上天皇と聖武天皇に深々と頭を下げ、受け取った詔書に副署してゆく。

 朝議が終わったという雰囲気が流れたときに、聖武天皇は懐から紙を取り出した。

「人には常に行わなければならない善行がある。なかでも孝行は何よりも優先しなければならないという。人の上に立つ天皇といえども、孝行をおろそかにしてはならない。むしろ人の上に立つからこそ、率先して孝行し人民の手本となすべきである。朕の即位に伴い、母親である藤原宮子を大夫人おおみおやと呼んで尊ぶことで孝行の一つとしたい」

 聖武天皇が広げて見せた紙には御璽御名があった。席を立とうとしていた者たちは、慌てて座り直して聖武天皇を見た。

 律令では、天皇の妻を出自によって皇后(正室)、夫人ぶにんひんと格付けしている。皇后や妃は皇族、夫人は公卿の娘、嬪はその他に与えられる。聖武天皇は、皇族でない母を持つ、最初の天皇であった。

 聖武天皇には、朝議で物事を諮るときは必ず私を通してくれと言ったのに、最初の朝議から私を通さないで勅書を出してきた。しかも勅書には必要がない御璽御名まで入れてある。天皇にもう一度釘を刺し、中務省なかつかさしようや弁官らにもきつく言っておかねばならない。

 天皇は、「大夫人だいぶにん」と書いて「大御祖おおみおや」と読めと言う。宮子の身分は皇后ではなく夫人ぶにんだったから「大夫人」とするのは理解できる。しかし、文字と読みを違えるのは変なことだし、そもそも、大御祖は皇后であった者に与えられる尊称だ。

 天皇は日頃から母親が藤原氏の出であることに引け目を感じているから、母親を皇后と同列にして、自分の劣等感を解消したいのだろう。並ぶ者がなく、誰にも遠慮することがない天皇という地位に就いたというのに気が弱いことだ。

 私に相談してくれれば、もっと上手に事を運べるのに。尊称を贈ることで劣等感を解消することができるのならば一肌脱ぐとしよう。

「天皇様に申し上げます。だだ今の勅は、藤原宮子様を大夫人と書いて『おおみおや』と呼ぶようにとのことですが、律令の公式令くしきりようによれば、天皇の生母様で、前天皇の夫人であったお方は皇太夫人こうたいぶにんとなります。勅命に従えば律令を破りすめらぎの字を失うことになり、律令を守れば天皇に背く罪は免れません。勅令と律令のいずれに従えばよいか、伏して指示を仰ぎたいと思います」

 聖武天皇は、皇族ではない者に「皇」を付けることをためらっている。皇太夫人であれば、天皇の自尊心が満たされ、「孝行」ができるだろう。

「長屋王は天皇が下された勅を撤回せよと言うのか。天皇は、明神御宇天皇あきつかみとあめのしたしろしめすすめらみことの名が示すように、国のすべてを超越されたお方である。天皇の思し召しに臣下が逆らおうというのか」

 舎人親王は毎回ケチを付けてくる。母親の権威を上げることで、天皇が、自らの劣等感を解消しようと考えていることがわからないのか。天皇の気持ちを理解せずに、何が思し召しに逆らうことはできないだ。笑わせてくれる。

「国家は律令で統治してゆくものです。人の上に立つ天皇自らが律令をないがしろにしていては法の権威が落ち、人々が法に従わなくなります」

「律令は天皇が国を治めてゆくときの道具にすぎない。長屋王は道具に使われよと言うのか」

 長屋王と舎人親王が部屋の雰囲気を悪くしたところで、房前が手を上げた。

「本日は天皇様が即位されて最初の朝議というめでたい場です。長屋王様も舎人親王様も、角突き合わせることはお控えください。藤原宮子様を「皇太夫人」と記してし、「大御祖おおみおや様」と読むようにしたらいかがでしょう」

 聖武天皇は難しい顔をしていた。

「左大臣が言うように、律令は国家の基本であり、朕が律令を破って政を行ったのでは、誰も律令を守らないだろう。先に出した勅を撤回し、藤原卿の言うとおりにせよ」

 聖武天皇の肩が小刻みに揺れ、声が固いところからすると、せっかく「皇」の一字を贈ったのに、自分の提案が気に入らなかったのだろうか。それとも、天皇として初めて出した勅を引っ込めたことに屈辱感を覚えたのだろうか。いずれにせよ難儀な性格だ。

 「朕」とか「卿」という言い方が様になっていないことは愛嬌として、素直に皇の字を喜べばよいのに、妙なところで意地を張る。

 長屋王がゆっくりと息を吐き出しているときに、聖武天皇は立ち上がって「藤原卿は中務省にて勅を出すように手配せよ」と言い残して部屋を出て行ってしまった。

 長屋王は、朝議の閉会を告げて聖武天皇の後を追う。

 廊下で捕まえた聖武天皇は、「むっ」とした顔を向けてきた。

「朝議で諮る事柄については、私と藤原房前に事前にお知らせください。物事によっては根回しが必要なときもありますし、いきなり諮問されては私たちも良い答えが出せません」

「左大臣には心配をかけた」

 棒読みで答える聖武天皇を相手に、長屋王は続ける。

「政については、私と房前殿にて、天皇様のなさりたいようにうまく持ってゆきます。今回の件では、出自が藤原氏であっても皇の字を使うことができるという先例を作りました。光明子様は夫人ふにんですが皇を使うことが、つまり皇后様と呼ぶ布石が打てたのです」

 長屋王の話には聞く耳を持たないとばかりに、聖武天皇は顔をそらして、スタスタと去っていった。

 天皇は、全く持って難しいお方だ。

 日の当たらない廊下は、冷たさが足から伝わってくる。

 雅楽の練習の音は耳障りにしか聞こえない。料理の臭いも鼻につく。

 長屋王は大きなため息をついた。

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