彷徨五年
藤原広嗣の乱
天然痘の流行から三年が過ぎ、傷も癒えてきた天平十二年(七四〇年)八月二十九日。
諸兄は太政官を招集し朝議を開いた。
開け放たれた窓からは秋のさわやかな風が入ってきたが、朝議の部屋は張り詰めた空気に満ちていた。
諸兄は腕を組んで、聖武天皇、鈴鹿王以下の太政官の反応を見た。藤原一族で唯一太政官になっていた藤原豊成は口をしっかりと閉じ申し訳なさそうな顔をしている。鈴鹿王、
上表文は真備や玄昉を宮中から除くことを要求しているが、両人を取り上げたのは右大臣である自分であり、広嗣の目標は自分を引きずり落とすことである。
真備や玄昉だけならまだしも、「天皇は賢臣良将を用いる代わりに悪人を用いている」と天皇様までも批判していることは許されない。少弐ごときが上表文を奉るとは、前代未聞の不届きなうえに、兵を挙げたというから完全に謀反だ。
藤原広嗣は傲慢な若者であった。初めて会ったときは、天皇様にためぐちをきき、式部卿を要求していた。阿倍内親王様が皇太子になられるときも、身分をわきまえずに天皇様や右大臣の自分を批判していた。大和守を任させても、仕事は弟たちにやらせて、広嗣は他人の悪口や愚痴ばかりを言っていた。功臣藤原宇合様の長子であることを良いことに、好き勝手して宮中を乱していた。
皇后様が、広嗣に反省を促し公卿となるための自覚を持たせるよう重い職を与えてくれというから、大宰少弐に任じた。大宰府は大きな権限を持っていて、都から遠いので目が届かないうえに、
豊成が右手を挙げて発言を求めてきた。
「我が一族の藤原広嗣が上表文を送って寄こし兵を挙げたとのことですが、きっと何かの間違いでしょう。私が大宰府に下向して、広嗣に関する真偽を確かめてきます」
豊成は、従兄弟の広嗣が不敬をはたらけば、藤原一族にまで咎が及ぶことを恐れて手を打とうとするのだろうが、上表文が送りつけられ、挙兵の知らせが来てからでは遅い。
「藤原卿が下向するには及ばない。上表文には大宰府の印が押してある。印を管理しているのは藤原広嗣であれば、当人が書いたことに間違いはない。上表文は天皇様の政を批判していて
鈴鹿王が手を上げる。
「広嗣は傲慢な男でありましたが馬鹿ではありません。上表文が受け入れられないことは承知のはずです。きっと、二の矢、三の矢を用意していることでしょう。二の矢は挙兵です。大宰府は遠の御門として西海道を管轄していますので、大宰府の印を持って兵を集めたのでしょう」
「鈴鹿王殿の言われる三の矢とは都の内通者による擾乱でしょうか」
「右大臣殿の懸念のとおりです。このような上表文を送れば処分されることは目に見えています。勝算があってのことでしょう。すぐにでも対応しなければなりません」
「鈴鹿王様も右大臣様もお待ちください。広嗣は傲慢なところがありますので、大宰府の少弐になって気が大きくなり大言壮語しているのです。広嗣が兵を挙げたと決まった訳ではありません。何かの間違いです。まして、われわれ藤原一族が広嗣と示し合わせて、都を騒がすことなどありません」
「謀反には毅然とした対応が肝要です。迅速に対応しなければ反乱は大きくなります。追討軍を派遣することをお許しください」
「追討軍を派遣する前に、私が下向して……」
「広嗣は傲慢な男で、すでに兵を挙げています。藤原卿が一人で下向しても言うことを聞かないでしょう。追討大将軍には、蝦夷地で功績を挙げた大野東人を任じたいと考えます。大野卿はいかに」
「広嗣は、自分と一緒に陸奥の地で苦労した藤原宇合殿の息子で幼い頃より見知っておりますが、天皇様に弓を引く者を許すことはできません。追討将軍を謹んで拝命いたします。副将軍には気心の知れた
聖武天皇は、右手を顎に当て浮かない顔をして「
「朕も橘卿の言うとおり、広嗣の上表文は謀反であると考える。臣下に刃向かわれるのは朕の不徳が原因かもしれないが、国を安らかにし万民に安楽をもたらすことが天皇の使命であれば見過ごしにはできない。大野将軍に節刀を授ける」
「ただちに三関を閉鎖します。あわせて三原王殿を伊勢神宮に派遣し、戦捷祈願の幣帛を奉納させます。都で広嗣に合力しようとしている者については、私が直に捕縛します」
諸兄が力強く上奏して朝議は終了した。
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