燃灯供養
天平十七年(七四五年)九月に開始した盧舎那仏の造立は順調にすすみ、翌天平十八年十月には原型が完成した。
原型が完成したことを祝うために燃灯供養を十月六日に行うことを決めたが、「どうしても一目みたい」と、居ても立ってもいられなくなった聖武天皇は、光明皇后を連れて金鍾寺に出かけた。
金鍾寺の周辺の木々は赤や黄色に色づいて、秋の深まりを感じさせる。近隣の田は稲刈りを済ませていた。田の中で小さな子供たちが連れ立って遊んでいる。コオロギを捕まえているのだろうか。秋晴れの日の光は温かく、乾いたそよ風が心地よい。何本もの煙が竈から上がり女たちの楽しそうな声が聞こえてくる。動員した工人たちのために作っている夕飯の香りが風に乗ってきた。
多くの人が働いている金鍾寺には活気があった。槌の音、木がぶつかり合う音、威勢の良い統領の声とそれに答える人の声が渾然として聞こえてくる。近くの林に澄んでいる山鳩が棟梁の声に応えているのは愛嬌だ。
金鍾寺には、風雨から造立中の大仏を守るために、「仮の大仏殿」が建てられていた。
仮の建物ではあるが、大仏を覆うだけの大きさが必要なので人を圧倒する大きさがある。ひと抱えもあるような大きな木を何本も建てて、縦横に梁をめぐらし、茅葺きの屋根を支えている。掘立柱であったが、朱雀門を思わせる堂々とした造りだ。ただし、仮の建物なので白壁ではなく藁や棕梠縄で作った筵が垂らしてある。柱や梁は切り出したままで、皮は剥かれていない。筵の暖簾をくぐって工人たちがひっきりなしに行き来していた。
仮の大仏殿の入り口でひれ伏していた、大仏師・
急な訪問に四人は着替える時間がなかったらしく、土や墨で汚れ、皺だらけの衣を着ていた。初老の君麻呂の手は皮が厚くゴツゴツとしていて、ノミの当たる場所は大きなタコができていた。
仮の大仏殿の中は、筵から漏れてくる光で意外に明るい。直径一尺もあろうかという太い柱が何本も立ち、木や竹が縦横無尽に渡された足場が建屋の中を埋めていた。
足場の中に六丈の盧舎那仏が窮屈そうに座っている。
聖武天皇と光明皇后は、「おお」と声を上げ、ゆっくりと手を合わせた。
朕が長年夢に見てきたものが形になった。大きなお体は国家と民を菩提に導いてくださる。大仏様が完成すれば朕の願いも成就し、国家は繁栄、民は幸せに暮らすことができる。
「
聖武天皇の問いに君麻呂が答える。
「螺髪は別に作って最後に付けます」
「なるほど、作り方は大仏師、大鋳師ら玄人に任せることにするが、せっかくの機会だから、大仏様の作り方を教えてくれ」
君麻呂は一礼して、地面に棒で絵を描きながら講釈を始めた。
「まず、太い体骨を立てます。体骨を中心に木材や竹を縦横に組み縄を巻きつけ大まかな形を作ります。次に、塑像を作る要領で土を塗りつけて大仏様を作ります。土は肌理の粗いものから塗り始め、外側へ行くにしたがって粒の細かい土を塗ってゆき、最後に粘土を塗って仕上げます。粘土が半乾きのうちにノミを入れて形を整え、ご覧のように大仏様の原型ができあがりました。塑像であれば、漆を塗ったり色を付けたりして仕上げに入りますが、今回は鋳造ですので次の段階に移ります」
大鋳師の高市大国が一歩前に出て説明を始めた。
「粘土が十分に乾きましたら、濡らした紙を全体に貼り付けます。紙が乾いたところで上に粘土を塗りつけゆき外型を作ります。原型とは反対に、肌理の細かい土から荒くしてゆきます。土壁と同じように強度を持たせるため、粘土には藁を土に混ぜ込みます。大仏様を覆うように粘土を厚く塗りつけたら、乾いて堅くなる前に、下から八段階、横方向は適当に割って型を取り外します。一つの型は大人が数人で持ち抱えるくらいの大きさになります。原型には紙を貼っていますので、外型と一体にならず無理なく外すことができます。
次に原型の表面を二寸ほど均等に削り内型とします。外型を再び組み合わせると、内型と外型の間に隙間ができます。型持という四寸四方の金物で、内と外の型が一定の隙間を保つようにします。外型と内型の隙間に溶かした銅を流し込めば、大仏様ができあがります。六丈の大きさの大仏様ですので、鋳込みは八回に分けて行います。銅を溶かす炉を持ち上げることはできませんので、鋳込む段階毎に、大仏様を埋める要領で土手を作り、なだらかな坂を数本付けます。坂を使って炉や銅、錫、薪を運び上げます。見積もりでは大仏本体だけで銅は六万六千六百貫(約二百五十トン)、錫が四千貫(約十五トン)必要になります」
塑像の大仏様を見上げると、微笑んでいるように見えた。
大仏は朕が思っていたよりも、多くの手間と莫大な材料を掛けて造られるのだ。多くの人の手がかかるだけに、民を幸せにしてくださるはずだ。
「鋳込みが終わりましたら、土手を壊して外型を外します。鋳込んだ銅が回らなかった部分や巣ができた部分へ
「金鍍金?」
柿本小玉が、金色、深緑色、
「銅は赤色ですが、錫を混ぜて鋳込むと金色になります」
銅と錫の合金を青銅という。純銅の融点は千八十五度で柔らかいが、錫を混ぜることによって融点が下がり強度が増す。銅は赤色をしているが、錫の割合を増やすことによって、赤色─金色─白銀色に変わる。
渡された金色の青銅板は、顔が写るほどに磨かれて輝いていた。
「鋳込みの青銅は、ほかっておくと湿気によって緑青を吹き二枚目の板のように深緑色になります」
緑青の板を裏表にして眺める。
趣のある色ではあるが何かが足りない。
「毎日磨けば緑青を防ぐことができるかもしれませんが、巨大な大仏様ではかなわぬ事です。そこで、錆び防止に金を用いて
「
一枚目の板と三枚目の板は同じく金色をしているが、二枚並べてみると、金鍍金した板のほうが気品があった。
金鍍金した板を大仏に重ねて見ると、黄金色に輝く大仏が見えてきた。
永遠に錆びない黄金色の大仏は、慈悲の光をいつまでもに民に与えてくれるだろう。
「仏様の偉大なお姿を思い浮かべ感動するばかりである。良くやってくれた。朕はとても感謝している」
光明子も顔を輝かせて大仏を見上げている。
大国ら三人の鋳造師は当惑した顔になった。
「銅は長門国の長登山から充分な量が出ますが、日本には金山がありません。大仏全体を鍍金するためには、四千百両(約五十八キログラム)以上の金が必要になりますが、全く足りない状況です」
四人の棟梁はひれ伏し地面に頭を付けた。
「私どもでは、金の手配ができません。なにとぞご配慮をお願いします」
「四千両以上の金が必要になるのか」
黄金の板を見ると、ため息が出てきた。
金色、深緑色、黄金色の三枚の板を見比べれば、誰であろうと黄金の大仏様が、ありがたいと言うに決まっている。国帑を費やし、多くの民を使い、長い月日を掛けるのだから、画竜点睛を欠くようなことはしたくない。かといって、日本で金は出ない。新羅や唐から輸入しなければならないが、四千両もの大量な金は、新羅でも、大国の唐でも持ち出しを許さないだろう。
金か……
大仏師や大鋳師、行基や知識を寄進してくれている者たちのためにも何とかしたい。
手に持つ黄金色の板が、キラリキラリと輝いた。
「原型が完成したことを一つの区切りとして法会を催したい。灯明で内を埋めつくし、僧侶に読経をさせる」
君麻呂が当惑して「大仏を囲む足場をどけなければならないのでしょうか」と聞いてきたのに対して光明皇后が答えた。
「筵を上げて、大仏様を皆で拝めるようにするだけでよろしいでしょう。燃灯供養が造立に妨げになってはいけません」
朕も皇后と同じことを言おうとした。朕と皇后の考えは完全に合っている。
「皇后宮職を使って燃灯供養の用意しています。当日は一万五千余の灯明をともし、千人の僧に読経させます。きっとすばらしい式になります。棟梁たちも工人を率いて参加してください。棟梁たちに晴れの衣を用意しておきましょう。もし工人の中で体の具合が悪いものがいたら、遠慮なく施薬院を使いなさい」
「朕からは寺に千戸を下賜し、棟梁や工人が大仏造立に困らないようにしよう。寺の名前も金鍾寺から東大寺に変える。」
君麻呂たちは、頭を地面にすり付けて感謝の言葉を言上した。
一万五千もの灯明……
灯明の一つ一つは小さくて暗いが、東大寺の境内を埋め尽くすほどに集めれば、真っ暗な夜の空に、大仏様のお姿を浮かび上がらせることができる。灯明は、大仏を作ろうと朕や民が持ち寄った知識の象徴だ。一人一人が持ってきた知識は僅かであるが、実を結べば大仏様になる。
見上げるような大きな仏様が、日本と民を守ってくださる。
鎮護国家
今は粘土の黒い色だが、朕には黄金色に輝く盧舎那仏のお姿が見える。
だが、仏様の全身を鍍金できるだけの金はない……
金鍍金の板を強く握りすぎたので、手が痛くなってきた。
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