長屋王審問

 長屋王は、子虫が急かすのを気にせずに、ゆっくりと白湯を飲んでから居間に入った。

 居間では、舎人親王、新田部親王、多治比池守、藤原武智麻呂が胡座をかいていた。それぞれ、よく手入れされた甲冑を身にまとい、螺鈿細工が施された太刀を佩いている。

 長屋王は四人の前に座った。四人は頭を下げることも身を正すこともしない。

「朝廷の重鎮が朝から揃って物々しい出で立ちでいかがなされた」

 長屋王が言い終わる前に舎人親王が口を開いた。

「昨日、漆部造君足ぬりべのみやつこきみたり中臣宮処連東人なかとみのみやこのむらじあずまびとが揃って、『長屋王が密かに妖術を学んで天皇に呪いを掛けている』と告発してきた」

「朝っぱらから笑い話にしては度が過ぎる。その漆部造や中臣宮処とは何者か」

 長屋王の質問に多治比池守が、すまなそうに答える。

「漆部造君足は従七位下、中臣宮処連東人は無位。共に長屋王様の資人としてこの屋敷に仕えている者たちです」

 長屋王は部屋の角に控えている子虫を見た。

 子虫は頭を縦に振る。

 子虫は知っているらしいが、自分の記憶にはない者たち、いずれにせよ小者だ。

「従七位や無官の者の言に動かされるとは笑止なこと。朝から出張ってご苦労なことではあるが、早々に引き取られよ」

「私も長屋王様が聖武天皇様に呪いを掛けているとは思いませんが、二人とも長屋王様の屋敷に住み込んでいれば、告発を無視することができず、それに……」

「それに、何ですかな」

 多治比が答える前に、舎人親王が大きな声を上げた。

「長屋王が妖術に不慣れなため、聖武天皇様は無事であったが、赤子の基親王が犠牲になった」

「バカバカしい。臣下最高位の左大臣が天皇を呪い、皇太子を殺したというのか」

「元明天皇様は膳夫王らを皇孫とした。息子が皇孫であれば親は親王となる。親王であれば、皇位継承権が生じる。長屋王は天皇を呪い殺して、自ら即位しようと企んだのだ」

「証拠はあるのか。私は親王などと称したことはない」

「長屋王の屋敷に運ばれる荷物の札に、『長屋親王』と記されていることを確かめている。野心があるから『親王』の札を訂正せずそのままにしているのであろう。長屋王が基親王の立太子を強硬に反対したのは、基親王が皇太子になれば自分の即位が遠のくと考えてのことだ。過日、多治比三宅麻呂が長屋王に不穏な動きがあると告発した。あのときは元正天皇様がかばったので追及できなかったが、今回は言い逃れさせない」

 新田部親王が続ける。

「穂積老が天皇を誹謗したことを見逃したのも、長屋王が同じような考えを持っているからであろう。昨日の二人の告発によって長屋王の罪は確定した」

 今回の騒動は舎人親王と新田部親王が画策したことだったか。多治比はおどおどしていることから、たぶん役目上、無理矢理連れてこられたのだろう。無表情で無口な武智麻呂は何を考えているのか分からない。藤原四子は今回の騒動にどの程度まで関係しているのだろうか?

 望むことができる地位が同じ者同士は仲良くなれないと誰かが言っていたが、舎人親王と新田部親王は昔から出世が早い私を目の敵にしていた。朝議で毎回文句を付けてくる二人を左遷しようと思っていたが、政務が忙しかったので何もできないでいた。後手に回ってしまったが二人が直接対決してくるというのならば返り討ちにしてやる

「聖武天皇様の御前にて申し開きを行いたい」

「すでに聖武天皇様の勅命が下っている」

 勅命が下りているだと?

 確かに我が屋敷を包囲するほどの兵は、たとえ舎人親王でも一存で動かせるものではない。左大臣である私が呪いを掛けて天皇を害しようとしたので、五衛府から兵を繰り出して包囲した?

 もはや聖武天皇も自分の敵だ。仰ぎ見るに値しない人間には退位願う。舎人親王と新田部親王も許すことはできない。左大臣である私に喧嘩を吹きかけたことを後悔させてやる。

 もともと聖武天皇は人の言うことを鵜呑みにするところがあった。基親王を失って気落ちしていた心の隙間に舎人親王が吹き込んだのだとしても、あまりにも愚かだ。

 聖武天皇は舎人親王たちに取り込まれてしまっている。だとすれば……

「元正太上天皇様に申し上げたい儀がある。一緒に宮中へ行こうではないか。太上天皇様の前で私の濡れ衣を晴らして見せよう」

「太上天皇様への目通りは許さない。長屋王は皇太子を呪い殺した。今度は直接、太上天皇様や天皇様を害しようというのか」

「左大臣が宮中に入るのに何の差し障りがあるというのか。私が主上を殺すというのか。もし、二人を亡き者にするつもりならば、お前らと同じように、鎧甲に身を固めて太刀を佩いている。舎人親王にとって、私が太上天皇様に会うことは都合が悪いことなのか」

「妖術を学んでいたという疑いを晴らしたいのならば、屋敷を検めさせてもらおう」

 舎人親王は、唇に不敵な笑みを浮かべ、眼光鋭く長屋王を睨みつけてきた。殺気が鎧から漏れ出している。

 舎人親王が自信を持って言うからには、漆部造ぬりべのみやつこを使ってすでに証拠が隠してあるということか。手回しの良いことだ。

 長屋王は立ち上がる。

「左大臣屋敷に兵を入れるというのか!」

 長屋王の一喝に、舎人親王たちは一瞬ひるんだ。

 舎人親王もすっと立って、太刀に手を掛ける。

「罪人の家を調べるのに遠慮はいらない」

「お前は太刀に手を掛けて何をするつもりだ」

 長屋王が舎人親王をにらみつけると、舎人親王も口をへの字にしてにらみ返してきた。

 二人の間に、多治比池守が割って入る。

「お二人とも落ち着いてくださいませ。長屋王様の参内については、持ち帰って天皇様や内臣うちつおみの藤原房前様に相談しましょう。貴人は刀を手にするものではありません。舎人親王様は太刀より手を離してください」

 藤原武智麻呂が部屋に来て初めて口を開いてきた。

「長屋王様でも、平服で聖武天皇様の前に出ることはできないでしょうから支度をなさってください。舎人親王様も、左大臣様の屋敷に兵を入れて中を検めることは乱暴だと思います。長屋王様の言い分について、天皇様に報告するためにいったん帰りましょう」

 舎人親王が何か言いたそうな雰囲気を出したが、武智麻呂はかまわず、両手を広げて舎人親王と新田部親王を部屋から追い出すように連れ出した。

 最後まで残った池守がお辞儀をしてから部屋を出て行くと、代わりに子虫が寄ってきた。

「舎人親王様の殺気は尋常ではありません」

「舎人親王は私を亡き者にしようとしている。新田部親王も一枚かんでいる」

「どのようにすればよろしいでしょうか」

 子虫の声は弱くなっていき、最後は聞こえなくなっていった。

 長屋王は、居間の簾を上げて縁側に出た。

 冷たい風が服をはぎ取ろうとする。

「参内する。着替えと輿の準備をしてくれ」

 子虫は「はい」と短く返事をすると、駆けだしていった。

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