突然の譲位
天平感宝元年(七四九年)六月十五日。橘諸兄は東大寺大仏の工事状況を報告するために参内した。聖武天皇が平城に大仏の造立を始めてから四年経っていた。
梅雨末期の大雨が内裏の屋根を打ち付け大きな音を立てている。じっとりとした空気が体にまとわりついている。肌寒く、晴れ上がった夏の日差しが待ち遠しい。
一月に行基から菩薩戒を授けられた聖武天皇は、
「陸奥国から無事に黄金四百両が届きました。おめでたいことに存じます。鋳造も最終段階にさしかかっています」
諸兄頭を下げる。
「朕は行基大僧正から菩薩戒を受け
毎度のことながら急な話に頭がくらくらしてくるし、驚きを通り越して怒りすらわいてくる。謀反を起こそうとした奈良麻呂の気持ちがよく分かる。
「菩薩戒は在家のままで仏弟子になれるはずです。出家などなさる必要はありません」
「阿倍は皇太子を十一年務め、朝議に出て政もできるようになってきた。朕が皇太子をしていた期間は十年であり、即位したのは二十四の時であったから、三十二歳になる阿倍が即位しても何の差し障りもないであろう」
「あまりにも突然のことゆえ当惑しています」
「朕は年の初め、行基大僧正から菩薩戒を授けられたときに、出家し仏の道を歩むことを決めたから、突然のことではない」
「私や他の太政官は一切聞いておりません」
「出家することは、光明子、阿倍、藤原卿と相談していた」
「藤原卿と申しますと、豊成卿でしょうか、仲麻呂卿、八束卿でしょうか」
「仲麻呂である。藤原卿は実に良く朕の心を読み、先回りして準備をしてくれている。光明子や阿倍とも仲良くやってくれていて助かる。橘卿も藤原卿を見習ってくれ」
天皇様は、無邪気に仲麻呂を見習えとおっしゃる。悪意は全くないのだろうが、お前は役に立たないから、仲麻呂に代われと聞こえる。
瘡病で藤原武智麻呂殿をはじめとした太政官が全員亡くなってから十余年。自分は太政官の筆頭として聖武天皇様に誠心誠意尽くしてきた。天皇様が命じなさった無理難題や気まぐれに骨を折ってきた。天皇に諫言できない、言われるまま左大臣だと陰口をたたかれている。それなのに、天皇様は自分の仕事を全く評価せず、皇后様や皇太子様に取り入っている仲麻呂を評価するとおっしゃるのか。天皇様のお言葉は、長年使えてきた者にとって情けなさ過ぎる。
「皇太子は朕より優秀で政にも慣れてきている。朕が元正太上天皇様に後見してもらったように、皇太子に皇位を譲り、太上天皇として天皇の政を助けたい」
「先ほどは大仏造立に専念したいとおっしゃい、今は太上天皇として後見したいとおっしゃっておみえです。言っていることがちぐはぐでいらっしゃいます」
天皇様が政に関心がないと見切っていれば、自分が前面に出て政を取り仕切れば良かった。天皇様を盛り立てて、国家と万民を良くしてゆこうとしたことは間違いだった。
「どうしても出家し譲位なさるおつもりでしょうか」
「朕の望みを叶えてくれ。朕はすでに出家して沙弥勝満となった。仏様の弟子になったからには仏道に専念し大仏造立を指揮しなければならない。皇位を譲るときが来たのだ」
「今一度、お考えを改め直してください」
「朕は皇位を譲ることに決めたのだ。橘卿が反対しても朕は出家する。譲位と即位の儀の段取りを頼む」
天皇様のまなざしは、すでに東大寺の大仏へ注がれている。自分が何を言っても無駄なのだろう。天皇様に尽くしても尽くしても結局報われなかった。
諸兄は深呼吸をした。
「天に日が昇らないことがないように、皇位を一日たりとも空けることはできません。さっそく天皇様の譲位、皇太子様の即位の儀の手配にかかります」
天皇が満面の笑みを浮かべるのを見て、諸兄は深く頭を下げた。
自分の意気地のなさが悲しくなる。公卿たちは今回も自分を突き上げるだろう。難儀なことを仰せつかってしまった。とりあえず、皇太子様に挨拶をしなければならない。
渡り廊下に出ると、雨は上がり雲間から幾筋もの日脚が延びていた。庭の水たまりはきらきらと輝いき、植木の新芽も緑色を濃くしたようだ。ゆっくりと息を吸うと、さわやかな空気が体を満たしてくれた。
自分の心も梅雨の晴れ間みたいになればよい……
諸兄は大きなため息をついた。
七月二日、聖武天皇は譲位し阿倍皇太子が孝謙天皇として即位した。
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