難波宮遷都
聖武天皇は、紫香楽の大仏を造り始めた翌年の朝賀を中止し、代わりに官人を恭仁京に呼んで、新年を祝う宴を催した。
平城宮から移築したばかりの朝堂院は、床や柱の建材には年季が入っているものの、恭仁京の景色とはまだなじんでいない。平城京ならば聞こえてくるはずの、新年を祝う市井の騒ぎも、建設を中止した恭仁京にはなく、宮の前を流れる泉川の瀬音と、風が山の木々を揺らす音が聞こえてくるだけだった。暖を取るための多くの焚き火が、わずかに華やいだ雰囲気を出している。風はなく、煙は青空に向かって真っ直ぐ昇ってゆく。
橘諸兄ら太政官は、天皇、皇后を囲んで屋敷の中に座る。中庭には五位以上の貴族が、宮の外には六位以下の官人が役所毎に席を設けた。
諸兄はかじかんだ手を揉んだが、全く温かくならない。火の気のない屋敷の中よりも、焚き火を囲む中庭や宮の外の宴席がうらやましい。
鈴鹿王が、新年の言祝ぎを天皇に奏上する。天皇が
「新年を迎えたことをうれしく思う」
と答えると、公卿百官は立ち上がって万歳を叫んだ。相良の山々に人々の声がこだまして、驚いた鳥たちが一斉に飛び上がる。あちこちの焚き火にくべられた竹が爆ぜて、パンパンという大きな音を立てて火の粉を舞上げた。雅楽寮の楽士が曲を奏で、中庭の中央に舞子が踊って出てきて、下女たちが新年の料理を運び入れると拍手が起こった。
料理と酒がふんだんに振る舞われ、焚き火がいらないくらいに体が温まると、雅楽寮の官人の奏でる曲に、歌や手拍子が加わって賑わってきた。給仕をしている膳部の下男下女たちはきりきり舞いに動きまわる。
唐国から持ち込まれた琵琶が、異国の曲を奏でているときに、聖武天皇は諸兄たち太政官を前に口を開いた。
「朕は難波宮を日本の都とすることに決めた」
土器を口に持ってゆこうとしていた諸兄は、あわてて聖武天皇を見た。
鈴鹿王たちも一瞬にして固まり、天皇のほうに顔を向ける。琵琶の音色だけがゆっくりと諸兄たちの間を通り過ぎ、下座の宴席からは、笑い声や陽気な歌が聞こえていた。
「畏れながら、天皇様は紫香楽に宮を造れとおっしゃったばかりですが」
「唐国は三都制を取っている。我が国も恭仁京と平城京、難波宮、紫香楽離宮と都を整えてきたが、難波宮についても条坊制を整えて難波京としたい。紫香楽宮と恭仁京は山の都。平城京は平野の都。だとすれば、海の都として難波宮が必要となる。我が国の仏教は玄昉が仏典を持ち帰ったといえ、
いつもの思いつきだ。聖武天皇様は誰にも気兼ねや遠慮する必要がないから、深く考えたり、思いを巡らす習慣がなく、思ったことをすぐに口に出してしまう。せめて、ご自分が言われたことで、多くの者が動かなければならないことを自覚していただきたい。
仏教を盛んにして仏様の力で
鈴鹿王は目を閉じていた。大野東人に顔を向けると、東人は口を閉じ頭を下げた。藤原豊成は困惑した目を向けてきた。他の太政官はすがるようなまなざしを向けてきた。
自分が言うしかないのか。
「畏れながら申し上げます。恭仁京の建設を中止して、紫香楽にある甲賀寺で大仏様を造っています。難波に都を造るだけの余裕はありません」
「兵制を中止しているので、人手の余裕はあるはずだ。兵として集める者を人足として使えばよい。墾田永年私財法を発布して開墾が進んだはずである。開墾した田畑からの租税を都の建設に充てれば。大仏様の造立と並行して行うことができる」
また、絵空事をおっしゃる。兵制を停止したのは民の負担が大きすぎたことや、新羅や唐国の脅威がないと判断したからです。墾田永年私財法は去年の五月に出したばかりでまだ一年も経っていません。
「難波宮がある台地は細長くて、条坊制に基づく都を造ることが出きません。台風の時には宮自身が危険なことがあります」
「大宰府も山に挟まれた小さな土地であるが、条坊制に基づいた町を造っている。難波宮は仏教を迎え入れる宮であるから、仏様が風雨から守ってくださる。左大臣はああ言えばこう言う。いい訳は聞きたくない。実行するための工夫をせよ」
公卿百官は平城京から家族を伴って移り住んでいるので、恭仁京から難波へ都を遷すなどすれば負担は限界を超える。大極殿を移築し、高御座や大盾、槍、玉璽を遷す苦労を天皇様は軽く考えていらっしゃる。天皇様の思いつきに国帑を費やすわけにはいかない。
「天皇様の思し召しを実行することが臣下の努めであると考えていますが……」
聖武天皇は、酔って赤くなった顔で睨みつけてきた。
天皇様の視線が辛い。
正面から異を唱えられない自分が情けない。鈴鹿王も知太政官事であれば、私だけに任せずに天皇様に意見して欲しい。公卿全員の意見ならば天皇様も従わざるを得ない。他の太政官も自分に賛同して天皇様を諫める役に回って欲しい。
「橘卿は朕の考えを快く思っていないだろうが、百官は朕の考えに賛同してくれるはずである。ちょうど百官も宴に集まっているから、難波宮遷都について賛否を問おうではないか」
「天皇様の詔は上意下達です。詔を百官に賛否を問うなどということは前例がありません。我ら太政官が意見を申し上げるのならばともかく、百官が政に口を挟んではいけません」
「前例がなければ仕事ができないというのは言い訳に過ぎない。橘卿の頭は固すぎる」
聖武天皇は、巨勢奈弖麻呂と、末席にいた藤原仲麻呂を指名した。
奈弖麻呂は朝堂院の外へ六位以下の官人の賛否を集計に出て行く。仲麻呂は音曲を止めさせ、聖武天皇の難波遷都を五位以上の者たちに説明した。
宴会場に満ちていた正月気分と酒の香りは吹き飛び、代わって冷たい風が吹き込んできた。
仲麻呂は、驚きざわめく者たちを静かにさせた。
「天皇様のご下問に賛否を述べる栄誉に、新年早々あずかった。百官は心して答えるように。挙手にて賛否を問う。まず恭仁京が都にふさわしいと思うものは手を上げよ」
百官に遷都の賛否を尋ねた結果は、恭仁京が良いという者は五位以上で二十四人、六位以下では百五十七人、難波宮が良いという者は五位以上で二十三人、六位以下では百三十人だった。
結果を聞いた聖武天皇は耳まで真っ赤にし、唇をふるわせた。鈴鹿王や藤原豊成は下を向いてしまった。
恭仁京が都に良いという結果に天皇様はお怒りだ。うまく丸め込むように、言葉を慎重に選んで説得しなければならない。
「藤原卿の報告のとおり、百官は恭仁京を支持しています。難波宮は陪都として使えるように整備しますので、天皇様におかれま……」
「黙れ!」
やはり説得は無理だったが。百官の前で遷都を言ってしまった以上、引っ込みがつかないと考えていらっしゃるのか、それとも、単に気分が高揚していらっしゃるだけなのか。
「藤原卿が報告したとおり、恭仁京と難波宮は拮抗している。つまり百官は恭仁京と難波宮を同等なものと考えている。ならば、朕が難波宮を都に、恭仁京を陪都にしても、百官たちに迷惑をかけるわけではない」
誰が天皇様の詔に反対したか丸分かりな状況で、半分以上が反対したのです。天皇様を畏れて賛成した者も多数いるでしょうから、実際はほとんどの者が反対なのです。ご自分の思いだけではなく、百官の置かれた立場も慮っていただきたい。
「左大臣以下、公卿百官に申し渡す。本日より難波宮を都とする。知太政官事鈴鹿王を恭仁京留守居役、治部大輔紀清人を平城京留守居役に任じ、左大臣橘諸兄は、玉璽と太政官印を持って難波宮へ行き、その後高御座と恭仁京の兵庫を遷し、大楯を難波宮の正面に飾ること。百官で難波宮に移りたい者はすべて許す。また、難波宮、平城京、恭仁京、紫香楽宮を自由に往来することを許す」
聖武天皇は立ち上がると肩を怒らせながら出て行った。
天皇様は都合が悪くなると、言いたいことだけ言って席を立ってしまう。残された自分たちは困惑するばかりだ。
臣下最高位の自分が諫止しなかったとして、百官たちは陰口をたたくだろう。左大臣をいただいて、自尊心は満たされたが、上と下に挟まれて心が安まらない。
天皇様に落ち着いていただかなくては、百官や民の苦労が絶えないし、権威が落ちてしまう。藤原広嗣ではないが、聖武天皇様を引きずり下ろして、もっとふさわしい人を天皇に据えようという者が現れてくるかも知れない。
薄曇りだった空は本曇りに変わっていた。
「今夜は雪になるかもしれない。元旦の雪は縁起がよいというが、今年は良い年になるのだろうか」
諸兄のつぶやきに答える者はいなかった。
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