第二章 藤原広嗣

天然痘の大流行

藤原宇合薨去

 長屋王の変から六年後の天平七年(七三五年)八月、大宰府で天然痘(瘡病かさのやまい)が発生した。大宰府は「管内の諸国で疫瘡が大発生し、人々がことごとく伏せっているので今年の税を免除して欲しい」という上申書を提出し許可された。天然痘は冬になると全国に広まり多くの人が犠牲になり、長屋王を陥れた舎人親王と新田部親王も天然痘で薨去してしまった。

 天然痘は翌八年春にいったん沈静化するが、天平九年(七三七年)、再び大宰府で発生し全国に広まった。天然痘の流行に合わせるように、天平七年から九年にかけて、天災や旱魃による飢饉が発生し、人々の生活は困窮した。

 多くの官人が死に、六月一日には、平城京の諸役所を閉鎖しなければならない事態となってしまった。太政官では、四月十七日に参議・民部卿の藤原房前ふじわらふささき、六月二十三日に中納言多治比県守たじひのあがたもり、七月十三日に参議・兵部卿の藤原麻呂、七月二十五日に右大臣の藤原武智麻呂ふじわらむちまろが天然痘で亡くなり、聖武天皇の側近は藤原宇合ふじわらうまかいだけとなった。


 八月六日、藤原宇合の長男である広嗣ひろつぐは、聖武天皇に謁見を求めた。広嗣の官位は従六位上なので、天皇に直接会うことはできないが、父である藤原宇合が、正三位・参議・式部卿兼大宰帥だざいのそちとして朝廷の重鎮であったので特別に許可された。

 太陽は朝から焼き付けるような光を照らしている。朝服の袖をまくり上げないと暑くてたまらないが、上げれば太陽の光が腕を刺して痛い。空気が乾いているので、日陰に入れば暑くないのが救いだ。広嗣は塀の影を歩くことにした。

 昼間だというのに都大路には人影がない。四、五町に一人見かければ良い方だ。人々は瘡病を恐れて外出を控えている。強い日差しの元で、広い通りに土埃が舞い、野良犬がえさを探してうろついている。

 広嗣が犬に石をぶつけると、犬はキャンキャン吠えながらどこかへ行ってしまった。

「何が『寧樂ならの都は、咲く花の、にほふがごとく、今盛り』なのか。廃墟も同然ではないが。病を恐れて家に籠もっているとは情けない」

 広嗣の見えるところに、答えてくれる人はいない。

 宮門をくぐり朝堂院に入ったが、登庁が停止されているので、朝堂院は真夜中のようにひっそりとして、物音一つしない。そもそも、宮門を守る衛士が二人しかいなかった。その兵士も、自信なさそうに立っているだけで、いざというとき役立ちそうもない。わずかに見る舎人や采女は、病気を恐れて隠れるように動いている。

「どいつもこいつも情けない奴らばかりだ。瘡病など気力で飛ばせ」

 初めて入る内裏も火が消えたみたいに寂しい。日差しが強い外は暑かったが、日光が入ってこない廊下はひんやりとしていた。足の裏の冷たい感触が気持ちよい。しかし、空気は澱んで重苦しかった。朱色の柱や板壁の絵が色あせて見える。

「何が『青丹あおによし』だ。辛気くさいところだ。俺なら都も内裏も一変させてやる」

 内裏の奥にある天皇の部屋に通された広嗣は、聖武天皇、光明皇后の前に座ると、頭を床につけて言上した。

「父の宇合が瘡病にて昨日亡くなりました。父は臨終の間際まで帝に尽くしたいと申しており、私ども子供には誠心誠意、帝のために働くようにと遺言しました」

 聖武天皇からの返事はない。

 広嗣が顔を上げると、聖武天皇は両手で顔を覆い倒れそうになってた。光明皇后があわてて横から支えようとしていた。

「いかがなされました」

「朕の徳がないために、先年より災害や疫病で多くの人が死んだ。百官も多く死んで朝廷が開けなくなっている。旱魃も三年目に入り、田畑の実りは望みがなく民は悲嘆にくれている。天を仰いで朕の不徳を恥じていたところへ、式部卿(藤原宇合)が死んだという知らせが届いた。天神あまつかみは朕の手足を一本ずつもぐように太政官を一人ずつ召してゆく。天神は公卿や民を苛むことをせずに、朕だけを苦しめればよい」

 聖武天皇は朝賀の時に遠くから見たことしかなかったが、間近に見ると、小柄で貧相な顔をしている。色白で腕も細くて力はなさそうだ。錦の衣と冠がなければ、中年のしょぼい舎人にしか見えない。

 こんな男が天皇なのか。「王侯将相いずくんぞ種あらんや」とは誰かに教えてもらった言葉だが、俺が左大臣になって、天皇の代わりに天下あめのしたを治めてやろう。

 確かに、瘡病は深刻で俺の親とか叔父は皆死んでしまった。民も多くが死に河原には、死体の捨て場所がなくなっている。官人の多くも出仕できないから朝廷は閉鎖されている。

 だから何だというのだ。瘡病に負けるような弱い奴がくたばっているだけではないか。

 天皇ならば、国家が苦しいときほど強く、威厳に満ちていなければならない。「不徳を恥じていた」とか「朕だけを苦しめればよい」などと気弱は物笑いの種だ。

 おまけに、親父が死んだという知らせに、泣いて皇后に支えられるとは情けない。俺は親父が死んでも涙一つ流さなかったぞ。

けいの名前は」

「藤原宇合の長子、広嗣と申します。先年から出仕し今年で二十三になります」

 聖武天皇は、ため息をついて黙り込んでしまった。

 間の悪い男だ。黙ったままでは、わざわざ内裏まで来た目的を達成することができない。

「藤原式家の氏上うじのかみとして若輩ながら帝のため、国家のために身を粉にして働く所存です。よろしくお引き回しください」

 広嗣が「それで」と言葉を継ごうとしたときに、部屋に入ってきた者たちがあった。

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