第4話 創作のために、愛とか恋とかについて知りたい

 スレイマンは予想外のその言葉に目を見開いた。

「あ、あの……?知事サンジャクベイ?」

 何かまずいことを言っただろうかとイブラヒムが戸惑っていると、首に細い腕ががしりと回された。

「いいに決まっているだろう。嬉しすぎて言葉が出なかった」

「知事……」

 安堵と幾許かの胸の高まりを感じながら、イブラヒムはその華奢な背に腕を回した。


「スレイマンでいい。そなたは人生で二人目の友人になれそうだから」

「二人目?一人目は……」

「ハディージェだ。妹兼友人だ。王族はなかなか外の者とは親しくなれないからな…。そなたなら、友人であるだけでなく、私にとっては兄のような存在になれそうだ。私の知らないことを沢山知っているだろう?」

「ふふ、そうですね。何か知りたいことがありますか、スレイマン様」

 狡猾な王族なら、自分を懐柔して大宰相府の動きを逆に知ろうとするかもしれない。

 あやすように、探るように、柔らかな金髪を撫でた。


「そうだ。知りたい」

 スレイマンはまっすぐにイブラヒムの目を見て言った。

「何をですか?」

「愛とか恋とか、いろいろ」

「……は?」

 それは、どういう意味に受け取ればいいのか。

 イスタンブルでそうしたことをもっともっと遠回しに言えば、求愛の意味と取れるが、どうやら少し違うようだ。


「見ての通り私はあのような物語を書くし、叙情詩を読んだり書いたりするのも好きだ。だが、実際には恋愛経験など皆無だ。そういう私が書いていて、欠けているところが多いのではないかと」

 そういうことか……だが、何故自分に聞くのだ……。


「あれだけしか読んでいないのですが、確かに強いて欠点を挙げるとするなら、整いすぎているという印象はあるでしょうか」

 筆跡と同様、筋の展開が緻密かつ王道。現実はもっといびつで無軌道なものだ。だから、スレイマンの描く物語の非現実性は美点であるとも思うのだが。


「うん、そうだろうな。そういう意見を聞きたかったのだ。褒めてもらうだけでは人は成長しない」

 嬉しそうにうなずいているスレイマンを見て、イブラヒムは彼の勤勉さと向上心の高さを改めて感じた。

 仕事においてもいつもそうだ。だが…。


「スレイマン様は、何を目指しておられるのですか」

「ふふ、秘密。それとも大宰相様に頼めば任命してもらえるか?」

 冗談めいた口調だが、そこには何かがあった。

 スレイマンがなりたい何か。それは漠然としたものではないようだ。

 皇帝?それは大宰相が任命するものではない。

 では何だろう。大宰相が任命できる、官職?

 考えていると、スレイマンの澄んだ緑色の目と視線が交わった。

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