第10話 恋愛とは何なのだ、定義しろ

「はい……。異世界という方向に修正なさることを期待しております……。それで、その王子は幼くして頭角を現し、近習学校を主席で卒業し、県知事、州知事と順調に出世を重ねていくわけですね」


 自分はスレイマンのように物語の主人公にしようなどと思いついたことはなかったが、“テオ室長”に対する恐れと憧れと好奇心の混じった感情は、自分もスレイマンも同じだと感じた。そして、同じ人に同じような思いを抱いているスレイマンに対して不思議な連帯と親しみを覚えた。


「その通りだ。だが、私が書きたいのは出世物語ではなく、学校での話なのだ」

「学校での?何故ですか」

「何故と言われても。作者である私が学校生活に興味があるから、としか説明のしようがない」

「なるほど」

 それは先ほどまでの会話を思い出せば納得のいくことだ。


「だが、一つ問題がある」

 スレイマンは困ったように言った。

「何ですか」

「私が学校の話が書きたいが、同時に恋物語も書きたい」

「学校での恋愛ものを書けばよいのでは」

「だが、近習学校は男ばかりだろう」

 会話が少々噛み合っていないのは、今まで生きてきた世界の違いだろう。


「そうですが、普通に恋愛はありましたよ」

「は?」

「少年を愛することはムスリムの義務と、預言者ムハンマドもおっしゃったではありませんか」

「そうだが、それは恋愛なのか……?」

 イブラヒムは曖昧に笑った。

 おそらく、いや間違いなく、イスタンブルの人々はムハンマドの言葉を敢えて曲解して用いている。


「でも、スレイマン様も州知事様に対して、物語の主人公にしたいほど好意を持っておられるでしょう」

「そうだが……それは恋愛なのか」

「いや、それは私に聞かれてもわかりませんが……」


「では、何が恋愛なのだ。定義を説明しろ」

 甘ったるい物語を好みながらも、根が論理的な思考のスレイマンはイブラヒムに詰め寄った。恋愛の定義?そのようなこと、考えたこともなかった。だが、思い返してみれば。

「定義というとよくわかりませんが、近習学校には“恋愛禁止”という校則がありました」


「おかしいではないか。先ほど、少年を愛することはムスリムの義務と言ったではないか」

「いえ、おかしくはありません。近習学校の目指すところは、イスラームの正しき教えを学ばせるとともに、皇帝陛下の忠実なる臣下を養成することです。つまり、近習学校の生徒にとって、最も大切な人間は皇帝陛下でないといけないのです」


「なるほど。だから、他の者を皇帝陛下以上に愛してはならないということか」

「ええ。独身を貫かなければならない近衛兵イェニチェリは勿論のこと、結婚を許されている文官にとっても、最も愛すべき人間は妻や恋人ではなく皇帝陛下であるべきなのです。しかし、このような校則があるということ自体……」

 イブラヒムが言葉を濁した意味を、スレイマンはすぐに理解したらしい。


「現実には皇帝陛下よりも級友である男を愛するということが多々あるということか。それが、近習学校での“恋愛”の定義か」

「まあ、だいたいのところそうと言えましょう」

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