第9話 憧れの上官を主人公にしたい

 スレイマンの答えは予想通りだった。


「さっきも言ったではないか、学校に行きたかった、と。気分だけでも学生のようなことをしてみたい。くだらないと思うか?」

 その気持ちをくだらない、などと思うはずがない。かといって仕事中に手紙を回すのがどうかと思うのだが。


「いいえ。私は私自身の意志でもなく、両親の意志でもなく、奴隷として近習学校で学びましたが、そこでの経験は得がたいものだったと思っております。誠に無礼とは存じますが、そうした時間を持たなかったスレイマン様が時折寂しげに見えるのです」


「ああ、そうかもしれないな。でも、今は寂しくない。そなたがいるから」

 スレイマンは人懐っこい翆の目でふわっと笑った。

 ふとイブラヒムは宮廷で共に過ごした、気高く美しい、しかし甘え上手な翆の目の白猫を思い出した。


「そのように言って頂けるとは光栄ですが、州知事様とも学校の話をお聞きするほど親しいのでは」

「ああ、確かに。仕事で顔を合わせてもいつも親しくして下さるが、あの方は年も離れているし、街も違うし、いや、そういうことだけではなく、何というのか…あの方とは友人になりたいというよりは……」

 スレイマンはしばし考えて、満面の笑みを浮かべて言った。


「主人公にしたい」


「……は?」

 スレイマンの独特の思考回路や言動には少々慣れてきたつもりではあったが、やはり何を言っているのかわからない。

 ぽかんとしているイブラヒムに構わず、スレイマンは喜々として続けた。


「顔良し、性格よし、出生の秘密ありの波瀾万丈な半生……いいとは思わないか?」

「ちょっと待って下さいスレイマン様。何の話ですか……」

「次に書く物語の主人公の造形に、州知事様を参考にするのだ」

「……上官をもとに物語を書くとはなかなかいい神経をしておられますね……」

「大丈夫。舞台を異世界にすれば問題ない。というか、そなたとハディージェしか読まないから問題ない」


「はあ……で、どのような話になるのですか」

「今即興で考えているところだから、固有名詞は後で入れる」

「はい、ではとりあえずお聞かせ下さい……」

「滅亡した東ローマ帝国の王族の三男に生まれたテオドロスは、父親の野心から、5歳という異例の幼さで徴用され、オスマン帝国で奴隷となる」

「え……と、テオ室長の生い立ちそのままではないですか。でもそれは出生の秘密ではなく、皆知っております」


 オスマン帝国では、滅ぼした東ローマ帝国の王族や貴族を積極的に統治に組み込んでいった。

 形だけの閑職に就くことが殆どであったが、高官にするためあえて”奴隷”とし、近習学校に入れようとする者もあり、“テオ室長”の父-東ローマ帝国最後の皇帝コンスタンティヌス11世の甥――マヌエル・パレオロゴスはその先駆的な人物であった。


「そうだな……では、皆がその生い立ちを知らないという設定にしよう。それからただの王族ではなく、王子にしよう。父親の代で国が滅亡したということで」

「はあ……それで、その王子はそれからどうなるのです」

「イスタンブルで奴隷カプ・クルとなり、近習学校に入る」

「そのままではないですか。せめて固有名詞を何とかして下さい。特に国名とか……異世界の話にするのでは……」

「だから、それは後から考えると言っているだろう」

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