第17話 見習い法学者の葛藤

「どうしたのですか、スレイマン様。何が駄目なのですか」

 急に落ち込み始めたスレイマンを、支えるようにしてイブラヒムが聞いた。


「ほら、明日……いや、もう今日だ。午前も午後も会議を入れてしまった。しかもその間に視察も……それなのに私は徹夜をしてしまったではないか……」


 ……今頃思い出したのか。

 呆れるとともに、やはりスレイマンの物語やイスラーム法学への情熱に恐れ入った。


「今から、少しでも休まれては。スレイマン様はあまり身体が丈夫な方ではないでしょう」

 自分は一晩くらい徹夜してもどうということはないが、華奢で幼い頃から病気がちだったというスレイマンに徹夜は堪えるだろう。まあ、自業自得とも言える理由ではあるが。


「いや、そうなのだが、今から寝たら朝起きられない……」

 確かに、中途半端に眠ると起きるのが辛い。


「そうだ、ここは宮中式で」

「……何ですかそれは」

「そなたが先ほど説明してくれたではないか。宮廷小姓は午後に昼寝の時間を与えられていると」

 確かにそんな話をしたような気がする。

 だが、もう随分前のことのように感じる。


「昼寝をする気ですか……。駄目です。宮廷小姓は夜勤があるから昼寝をしているのです。そもそも午後に会議を入れたのはスレイマン様ではありませんか。ちゃんと起きていて下さい」

「ああ。昼は起きている。その代わり、今昼寝をする」

 うっすらと明けゆく東の空を見ながら、スレイマンが眠そうにつぶやいた。


「それは昼寝ではないのでは……」

「だからこう、宮廷小姓のように……」

 スレイマンはイブラヒムの横に身を寄せて軽く膝を立てて座り、目を閉じた。

「制服のまま柱にもたれて仮眠を取る」

「それ、制服ではありませんし、そもそも私は柱ではありません……」

「だから、そなたも私を柱にして眠ればいい」


 そう言いながら、スレイマンはイブラヒムの肩にもたれ掛かった。


「かくして法学者スレイマンは」

 スレイマンはゆっくりと語り始めた。

「まだその話、続いているのですか!?」

 500年後に“ほんわり幸せな結末”を迎えたのではなかったのか。


「己を監視する男への複雑な思いに葛藤し、ますますイスラーム法解釈への関心を高めたのであった」

 スレイマンは少し緊張したように言葉を切った。


 しばし、探り合うような沈黙があった。


「えっと……もしかして、さっきの法学者スレイマンとは別の人ですか」

「ああ。見習い法学者の、駄目な県知事スレイマン」


「つまりそれは」

「……葛藤している」


 スレイマンは顔を赤らめて目を伏せた。


(……やはりそういうことか)

 毎日毎日たいして意味のない手紙を回してきて、夜中に部屋まで押しかけ、長々と話を続けるスレイマンが、自分に好意を持っていることは、薄々、というより、かなりの確信を持ってわかっていた。


 そのような好意に応える方法を、自分は一つしか知らない。


「スレイマン様……」

 肩に腕を回し、抱き寄せて口付けた。

 抵抗がないことを合意と受け取ったイブラヒムは、そのまま舌を絡め、上衣の釦に指をかけた。が。


 ばりっ


 としか表現しようのない感覚が頬に走り、イブラヒムは呆然とした。


(顔を、ひっかかれた……?)

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