第19話 読者のために生きているのではない
「え? いえ、あの、スレイマン様? 私はこれでも
「暗誦していることと、自分の問題として読むことは違う。そなた、自分のしていることがどのように良く、どのように悪いか、そういうことを考えながら聖典を読んでいるか?」
なかなか痛いところを突かれた。
確かに、近習学校で暗誦はさせられたが、正直、そのように読んだことはない。
キリスト教徒だった頃もそうだ。
聖書を“自分の問題”として読んだことなどない。
「まだ読んだことのない注釈書を読むのもいいと思ったのだが……やはり、根本となるのは聖典だ。もう一度、初心に帰って読み直し、自分の思いや行いについて、振り返るのだ」
(何て面倒くさい人なんだ……しかも仕事の後!?)
イブラヒムは口に出しそうなのをぐっと堪えた。
「私も当然、暗誦しているが、そなたと一緒に心新たに読みたい」
スレイマンはふふっと笑った。
「
(神学校ってわくわくするようなものなのか……?)
イブラヒムにはいろいろと理解に苦しむところがあるが、やはり、スレイマンの笑顔を見ていると“わくわくする”。
「では、仮眠を取るから、1時間15分後に起こしてくれ」
そう言ってスレイマンはイブラヒムの肩に身体を預けた。
「……何故そのように細かいのですか……」
それ以上に、不純な行為に及ぼうとした自分に再び身を預けてくる神経がよくわからない。
うつらうつらするスレイマンの白いうなじを見ながらイブラヒムはやはり思った。
(あのまま、快楽を求め合ってはいけなかったのか?)
子どもができるわけでもなく、国政に大きな影響を与えるでもなく、県知事であるスレイマンが黙っていれば問題にならないことなのに。
(ああ、神が……)
全知全能の神は見ているだろうが、はっきり言って自分たちよりも罰すべき人々は多くいる。
きっと、忙しくて自分たちを罰する暇などないだろう。
(しかし、面白くない)
イブラヒムは思った。
物語として、面白くないのだ。
ただ、禽獣のように貪り合うだけの行為であっても、物語の中では、そこに至るまでの困難や苦悩がある。
いや、それこそが物語の中核を成すものだ。
それを取り払って“行為”だけがあっても何の趣きもない。
(違う、違う。何故私が世界の外に“読者”を想定して趣きや面白さを求めなければならないのだ……)
無邪気にもたれ掛かってくるスレイマンを押し倒したい衝動に駆られながらも、スレイマンが語った“500年後の世界”が少しだけ気になった。
法学者スレイマンのほんわり幸せな未来の中に、自分はいるのだろうか。
そもそも、あの未来を“ほんわり幸せ”と感じられるのだろうか。
スレイマンは500年後に自分の法律が上書きされていることについて、“500年後の人”の視点から語った。
500年後の人が、偶像崇拝がもたらす愚かな悲劇を回避したことを、“ほんわり幸せ”だと。
だが自分は違う。“読者”や“500年後の人”にほんわり幸せになってもらっても意味がない。
(私が、今このときを、”ほんわり幸せに感じること”に意味があるのだ)
そう言ったら、反論されるだろうか。
それはそれで面倒くさく、また楽しいことであろうが。
(今は、もう少し眠っていて下さい、スレイマン様)
東の空が明るんでいく。
聖典の講読……か。
正直面倒だが、悪くないかもしれない。
目をきらきらさせて小難しい神学談義をするスレイマン様を見ていると、きっとその瞬間はほんわり幸せになれるから。
それで読者が面白くても、面白くなくても、関係ない。
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