第13話 校則と聖典の間には何がある?

「校則をつくる人……ですか」

 イブラヒムは近習学校のことを思い出した。


「白人宦官長……?」

 近習学校で小姓たちの教育に当たるのは主に宦官たちで、“校長”にあたるのが白人宦官長だ。今の大宰相のようにこの地位から行政の長に転じたものもあるくらい高い地位だ。しかし、あくまでそれは奴隷身分であり、しかも去勢された男である。王族であるスレイマンが目指してどうするのだ。


「え?いや、そういう意味ではなく……」

 イブラヒムの反応の方が予想外だったらしく、スレイマンは困ったように言葉を紡いだ。


「校則……に限らず、規則というのは誰がつくるのだ?」

「それは、その組織の偉いお方でしょう」

「では、その偉いお方は何に基づいて規則をつくる?」

「国法?」

「ん……もう一声」

“もう一声”の意味が分からず、沈黙したイブラヒムに、スレイマンは得意げに“答え”を明かした。


聖典コーラン。神自らが託された預言。学校で習っただろう?」


 あまりにも当たり前過ぎる答えで、逆に思い浮かばなかった…と負け惜しみを言おうかと思ったが、やめておいた。


 オスマン帝国のあらゆる「きまり」は国教であるイスラームの教えに基づいてつくられている。その根本となるのが、神が預言者ムハンマドに託した聖典コーランだ。


「だが、例えば、近習学校の校則は聖典そのものではない。何故なら、聖典が託されたとき、まだ近習学校はなかったからだ」

「ええ、勿論そうです」

 今年はヒジュラ暦915年だから、ムハンマドが生きた時代からもう900年以上経っているということだ。あったものがなくなって、なかったものが現れている。


「そこでだ。校則と聖典の間には何があると思う?」


 質問の意味がわからない。校則と、聖典の、間?


「解釈だ」


 すっと髪をかき上げるスレイマンの仕草が、やはり毛繕いをする猫のようだ、と思った。しかし、猫のように見えて難しげなことを言う。


 校則と聖典の間には、解釈がある?


「説明が必要か?」

 スレイマンが挑発的に笑った。


「ええ、お願いします……」


 学園恋愛小説の設定を夜明けまでやっていて眠いというのに、ここにきて難しげな話。ちょっと勘弁して欲しい、と思いながら、やはりきらきらとした翆の目に抗えなかった。

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