第7話 授業中に手紙を回したい
その後、仕事中に何度もスレイマンから手紙──というには小さな紙が回ってくるようになった。
──この後、一緒に夕食を食べないか?
イブラヒムは苦笑して手元の反古紙に、返事を書いた。
──いいですよ。どこで?
知事は考えるまでもないように返事を書いて、書類に挟みイブラヒムに手渡した。
──本館の食堂。
いつものところだ。田舎の県庁にしてはなかなか美味いのだが…。
斜め向かいの机で仕事を続けているスレイマンに、イブラヒムは軽く頷いた。
スレイマンは笑顔を返し、ヴェネツィア製の柱時計に目をやった。
それから何かを走り書きしてイブラヒムに渡した。
──今日は定時で終えられそうだ。
地方で時計など置いている役所は珍しい。
聞いたところによると、スレイマンが県知事として赴任してから私費で買ってきたものを置いているらしい。
そういうところは生真面目な彼らしいと思うのだが……。
書類に挟んで回ってきた紙片に、首を傾げざるを得ない。
「何故、スレイマン様はいつも手紙を回してこられるのですか?いつもここではありませんか」
カッファ県庁本館食堂。小高い丘の上にある県庁から街に出るのは不便なため、県知事であるスレイマンを始め、殆どの者がそこで夕食を採ってから各々の家や宿舎に帰る。スレイマンと親しくなってからは、一緒に食堂に行くのが習慣になっている。わざわざ手紙を回して言うようなことではないと思う。だが、スレイマンは笑顔で断言した。
「いや、仕事中に手紙を回すことに意味があるのだ」
「……何の意味があるのですか」
「そなたは近習学校の出身だろう?」
「はい、それが何か……」
近習学校とは帝国全土から選抜された奴隷──カプ・クル──を皇帝の近習として教育するために、先帝メフメト二世が新宮殿内に作った学校だ。この国の高官の多くが近習学校出身の奴隷であり、近習学校出身であることが一つの地位の象徴となっている。
「近習学校の授業中に、教師の目をかいくぐって、友と回し文をするのが、授業の醍醐味だと聞く」
「……それで仕事中に手紙を?」
「何だその呆れた目は」
「いえ……しかし、ここではスレイマン様が長官ですから、教師の目をかいくぐる醍醐味はございませんが……」
「わかっているが……私も学校というものに行ってみたかったのだ」
少し拗ねたように言うが、どこか寂しさが見え隠れする。
イブラヒムにとって学校とは選んだわけでもなく、奴隷として言葉も分からぬうちから強制的に放り込まれた場所だ。
今となっては忘れがたい思い出の場となってはいるが、学校に行きたいか行きたくないかなど、考えたことがなかった。
スレイマンのような王族には家庭教師がつくのが普通だから、年の近い者と過ごすこと自体に憧れるのだろう。
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