第15話 縁談

 土井庄左衛門しょうざえもんの家臣が米田よねだ城の利三を訪ねて来たのは、新吾が米田城を去ってから半月ほど経った頃だった。夏の陽射しが強く、せみの鳴き声がかまびすしい日だった。


 庄左衛門の家臣は、利三の父・斎藤利賢としかたが利三に会いに庄左衛門のやかたへ来たことを伝えた。

「なに?父上が?」

 蟄居ちっきょ中の利三に親類が会いに来るのは禁じられていた。だから、父にもこの3年会っていなかった。面会が許されたということは、義龍が死んで、稲葉山いなばやま城の首脳部は、利三に対する態度を軟化させたということなのか。


 早速、利三は、甚介ひとりを連れて、庄左衛門の館へ出向いた。


「父上、ご無沙汰しておりました。息災そくさいで何よりです。」

 庄左衛門の館の一室で父と向き合った利三は、父がひどくけ込んでしまったように感じられた。


「息災なものか。冷や飯を食わされておる身ゆえ、毎日、無聊ぶりょうかこっておる。気力も衰えるばかりじゃ。それに、お主は蟄居中じゃしな。美濃守護代・斎藤家の行く末を案じて、白髪も増えたわ。白樫しらかしから老骨にむち打って、ここまで来るのも一苦労だったぞ。」

 美濃斎藤家は、代々、揖斐郡いびごおり(現:岐阜県揖斐ぐん揖斐川いびがわ町)にある白樫城を居城としている。そこから、この川辺郷かわべごう(現:岐阜県加茂郡川辺町)までざっと15里(約60キロメートル)ある。数人の供の者を連れているとは言え、老いた身には、辛い旅だったのだろう。


「しばらくは、この庄左衛門殿の館で休まれてはどうでしょうか?私から、庄左衛門殿に頼んでおきます。」


「すまぬな。いきなりおとなったゆえ、庄左衛門にも迷惑をかけているが、この際、幾日いくにちか休ませてもらおう。」

 庄左衛門は、美濃斎藤家傘下さんかの土豪だから、父・利賢を歓迎してくれるはずだ。


「それにしても、先触さきぶれも寄越よこさず、そんなに急がれてどうされたのです?」

 利三は、わざわざ父自ら出向いてきたことを怪訝けげんに思っていた。


「縁談の話があってな。」

 父は、唐突とうとつに言った。


「誰にです?」


「お主にじゃ。」

 利賢は、一言言うと、出された茶を一口、きっした。


「・・・!」

 利三は、一瞬唖然あぜんとしたが、気をとり直して

「断ります。もう、小夜さよのような目にわせることを繰り返したくない。」

 利三は、21歳で奉公衆ほうこうしゅうの役目を終え、摂津せっつから美濃へ帰ると、すぐ縁談の話があり、美濃斎藤家の遠縁とおえんの家から小夜という娘を娶った。小夜との結婚生活は2年半ほど続き、仲もむつまじかったが、小夜との間に子をなすことはなかった。そして、主君から川辺郷での蟄居が命じられると、小夜とは離ればなれになった。結局、小夜は白樫城で病を得て、利三の蟄居が1年経とうとする頃、帰らぬ人となった。訃報ふほうに接した利三は、小夜の薄命はくめいあわれみ、自分がそばにいてやれなかったことを激しく悔いた。


「まことに。小夜には、辛い思いをさせた。わしも墓前で何度も謝った。今でも墓参ぼさんを続けておる。だが、利三、この縁談は、殿の命によるものじゃ。断ることは、ならんぞ。」

 利賢は、厳しい表情で言った。


たつ・・・。いえ、殿の?」

 利三は、普段、新しい主君を「龍興たつおき」と呼んでいるが、父の手前、「殿」と呼ばねばならないと思い、とっさに言い換えた。


「左様。殿から白樫城へ使いが来てな。主命じゃという。なんのことかわからず、悪いしらせかと思って、ひやひやしとったが、めでたいことじゃった。先代の殿の頃は憂き目を見た守護代・斎藤家じゃが、この縁談を機に家運かうんを再び隆盛りゅうせいにもっていくこともできるじゃろう。それだけ重きをなす家の息女との縁組えんぐみじゃ。」


「その重きをなす家とは?」


稲葉いなば家じゃ。稲葉良通よしみち殿のご息女との縁組じゃ。稲葉殿は、ぜひともお主にとつがせたいと申されておる。先代の義龍様に蟄居を命ぜられたお主との縁談の許しを申し出られた龍興様は、最初は渋っておられたようじゃが、稲葉殿は頑固で粘り強いお方。殿をあの手この手で説いて、説得してしまわれた。信頼する稲葉殿に力説されて、殿もその気になられたようじゃ。そして、お主の蟄居を解く、そして稲葉殿のご息女と縁組せよという主命がおりたというわけじゃ。」


(稲葉・・・。西美濃三人衆の筆頭。)

 西美濃三人衆とは、道三系斎藤家の最有力の重臣で、稲葉、安藤、氏家うじいえの三家を言う。その三家の筆頭である稲葉良通がなぜ、自分に娘を嫁がせようと思ったのか。利三は、良通の名は知っているが、彼との接点もなく会ったこともない。

それも解せなかったが、その筆頭の家の息女との縁組となることは、美濃を支配する現在の旧時代的傾向の強い首脳部に自身が組み込まれてしまうことではないか。それでは、光秀が目指す世の実現のために彼を支えるという自身の決意から離れていってしまう。


「少し考えさせてもらえませんか?相談したい人もいますので。」


「主命じゃぞ。そして、稲葉殿という重臣中の重臣のご息女との縁組じゃ。断ることはならんぞ。」

 利賢は、白くなり垂れ下がった眉の下から射すような視線を利三に向けながら言った。

「誰なのじゃ。その相談したい者とは?」


「明智光秀殿です。私の盟友です。」

 利三は、父から向けられた視線をはねかえすように、父を強い眼光で見返しながら言った。


「明智殿?先年、義龍様に攻め滅ぼされた明智殿か?」


「その生き残りの光秀殿と今、米田城で起居ききょしております。」


「浪人となっておる者と話して何になる?主命には、決して逆らってはならんぞ。」

 父は語気を強めて言った。父・利賢は、もよく、悪い男ではないのだが、美濃守護代を代々務めた家の出であるので、名家意識が強い。だから、主命や重臣の家などを重視する権威主義的なところをもっている。利三は、この父が旧時代的な感覚から抜け出せないまま生きていることを少しあわれに思った。


「わかりました。断ることは致しません。ただ、重臣の稲葉様の嫁を迎えてからは、他家とどう付き合っていくべきかなど、世故せこけた光秀殿にご助言いただきたいと思っているだけです。」

 これは、利三のこの場を切り抜ける方便ほうべんだった。光秀が、この縁談に反対するならば、父には悪いが、そのまま道三系斎藤家を出奔しゅっぽんし、光秀と共に生きていこうと思っている。


「わかった。明後日みょうごにちまで、わしは、この館で旅の疲れをいやそうと思う。明後日の夜には戻れ。その翌日、稲葉山へ共に出立しゅったつするぞ。よいな。」

 利賢も、主君・龍興の命でこの縁談がある以上、稲葉山で利三と共に龍興に御礼言上おれいごんじょうをせねばならないのだ。そして、稲葉良通にも挨拶をしなければならない。


「わかりました。明後日の夜には戻ります。」

 利三は言って、その日のうちに米田城へ帰った。


(光秀殿は、なんと言うか?)

 利三は、米田城への道中、そのことばかりを考えていた。

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