第14話 針路

義龍よしたつ殿が亡くなられたか・・・。」

 光秀から斎藤義龍の死を聞いた肥田ひだ玄蕃げんばは、腕を組んで瞑目めいもくした。


 今、米田城よねだじょう奥書院おくしょいんには、利三、光秀、新吾、左馬助さまのすけ、玄蕃の5名がいる。権現山ごんげんやまでの狩りからの帰り道、不意に現れた明智左馬助がもってきた情報は、まさに晴天の霹靂へきれきといえるものだった。


(まだ、義龍は34歳のはず。それが、これほどあっけなく。)

 利三には、ひと月前の雷鳴の夜がおのずずと思い出された。自分に刺客まで向けた主君は、最後まで自分をうとんじ続けた。そして、あっさりとってしまった。義龍は、道三のかたきでもあるし、光秀の目指す世の中の障壁であることは間違いない。だから、この世からいなくなったことは、よいことかもしれない。

 しかし、利三には、どこかむなしさがあった。「刺客を送くりたくば送れ。いつでも相手になろう。」という気概で平生へいぜいいたから、張り合う相手がいなくなったという虚脱感きょだつかんはあった。


(だが、これで光秀殿の目指す世が少し近づくのは確かだ。)

と、前を向いていくように気持ちを切り換えた。


「亡くなられた原因は?病だったのか?左馬助殿。」

 玄蕃が、光秀から渡された書状に目を落としながら言った。


「いえ。手の者も、そこまではつかんでいないようです。その書状に書かれていることがわかっているすべて。くわしいことは、今後、わかってくるかと。」

 左馬助が答える。


「わかった。ひとまず、今日は夕餉ゆうげにしよう。利三殿たちが狩りでってくれたおかげで、今晩は猪鍋ししなべだ。今、作らせている。」

 玄蕃が、小者へ命じて、勝手元かってもとへ走らせた。ぜん支度したくを命じたのだ。



 それから数日経って、明智の手の者から義龍の死について詳しい状況の報せが届いた。奥書院に5人は集まった。


 光秀が書状を見ながら、他の4人に伝える。

「病だったそうだ。顔や手足がただれる病らしい。」


「あれほど大柄で丈夫そうな男が・・・。ちょっとやそっとのことでは死にそうにないと思っていましたが。」

 新吾は、義龍の姿を思い浮かべているのだろう。


 義龍の体躯たいくは、6尺5寸(約195センチメートル)と途方もない大きさだった。利三も、義龍に遠ざけられる前は近くにいたこともあるから、その図抜けた大きさは知っている。その身体からだからは、を圧するような威風が発せられていたように見えた。道三が隠居した後に、美濃の大半の武士の支持を集め、道三をはるかに上回る兵力を掌握することができたのは、義龍が、自分には、もと美濃守護・土岐氏の血が流れていると強調したことにもよるが、もう一つは、その大きすぎる体格とそこから発する身体しんたい的威圧感で他を威服せしめるところもあったのではないかと思った。


「毒殺ということではないだろうな?」

 玄蕃が光秀と左馬助の方を向いて尋ねた。


 左馬助が答える。

「それは、なかろうと思います。義龍は、国主になるために血塗られた道を選びました。だから、自分を恨んでいる者も多いと思って、相当、身辺には警戒していた。猜疑心さいぎしんも強く、注意力も非常に高い。毒を盛られるようなへまはしないでしょうな。」


「なるほどな。それで、光秀殿、次の国主のことはその書状に書いてあるか?まあ、だいたい分かるが。」

 玄蕃は、わかりきったことをいている自分がおかしいのか少し笑みを浮かべている。


「斎藤龍興たつおきでほぼ決まりだと書かれている。義龍の一人息子だな。」


 利三も、龍興の名は知っている。今年で14歳になる、まだ少年だ。利三が蟄居を命じられた3年前は、龍興は元服もしていなかったので、稲葉山いなばやまでも見かけることもまれだった。どんな人間なのか分からない。


「龍興殿については、すぐれたところも聞こえてこなければ、悪いところも聞こえてこない。つまり、よく分からぬお方だ。跡継ぎというものは、だいたい評判が風に乗って聞こえてくるものだがな。あの方については、何も聞いたことがない。」

 玄蕃は、織田家に心を寄せているとはいえ、実際は斎藤家に籍を置く家臣だから、龍興のことも何か知っていると、利三は思ったが、本当に何も伝わっていないようだ。


 この書状の内容についての話は、それでしまいになった。



 それから10日が過ぎた。稲葉山城からの使者が米田城へやってきて、玄蕃にいくつかのことが通知されたようだ。玄蕃の家臣が剣術の稽古中だった利三と新吾、また美濃の今後の情勢について話し合っていた光秀と左馬助に対して、奥書院へ集まってほしいとの玄蕃の言葉を伝えに来た。


「今、稲葉山城からの使者が、殿からのお触れをもってきた。これは、美濃の国中に出されたお触れだそうだ。」

 玄蕃は、明智の手の者がもたらした情報の通り、美濃国主には、斎藤龍興がいたことを伝えた。


 そして、やや表情をこわばめ、

「これは、新吾のことなのだが・・・。」


「おれのことが、この触れに書いてあるんですか?」

 新吾は、目を丸くした。


 玄蕃はうなずくと、

「斎藤新吾利治としはるなる殿の叔父おじかくまっている者は、即刻申し出て、その者を稲葉山の殿のもとへ引き渡すこと。引き渡せば、褒美として新知しんち(※)を与えるが、匿い続けるにおいては、その者の領地を召し上げ、その者のみならず親類縁者は美濃から放逐ほうちくするとのことだ。」(※ 新しい領地)

 と静かに言った。


 しかし、次に語気を強めた。

「安心せよ。新吾。おれは、絶対に盟友を売ったりせん。この肥田玄蕃、信義をなによりも大切にしておる。匿っておることが知れて領地を失っても、信義は失わぬ。信義は、生き続ける。」


「かたじけなく思います。玄蕃殿。しかし、やはり、玄蕃殿のみならず、この肥田家中にも迷惑がかかります。」

 新吾は、うつむいた。斎藤新吾という武士にとって、今の美濃にはって立つ寸土すんども、龍興は与えないつもりだ。


「義龍の奴は、日頃から、新吾を生かしておいては災いが起こるとでも龍興に相当吹き込んでいたのかもしれんな。義龍もそうだったが、龍興も自分に流れる血のうち、道三公の血よりも土岐ときの血を上に見ておるようだ。土岐の血が流れておらぬお前には、斎藤家から消えてもらいたいようだな。親父の義龍と同じで、血にしばられたつまらぬ男だな。」

 利三は、そう言いながら、ますます新吾が憐れに思えてきた。


 光秀は腕を組み、考えて込んでいたが、ふと口を開いた。

「どうだ。新吾。尾張おわりの織田家へ行っては。おれが書状を信長殿宛に書く。お前の姉上、帰蝶きちょう様からも口添くちぞえしていただくようにお願いする。信長殿にとって、お前は義理の弟だ。きっとよくしてくれるだろう。」


 新吾は、はっと顔を上げた。その表情は、さっきまでと違い、明るくなっていた。

「ありがとうございます。光秀殿。おれも、義兄上あにうえには一度お会いしたかった。尾張の空気にも触れてみたい。よろしくお願い致します。」


 話がまとまり、奥書院から、おのおの自室へ戻った。光秀は、早速、書状をしたため、左馬助に持たせて尾張に向かわしめた。



 20日ほど経って、明智の手の者が米田城に来て、新吾受け入れについて首尾しゅびよくいったこと、信長も快諾していること、左馬助は尾張で新吾の新しい生活のために準備をして待っていることなどが告げられた。



 新吾の出立しゅったつの日になった。米田城の大手門の前で新吾を送り出した。

「玄蕃殿、光秀殿、本当にお世話になりました。」

 新吾の目は希望に満ちている。そして、目の中には光るものがあふれ、こぼれ落ちそうだ。


「お互い、信長殿のもとでまた会える日が来る。そのときを楽しみに待つぞ。」

 言葉とは裏腹に、玄蕃は、少し寂しそうな顔をしている。


「お前は、土井庄左衛門しょうざえもん殿のやかたで初めて見てからずいぶんと成長した。剣の腕も、砲術も、そして人間の大きさもな。」

 光秀が新吾の肩をたたいた。


 新吾は、二人に一礼してから、利三の方を向いた。

「利三殿・・・。」

 新吾のほおに、ついに大粒の涙が流れた。


「お前は、おれの初めての弟子だ。今、一時いっとき、別れても弟子は弟子だ。剣の稽古に励めよ。この天が広がり、地が続く限り、おれたちは必ずまた会える。そのときは、おれを驚かせるくらいの剣の腕になっておれよ。」

 利三は両の手で、新吾の右手を固く握った。新吾も、利三の握る手の上に左手を置き、深々と一礼した。


 新吾が去ってゆく。利三は、その後ろ姿を見ながら、新吾の前途に光明がそそぐことを強く願った。

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