第13話 天狗

 利三は、腰の無銘むめい関孫六せきのまごろく」に手を掛け、光秀の向こうに立つ、ぶなの木をにらえた。木からのぞいている銃口からは、まだ薄黒い煙が立ちのぼっている。


義龍よしたつの刺客ならば、周囲にも幾人いくにんかいるはず。)

 利三は、周囲に気を配ったが、それらしい気配は感じられなかった。

(まさか、一人で来たのか?)

 そう思っているに、木からのぞく火縄銃のそばにもう一本、棒状のものが見えた。その棒状のものは顔らしきものから伸びていることもわかった。その顔らしきものが、木の後ろから完全に出て、こちらから明らかに見えた。


(面。天狗てんぐの面か。)

 利三がそう思ったのもつか、その天狗は、火縄銃をその場にほうると、こちらに向けて猛然とけてきた。まるで、獲物に狙いを定めたたかのような速さで迫ってくる。


 天狗は、光秀のところは素通りして、利三めがけて疾風はやてのごとく駆けてくる。光秀は全く動かない。太刀たちを構えることもしない。それが、利三には不思議だった。


 天狗が迫る。腰の太刀に手を掛け、抜刀の構えのままけてくる。


 利三も、抜刀の構えを崩さない。相手より先に抜き、一撃で仕留めるつもりでいた。天狗が利三の目の前まで来た。利三は抜刀した。すり上げて相手の胴を斜め下から斬り上げようとした。刹那せつな、天狗は利三の体の右側へそれるように瞬時に跳び込んだ。


(すさまじく速い。)

 利三は、その速さに付いていくために体を右回りにひねって太刀の軌道を修正し、天狗の右の脾腹ひばら斬撃ざんげきを加えた。


 ギィン!やいばと刃とがふれ合う音が響き、山に反響した。天狗は、太刀で受け止めていた。太刀をすべて抜いているのではなく、半分だけ抜いて受け止め、半分はさやに収めた状態である。利三の斬撃の速さを受け止めるには、半分抜くだけの時間しか与えてもらえなかったようだ。


 天狗は、地にちゃくすると、利三には見向きもせず、さらに駆けた。後ろをふり向いた利三は、天狗が新吾を狙っていると直覚した。利三は、天狗の背中を追いかけた。新吾は、地に伏せていたためか、まだ抜刀できていない。


 迫る天狗の前に、甚介が立ちはだかった。抜刀して構えた。やはり、甚介には隙がない。既に天狗は抜刀している。天狗と甚介との距離が縮まった。甚介が踏み込んだ。水平に太刀を運び、斬りかかった。次の瞬間、天狗の跳躍。甚介の横斬よこぎりをその軽捷けいしょうさで巧みにかわした。


 天狗は、甚介の斬撃をも躱すと、やはり一直線に新吾に肉迫した。新吾は動揺しているようで、まだ抜刀していない。利三も甚介も間に合わない。天狗は、新吾の後ろに回り込んで、その左腕をつかんで背中にもっていきめ上げると、その太刀を新吾の頸筋くびすじにあてた。


(新吾が死ぬ!間に合わぬ!)

 利三は、全身から汗が噴き出してきた。


 そのときだ。

「いい加減にせよ!左馬助さまのすけ!」

 光秀の高声こうせいが聞こえた。


 左馬助と呼ばれたその男は、新吾の腕を放すと、その天狗の面をとった。いたずらをした少年が叱られて苦笑いをしているような表情だった。よわいは、利三より2つか3つ下のようだ。髪は伸ばして肩の辺りまで垂らし、無精髭ぶしょうひげを生やしていた。目鼻立ちは筋が通り、どこか光秀に似ている。


「いや、従兄者あにじゃ、失礼致した。悪さが過ぎました。新吾殿、痛かったろう。すまなかった。だが、相手に翻弄ほんろうされ、抜刀もできんとは、まだまだ修行が足りませんな。」

 左馬助にそう言われた新吾は、まだ呆然ぼうぜんとしているようだ。


「光秀殿、この者は?」

 利三が尋ねる。


 光秀は、厳しくしていた顔をほころばせて言った。

「明智左馬助秀満ひでみつ。おれの従弟じゅうていだ。おれの叔父上・光安みつやす殿の息子でな。挨拶あいさつ代わりに、こういうことをする。まあ、許してやってくれ。」


「新吾が斬られそうになったのには、きもを冷やしましたが、久しぶりに白刃しらはを抜いて勝負できたことはよかったです。」

 利三は、光秀に笑顔を向けると同時に、

(明智城落城の際、光秀殿と共に城を脱出した、もう一人の明智の生き残りか。)

 と考えていた。


「利三殿も、甚介殿も、すまなかった。お二人とも、やはり従兄者の書状に書いてあった通り、すぐれた剣の遣い手だ。剣を交えてよく分かりました。」

 言って、左馬助は太刀を鞘に収めた。


「左馬助殿の速さには驚いた。あれほど俊敏に動ける者は、この美濃で会ったことがない。」

 利三は、まだ、左馬助が目の前で利三の体の横へ跳び込んだときの速さが頭から離れない。


「利三殿こそ、抜刀した後の太刀筋たちすじをすぐさま直して、的確におれの脾腹を狙ってこられた。あれには恐れ入りました。危うく斬られるところだった。甚介殿の横斬りも予想していたより速く、少し焦りましたな。」

 左馬助は、こういう闘いに飢えているのか、いかにもすがすがしそうな表情でしゃべった。


「私のことなど・・・。利三様と比べること自体おこがましいほどの腕です。」

 甚介は、左馬助の言葉に恐縮しているようだった。


 光秀が話に割って入った。

「この左馬助はな、今、織田家に心を寄せ始めている美濃の武士の間を回ったり、美濃や尾張を往来し、織田家中とおれとのやりとりの仲立ちをしたりしている。それで、尾張の一部の若い武士の流行はやりに毒され、さっきのように天狗の面などかぶって現れることもある。」


「尾張で前田又左衛門またざえもん(前田利家としいえ)という浪人やそのおい慶次郎けいじろう(前田利益とします)という者たちに出会ったんですが、とても気持ちのよい男たちでした。その風体ふうていも派手で『傾奇者かぶきもの』なんて呼ばれているんですが、おれもちょっとあこがれて、天狗の面なんてつけてます。」


 利三も、奉公衆ほうこうしゅうとして、畿内にいたときに、京で異風を好み、派手な装束しょうぞくで徒党を組んで闊歩かっぽする連中を見たことがあった。その流行が、今、尾張やこの目の前の左馬助にも流れてきているらしい。


「かぶくのも、ほどほどにしろよ。それより、左馬助よ。ここに現れたということは、なにか知らせをもってきたのだろう?」

 光秀が言った。


「はい。井ノ口いのくち(現・岐阜市)にはなっている、おれたちの手の者からの知らせです。厳封してあるので、かなり重要なことが書かれていると思われます。」


「そうか。見せてくれ。」

 光秀に言われて、左馬助はふところから書状を出した。


 餅米もちごめで作ったのりで厳重に封がしてある。光秀が開いて文字を眼で追っている。さっきの銃声や剣戟けんげきで、鳥も遠くへ行ってしまったのだろう。鳥のさえずりもない、静寂せいじゃくな時間が流れた。


 読み終わって、光秀が息をんだようだ。他の4人を見回してから静かに口を開いた。

稲葉山いなばやまにて、義龍が死んだ。」

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