第7話 遺児

 もうかなり夜は更けていたが、光秀は仮寓かぐうしている肥田玄蕃ひだげんばの館へ帰って行った。


 利三は、途中まで送ろうと申し出たが、光秀が断った。休んだ方がよいと勧めてくれた。光秀との対話に心が昂揚こうようしていたが、この夜の争闘もあり、利三の疲労は極限に近かった。光秀は、こういう細やかな心遣いもできる男なのだ。利三は、やはり光秀にかれている自分がいることに気づいた。


 光秀が去った後、利三は、ずっと奥の間で起きていてくれた庄左衛門しょうざえもんに礼を言い、新しく用意された寝間ねまで寝床についた。睡魔は時をおかず訪れ、文字通り泥のように眠った。


 どれほど眠っただろうか。利三は目覚めた時、もうかなり太陽は高くなっていた。太陽の位置から考えての刻(午前10時ごろ)ぐらいだろう。縁側に出て感じたのは、目がくらむほどにまぶしい陽の光だった。前庭の塀のあたりには、南天の白い花が咲き誇り、その葉も青々と茂っている。この永禄えいろく4年(1561年)も、もう夏に近い。


 利三は、裏庭に出て井戸の水で手拭てぬぐいをしぼり、その引き締まった身体からだいていると、うまやの方から人のうめく声が聞こえてきた。呻き声の合間に数人の男たちの怒鳴り声も聞こえてくる。


 声の方へ行くと、厩の中で縄をかけられた男がわらの上に座らされ、庄左衛門の家臣2人、小者2人に囲まれていた。4人とも立ち姿で手に手に木刀や槍の稽古用の棒切れを持ち、男を上からねめすえている。座らされている男は、昨夜の利三襲撃に加わっていた一番年若の刺客だ。顔はれ、額やほおのあたりにあざをつくっていたが、眼には精気が宿っていた。


 厩から2けん(約3.6メートル)ほど離れた所から庄左衛門が腕を組んで様子を見ていた。その表情は苦々しそうだ。庄左衛門も本当はこんなことをしたくないのだろう。利三は、庄左衛門に近寄った。


「庄左殿。昨日の襲撃は義龍の命で行われたことは明らかだ。襲ってきた刺客の頭分かしらぶんもそう言っていた。これ以上、何を知るために吐かせようとしている?」


「こやつが何者か、その素性すじょうは知っておかねばなりません。そして、生かして帰せば、のちのち利三殿にとっても、我ら土井家にとってもしかろうと存じます。・・・おい!やれ。」


 庄左衛門の返答には、永年ながねん、この乱世の緊張状態の中を生き抜いてきたからこそ言える峻烈しゅんれつな意志が込められていた。


 また、打擲ちょうちゃくが始まった。庄左衛門の家臣は自らそれをやらない。小者に指示してやらせている。小者は、木刀や棒切れで男の腕、足、顔などを殴りつけている。しかし、男は呻くのみで一向に口を割る気配はない。


(昨夜のおびえきった姿は、まやかしだったのか?)

 利三の頭の中では、昨夜この男がさらした、武士としては、ひどい醜態と今この打擲に耐えている忍耐力とが結びつかない。


(このままでは死ぬかもしれん。もしかしたら殺すには惜しい男なのかもしれん。)


 だが、庄左衛門の決意も分かる。庄左衛門とて本心とは別に、自分の家のためにやらなければならないのだろう。


 利三は、止めるべきか見守るべきか迷った。思案していると、庄左衛門が一つの手燭てしょくを腰の袋から出して利三に見せ、言った。


「これは昨夜、こやつが持っていたもの。あとは大小(※)があるだけで他に手がかりはない。こうやって吐かせるしかないのです。」(※ 太刀と脇差のこと)


「見せてください。」

 利三は、庄左衛門からその手燭を受け取ると、丹念に調べた。手燭の灯火とうかをつける面の裏に手を触れたとき、何か凹凸おうとつがあるのを感じた。手燭を裏返して見たとき、利三は一瞬息をんだ。


二頭波にとうなみ!)

 なにゆえ、この男が二頭波の家紋の入った手燭を持っているのか。二頭波は、道三自ら図柄を考案した、道三系斎藤氏を表す家紋だ。利三の属する美濃斎藤氏の家紋は、撫子なでしこであるので道三系ではない。二頭波は、道三に連なる者しか使えない家紋なのだ。もしかしたら、この男は年は若いが、道三の縁者なのであろう。

 この者が道三系斎藤氏の者ではなくて、道三の縁者から、この家紋入りの手燭を借りたとは考えにくい。戦において自家の家紋入りの旗指物はたさしものをその家の者がつけるように、他人の家の家紋の入った道具を使って戦いに行くなど御家を大事とする武士としてやってはならない恥ずべきことだからだ。


 二頭波に気づいたとき、利三は即座に庄左衛門に声をかけていた。

庄左しょうざ殿、待ってくれ。ここは、おれに任せてくれんか。この者、道三公の縁者かもしれん。」

 利三は、手燭の裏を庄左衛門に見せながら言った。


「これは、二頭波。…わかりました。利三殿にお任せします。」

 庄左衛門にとっても、道三という人物の名は、重みのあるものだったのだ。庄左衛門は、陪臣ばいしんだから直接、道三に会ったことはないだろうが、たぶん主筋の美濃斎藤家を通じて道三からさまざまな恩を受けていたのではないか。

 目の前の男が、道三の縁者ということならば、これ以上の打擲は続けられないのだろう。また、利三は、これでだいたいの素性も分かったので、自分に任せてくれるだろうと思った。


 利三は、男をにらみつけている庄左衛門の家臣や打擲を続けている小者の方へ歩み寄った。それに気づいた家臣が片膝かたひざを地に着いて頭を下げた。それにならって、小者も、木刀や棒きれを地に置いて平伏した。

「やめてくれ。おれは、この家にとって、ただの厄介者だ。そんなことをされるいわれはない。なあ、ちょっとでいい。この場はおれに任せてくれんか。」

 言って、利三は一番近くにいた庄左衛門の家臣の肩を軽くたたいた。

 家臣は、庄左衛門に指示を仰ぐようにして眼を向けたが、庄左衛門がうなずいたようで、

「わかりました。この男、お預け致します。おい、行くぞ。」

 と言うと、もう一人の家臣と共に利三に一礼し、連れだって母屋の方へ歩き去った。

 家臣が去った後、平伏していた小者2人は顔を上げ、利三を見上げた。両人とも顔から汗が滴り落ちた。だが、拷問を行うという立場から解放された安堵感が顔に出ている。武士でもなく、この刺客とは何の関係もない、この小者たちにとって、やはり打擲を続けることは心が痛んでいたのだろう。この川辺郷の人気じんきは、この郷を北から南に流れる飛騨川の流れの如く元来穏やかなのだ。

 小者たちも去った。


 その場に残っていた庄左衛門が利三の耳元へ小声で声をかけた。

「それがしも、もう行きます。しかし、利三殿。」

 急に険しい顔になった。

「道三公に連なる者であり、確かに何らかの事情があって昨晩の刺客の一人として、ここへ来たことはわかります。しかし、義龍が放った刺客の一人であることに間違いはありません。もし、不穏な動きを見せたり、逃げようとすることがあれば、やはりやむをえません。容赦なく成敗を。」


「わかった。そのときは、おれの手で。」

 利三は、腰の太刀たち関孫六せきのまごろくへ手をあててみせた。庄左衛門は、強くうなずくと去っていった。


 厩に足を踏み入れた利三は、先ほどまでの拷問でまだ息の荒いこの年若の刺客の目の前で、手燭を裏返しにして二頭波の家紋を見せながら言った。

「お前は、二頭波の斎藤家の者だろう。道三公とどういう関係がある?」


「・・・!」

 若者は、一瞬はっとしたが、途端に笑い出した。

「ははは。さすがは、美濃で一目いちもく置かれる斎藤利三殿だ。おれは、ずっと使ってきたその手燭の裏に家紋が彫ってあるなど気づきませんでした。」


「暗殺というのは、足がつかないようにするものだ。抜けた奴だ。暗殺に来る前に調べておけ。」


「暗殺に来た刺客が、命を狙われた者に暗殺の心構えを教えられるとは、聞いたことがありません。」

 言って、若者は、笑い続けた。


 利三も、なんだかおかしくなってきた。この若者の笑顔を見ていると、世の中の若者特有の、自分の前途に起こると考えられるどんなことも悲観的に観ることはしない一種の図太さのようなものが感じられた。利三は、27歳だが、自分よりかなり年下のこの男のがうらやましかった。


 利三は、若者の背中に回ると、後ろ手に縛られた縄を解いてやった。

「縄を解いたら、逃げるかもしれませんよ。」

 若者は、後ろにいる利三の方へ顔をふり向けながら言った。まだ、口元にみを浮かべている。


「いや、お前は逃げない。おれには分かる。」


 利三は、ゆっくりと藁の上に胡座あぐらを組んで座り、若者と向き合った。

「それで、お前は、道三公の何なんだ?」


「・・・息子。一番 すえの息子です。」


「やはりな。道三公の遺児だったか。二頭波を見たときから、薄々そう思っていた。」


 何もかも見透かされていることに驚いているのかもしれない。若者は、利三に畏怖いふの想いをもったのだろうか。しばらく声を出せないでいた。


 利三は、道三との接点は直接にはなかったが、かつて摂津せっつから美濃へ戻った際、井ノいのくち(現:岐阜市)で多数の供を連れていち商人あきんどに、きさくに声をかけて回る道三を見かけたときのことを思い出した。


 今、目の前に座っている若者。似ている。道三に。

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