第8話 新吾
利三は、道三の末の息子と名乗った年若の男としばし見つめ合った。その間、
「道三公には、義龍を
「
新吾は、縛られていた縄がきつかったのだろう。手首のあたりをさすりながら言った。そして、その辺りに落ちていた小枝で自分の名を地面に書いて見せた。
「おれと同じ『
美濃斎藤氏が代々継いでいる
「父は、祖父と共に父子二代で美濃を乗っ取りました。最後には守護を追い出しましたが、その後も美濃に代々根を張ってきた家には相当気を遣っていたようです。それで、おれの元服の際に『利』の字をつけ、利治を名乗れ、と。」
(道三公は、やはり美濃の「和」を大切にされていたのだ。こういう配慮からも分かる。だが、そんな道三公も最後には長良川で圧倒的不利の中、敗死された。)
長良川の戦いのとき、道三の兵数3000足らずに対し、
利三は、ずっと気になっていることを
「さっきの激しい
「まあ、利三殿の剣技と、
新吾は、にやにやして言った。
「股間も濡れていたろう。あれもわざとか?」
「利三殿を襲うと決められた
新吾は、そんな自分を思い出して恥ずかしくなったのか目を利三からそらした。
「なぜ、そこまでしてあんな無様な格好をしなければならなかった?」
利三は、理解に苦しんだ。新吾は、若いとは言え、前国主・道三の息子であり、現在の国主・義龍の弟だ。恥も
新吾は、それまで微笑をまじえながら話していた表情から一転して、厳しい表情になった。
「義龍は、鬼です。
天文23年(1554年)に隠居し、国主の座を義龍に譲っていた道三であったが、義龍よりも孫四郎、喜平次という次男、三男をかわいがった。義龍は、自分が
この報を聞いた道三は、急ぎ井ノ口(現:岐阜市)の屋敷を去り、北方の
利三の美濃斎藤家は、道三系斎藤家のこの内紛には中立的な立場を守った。だから、利三も、この戦場には出ていない。後になって、この
「おれは、長良川の戦のとき、元服はしていたものの15歳でした。戦場にも出ず、何もできなかった。ただ後になって、その戦で父が死んだことを知っただけです。」
新吾は、そのときの自分の無力さを思い出したのか沈痛な表情になった。利三は、ふと明智城落城を語っているときの光秀の顔を思い出した。人が自分の無力さを自覚したときに感じる切なさは、心の大部分を占めてしまうものらしい。
「なぜ、あれほどの父があの戦の折、義龍の5分の1も兵を集められなかったのか、自分なりに調べ、考えました。」
これは、利三も気になっていた。利三は、あの戦の後、義龍から
新吾は、道三が守護の
それに加え、義龍が土岐頼芸の子であるという噂がまことしやかに美濃に広まっていた。道三は、頼芸の
新吾は、かなり深いところまで分析していた。
(本当かどうかわからん噂におどらされる美濃の武士も美濃の武士だな・・・。そして、守護を追い出しても反動を許さないくらいの絶対的な支配力が道三公には必要だったということか。その強大な力とは、光秀殿が言っていた「力」だ。)
それにしても、新吾のこの情報の収集力、洞察力はなかなかのものだ。利三は、新吾には、ひょっとしたら兵略・政略の才があるのではないかと思った。
「このようなことで、頼りにしていた父を失ってから、おれは、いつ兄二人のように義龍に殺されるか、そんな恐怖心に
「なるほどな。そうやって、義龍に臆病者が自分に逆らうはずもないと思い込ませるために。だが、お前は、おれを暗殺するための刺客に選ばれた。返り討ちに
「そこです。放っておいても人は育つ。おれも今年20になります。おれが臆病者でも、成長したおれを
「お前らが、おれを襲ってきたときにも言ったが、そんな兄をもって、つくづく不運だな、新吾。」
「おれも、義龍に
利三は、新吾の置れている状況に同情した。また、戦国大名の家に生まれるということの苛烈さを思うのだった。
(まさに、この男にとって、今の
「おれは、死ぬことは怖くない。だが、
新吾は
「お前は、この乱世に生まれるべくして生まれた男かもしれん。道三公は、
と、いきなり新吾が地に両手を着いて、視線を下に向けて大声で言った。
「斎藤利三殿!この斎藤新吾利治をお
新吾は、
「それに、おれには、もう戻る場所はありません・・・。」
父に先立たれ、兄に命を狙われる。新吾の眼から
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