第9話 甚介
「
利三は、新吾を見据えたまま言った。
「左様です。お願い致します。」
新吾は、地に
「お前は、自分の出自を考えていない。おれにとっては主筋にあたる道三公の息子であるお前が、おれの臣下になるのは間違っている。感情に任せて、かようなことは言うな。おれがどの家にも属していない浪人ならばよいが。おれは、義龍を見限っているとはいえ、道三公より始まる斎藤家の家臣なのだ。」
新吾は、ちょっと考えて、
「では・・・弟子ということでは?剣術の弟子というのは、いかがですか?」
と言った。
「・・ははは。言葉では、どうとでも言い
利三は、新吾のこういう思考の切り換えに若者ならではの柔軟さとおかしみを感じた。
(面白い奴だな。)
利三は、この
「わかった。共に行こう。だが、道三公の息子だからとて、甘やかさんぞ。」
「もちろんです。いいように引き回してください。」
新吾は、まだところどころ
その後、利三は、新吾に井戸の水で
利三は、庄左衛門に新吾の
庄左衛門は、
「あの者、道三公の縁者でも
「会っていただきたい。今、待たせています。おい、入れ。」
障子越しに呼ばれた新吾が入ってくる。庄左衛門は、すぐさま下座へ動き、新吾を上座へ座らせようとした。
「待ってくだされ、
庄左衛門は、平伏した。
「今朝方は、道三公の
「あんなものは、かすり傷です。それに、師の盟友である庄左殿が腹を切れば、師は悲しむ。師を悲しませるもとになったおれは、腹を切らねばならなくなる。やめてください。おれの方こそ、昨晩は貴殿の館に乱入し、仲間が暴れ、ご迷惑をおかけしました。お許しください。」
「庄左殿、お聞きの通りだ。もう気に病むのは、やめた方がいい。だれも悪くない。悪いのは、ただ一人、義龍よ。」
利三は、庄左衛門に温顔を向けた。
庄左衛門は、平伏していた身を起こし、
「かたじけのう存じます。」
と言うと、もとの位置に座り直した。
新吾は、利三と並んで座り、二人は庄左衛門と向かい合った。
「それで、先ほど利三殿よりうかがったのですが、新吾殿も義龍のもとを離れられる
これには、利三が答える。
「昨晩、光秀殿も心配されていたが、義龍にこの居館におれがいることを知られてしまった。あちらが刺客を放つ事態になったのだ。こちらも雲隠れをさせてもらう。そこで、光秀殿の勧めを受け、米田城の
「それがよろしかろうと存じます。ここは、やはり平地ゆえ、いくら土塁を高く、
庄左衛門も光秀と同じように、肥田玄蕃という人物は信頼できるという。庄左衛門も玄蕃について何か知っているようだ。利三は、新吾もいる手前、庄左衛門も話しにくかろうと思い、玄蕃について訊くのをやめた。
庄左衛門は、新吾も利三と共に行くことを報せるため、米田城へ
「世話になった。これは、少しだが。」
利三は、
「これは、受け取れません。利三殿の
「いや、日頃世話になったのは当然、昨晩は刺客まで来て迷惑をかけたからな。」
ちらっと新吾を見ると、新吾はうつむいて苦笑している。利三は、無理矢理、庄左衛門の手にそれらの金を握らせて、腕をとり、懐へねじ込んだ。
「さあ、行こうか。ああ、あと一つ礼をしなくてはならん。」
「誰にです?」
新吾が尋ねる。
「昨晩襲われたとき、米田城にいた庄左衛門殿のところへ急を報せてくれた小者だ。庄左衛門殿、その小者の名は?」
「
庄左衛門の話によると、甚介の家は、
「呼んでくださらんか。礼を言いたい。」
「小者にまで、そんなお気を遣うことはありません。利三殿。」
「いや、刺客が迫る中、その動きをいち早く察知し、米田城にあれほどの短時間で急を報せた。なまなかにできることではない。並の小者、いや並の武士でもできまい。一目見たい。」
庄左衛門は、家臣を呼んで、甚介を呼ばせた。甚介が濡れ縁の下に平伏した。地に額をこすりつけるほど低い姿勢である。
「甚介。昨夜の礼を言いたいのだ。そんな格好では、顔も見えず、ろくに話もできん。」
利三は、濡れ縁に座り、甚介の肩に手を掛けた。利三は、甚介の肩が異様に盛り上がっているのを感じた。これは、相当の遣い手かもしれないと思った。
甚介が
そして、この男は、今朝、新吾を庄左衛門の命で
利三は、
「甚介。昨晩は、お前のおかげもあって命を救われた。」
と、頭を下げた。
「もったいなきお言葉でございます。」
「しかし、なぜ、刺客の動きに気づき、あれほどの速さで米田城へ急を知らせることができた?」
「我ら小者は、離れ
「驚くほどの速さで米田城まで行けたのは?」
「私は、日頃からこの館とこの辺りの城とをつなぐ道の間道を調べています。米田のお城までは、その間道を通りました。」
16歳とは思えないほど、はっきりと答える。利三は、この小者を手もとに置きたいという衝動に駆られた。機転が利くだけではない、非常のときのために何をしておけばよいかという最善策を用意するという心構えもできている。
庄左衛門に甚介をほしいと言おうとふり向いたが、言い出せなかった。三年も世話になった上に小者までほしいと言うのは、厚かましく感じられた。
だが、庄左衛門は、そんな利三の表情から察したようだ。
「利三殿、この甚介、利三殿のもとで
庄左衛門も、甚介の才に気づいていたのだ。
「甚介、どうじゃ。利三殿のもとで、その才を生かしては。」
「私のような者が、斎藤様のもとで働かせていただけること、身に余ることでございます。よろこんでお受け致します。」
「かたじけない、庄左衛門殿。甚介、よろしく頼むぞ。新吾、甚介に負けぬよう、お主も励めよ。」
土井庄左衛門の館をあとにした利三は、新吾、甚介と共に米田城へ向かった。遠くに見える米田山は新緑に包まれている。利三は、この川辺郷へ来てから見た米田山の新緑の中で、今年のものが一番美しいと感じた。
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