第19話 対話

「まずは、一杯。」


「お受けします。」


利三は、盃を受けた。


父・利賢は、挨拶が終わると老齢のためもあるのだろう。疲れた旨を稲葉良通に告げ、別の間に下がっていた。


ここは稲葉山城の重臣の間で、稲葉良通に用意された部屋だった。決して大きくはない部屋だから、燭台が四隅に置かれているだけで、充分明るい。部屋には、利三と良通だけだ。


利三は、良通からの酒を受け、義父となるこの男に注ぎ返した。お互いに目の高さまで盃を上げ、目礼すると一気に飲み干した。


良通は、利三から目を離さない。利三も良通から目をそらさずにいたが、酒の味もよくわからないほど奇妙な感じがした。


「お主とこのような間柄になるとはな。まあ、わしが望んだことだが。」

良通が利三の表情をうかがうように話し始めた。

「戦国の習いとはいえ、あの晩は、手痛い目にあったわ。」

良通は、左腕をちょっとさすりながら見つめている。


「義父上…とお呼びした方がよいですね。あっぱれな気迫と剣技、今でも思い起こすときがあります。」

利三は、いま、あの夜、剣を交えた相手が今、目の前にいて、その男と酒を交わしていることがすこぶる奇妙に感じられた。


「あの晩、亡き殿・義龍様に命ぜられてお主を亡き者にしようとした。されど、かなわなかった。お主の剣名はこの美濃で高いことは聴いておったが、あれほどとはな。」


「しかし、義父上に斬られかけました。あの種子島に助けられた。」


「あの種子島つかいの者は何者だ?」


「それは…申せません。」利三は口ごもった。光秀の名前を出しては彼に危害が及ぶかもしれない。


「名を出してはならぬとお主が考えているのは、わかっておる。だが、わしがその名を知ったとて、その者をつけ狙うと思うか?」


利三は、静かに目線を上げ、良通を見つめた。良通の眼力強い眼は、利三の眼をそらさない。この男は武人。光秀をつけ狙うような真似はすまい。また、ここで光秀の名を出しておいた方が、自分たちが目論む織田家の美濃乗っ取りに役立つかもしれない。


「明智十兵衛光秀です。」


「明智…。可児郡明智荘の明智か。」

良通も明智一族の悲劇についてもちろん知っていた。

「明智は滅ぼすべきではなく、なんとしても取り込むべき家だった。それを怒りにとらわれた先代・義龍さまは愚策に走ってしまった。」

明智と聞いて、合点がいったようだ。良通は、明智に鉄砲の名手がいて、あの明智討伐の時、斎藤方の多くの将兵がひとりの鉄砲撃ちによって死傷させられたことを語った。良通は討伐には参陣していなかったが、そのことは討伐軍の稲葉山城帰還後の語り草になっていたそうだ。


良通は腕をさすりながら、納得した顔で話した。


「その明智十兵衛が、なぜお主を助けたのだ?」


「明智殿がたまたま寄寓していたところへ、義父上たちの夜討ちを知らせた者があり、断りきれずに参ったからです。」


「たまたま…か。わしの腕もたまたま撃たれたのか。ははは。」良通は顔の皺を大きく波打たせながら笑った。


利三もそれに笑顔で応えながら、過去に拘泥しない良通という男の一種の爽快さを感じた。また、この男をこちら側に引き込めれば、織田家の美濃乗っ取りは大きく前進すると思った。

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