第6話 信長
「道三公のお志、求めていた力、よく分かりました。しかし、道三公はお隠れになりました。光秀殿は、これからどうなさるのです?」
利三が問うたことで、二人の間の沈黙は破れた。
「道三公の目指された力を得、民を安寧に導く世をつくりたい。美濃だけではない。この
光秀は、自嘲を含めた苦笑いをしてみせた。
「ですが、三十過ぎにして、そんな途方もないことを大まじめに目指している光秀殿がおれは好きだな。もちろん大名でもなければ、どこかの大名家に籍を置く家臣でもない。あるのは、その優れた頭脳と射撃の腕ぐらいですかね。」
「言うてくれるではないか、利三。」
光秀は、苦笑いの表情から一転して高笑いを始めた。
「・・・ですが、あなたほどの人が大言壮語して
利三のするどい問いに光秀は高笑いをやめ、眼を丸くしたが、やや間をおいて口を開いた。
「さすがだな。先ほどからお主と語りながら、ただならぬ者とみていたが、やはり深いところまで見ているな。相手がお主だから話そう。おれは、大名でもなければ、下剋上をしてまで大名になるつもりもない。だから、道三公の目指された世のために、かつて自分が道三公をお支えしたように、道三公に代わりうる者の支柱として世の民のために尽くしたいのだ。」
「道三公ほどのお人に代わりうる者など、そうそういるものでしょうか?いるとしたらどこに?」
「尾張だ。尾張の織田信長。」
光秀の眼が一瞬光ったような気がした。
「存じています。
利三は、信長について乏しい情報量ながら知っていることを話した。
だが、利三は思う。
(確かに最近の信長の動きは活発だ。だからと言って、道三公の目指された世を創るために支えると決めるのは、尚早ではないか。)
利三の
「確かに信長は、いまだ尾張の領主に過ぎん。甲斐・信濃の武田や関東の北条、中国の毛利などと比べれば、はるかに小さい。だが、あの男の考えていること、重きを置いていることは、道三公に非常に近い。」
光秀は、信長が、道三の採用した三間槍を実戦に導入していること、そして最先端の兵器である鉄砲(火縄銃、種子島)の軍備を進めていること、拠点である清洲城下(現:愛知県清須市)を道三が繁栄させた井ノ口の城下(現:岐阜市)のようにするため、積極的に
「確かに道三公のされたことを尾張でやっているようですな。」
利三は、光秀が信長の姿に在りし日の道三を見ていることをおぼろげながら理解できてきた。
「まだある。信長は、道三公に二度認められている。一つは、
「その頃、おれは、
しかし、会見の席に現れた信長の姿に道三、居並ぶ家臣は驚いた。
光秀は続ける。
「もう一つは、道三公は長良川の戦で亡くなられる直前に信長に書状を送られた。」
「書状を?」
利三は、このことは全く知らなかった。
光秀は、少し声をひそめた。
「信長に美濃を譲るというご遺言状だ。」
「・・・! 道三公は、子の義龍ではなく、婿の信長に美濃を譲るという意志をもたれていたのですか!」
利三は、つい声を大きくしてしまった。光秀に
「・・・失礼致しました。」
「信長は、長良川の戦のとき、道三公を救わんがため、自ら兵を率い、尾張と美濃の国境まで行ったが、間に合わなかった。ここで救うことができていれば、道三公と共に義龍を討てたかもしれず、美濃を手中に収め得ただろう。」
「この乱世では、大義というものがどこまで通用するか分かりませんが、その遺言状がある限り、大義は信長にあり、義龍にはないことになります。とにかく、道三公は、そこまで信長を買っていたのですな。」
利三は、信長の顔を見たことはないが、どのような男か一度遠目からでもよいので、見たい想いに駆られた。
「そう。そこまで道三公は、信長を認めていた。まるでご自分の生き写し、意志を継ぐ者としてな。」
利三は、光秀の表情に、かすかに悔しさが
「まだまだあの男を知る必要はあるが、おれは、信長こそ道三公の目指した世の中を実現できる男かもしれないと思っている。信長を支えることが、おれの使命だと言える。」
光秀は、信長への嫉妬を心から
「分かりました。道三公が信長に託そうとされたものも。信長という男の思考や感覚が道三公に似ていることも。しかし
利三の問いに光秀は少し間をおいて言った。
「それは、明日話す。話すにおいて、お主に引き合わせたい者がいる。
「光秀殿が今、
「来てくれ。玄蕃殿には、おれから伝えておく。ああ、それから、この土井館はお主の
光秀は、笑顔で利三に勧めた。
「肥田殿は、信頼に足る方ですか?なにゆえ安全です?」
「明日、玄蕃殿と話してみれば分かるさ。安全だ。おれが保証してもよい。」
「保証うんぬんは、肥田殿がおっしゃるべきことですよ。」
一瞬の間があった後、二人は高らかに笑い出した。
月は、西の空に傾きかけている。笑いながら、利三は、今夜のできごとや光秀との邂逅が、自分の人生において非常に重要な意味をもつものになるという予感がしていた。
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