第5話 道三
先ほどまでの
「道三公こそ、武と和と富という世を治めるために必要な力を併せもつために
光秀は、往事を懐かしむように月を見上げながら言った。
「おれは、道三公がこの美濃の国主であった頃は、奉公衆として
利三の美濃斎藤家は将軍に
が、現実は違った。利三が京で感じた将軍という存在の惨めさは、想像を絶していた。京の行政権は、
今となっては、悔いるべき過去だと思うが、この期間、戦の場数を踏み、戦のかけひきを学べたのは、よかったのかもしれない。三好家は京を中心に畿内を掌握せんと、敵対勢力とあちこちで戦をしていた。利三は、がむしゃらに戦場を駆けた。奉公衆としては、戦の思い出しかない。ただ、美濃の様子は、いつも気にかけていた。
美濃では利三が生まれるより前にすでに
利三の三好家を介しての将軍への奉公中、畿内に流れてくる道三の評判は非常に悪かった。畿内では、
「美濃という、鳥の卵を呑み込んだ
利三は、光秀がどう答えるのか気になり、光秀にとっては旧主である道三の悪評について遠慮することなく言った。
「それは、道三公の不運だ。長井家に取り入り、長弘殿が美濃の実権を握ったところを見計らって殺したのは、父の新左衛門尉殿だ。道三公の代で美濃の乗っ取りが済んだので、道三公お一人で乗っ取りをやり、主筋殺しもその過程で道三公が行ったように受け取られた。」
「では、守護の土岐殿を放逐したことは?これは、道三公ご本人がされたことです。」
「あれは、土岐殿をあのまま美濃に置いておいては、尾張の織田を何度でも引き入れる。そうなっては、美濃はますます戦で荒れるだけだ。道三公は、それまで朝倉や織田にたびたび攻め入れられ、疲弊する美濃の民のために、守護を追い出した者としての悪名を負っても、苛烈な手段をとらねばならなかった。」
「人の噂というものは、よい話より悪い話の方が伝聞は遥かに速く、永らく残る。遠く離れた摂津では、道三公のその想いまでは聞こえて参りませんでした。」
「道三公が国主になられるまで、守護の土岐殿は、内輪の家督争いが絶えなかった。一方が美濃の武士を集め、一方は朝倉に頼り、争う。こんな戦を何度も美濃は経験した。その度に美濃の民は田畑を荒らされ、
「・・・。」
利三は、酒を勢いよくあおった。これまで道三に抱いていた認識を改めなければならない。道三は、美濃の「和」を生み出すため、旧弊にしがみつき、争いをやめぬ
その後も、光秀は、道三が美濃にもたらした「武」の側面を説いた。軍備として、
さらに、「富」の側面についても光秀は語る。井ノ口(現:岐阜市)での「座」の特権を廃し、営業税を格安にしたことで、商圏を開拓したい
光秀は話し終わると、道三ありし日の統率のとれた斎藤軍の威容や井ノ口の活気などを思い出しているのか、しばらく眼をつむっていた。静寂が二人の間に、しばし流れた。
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