第3話 邂逅

 その瞬間、利三の耳をつんざくような轟音ごうおんが聞こえた。唐竹からたけを火にくべ、破裂させたときの音に近い。


 利三は、眼を開いた。


 猛獣のごとき勢いで跳躍していた年嵩の刺客は、宙で一瞬動きが止まったようだ。そして、利三めがけて振りおろそうとしていた太刀たちは利三のたいの左へそれていった。刺客は利三の上へ折り重なって、2人ともその場に倒れこんだ。何が起こったか分からない。ただ刺客の息づかいが大変荒くなっているのは分かる。


 そのとき雷光があたりを包んだ。この土井庄左衛門の居館の近くに落ちたようだ。刺客の顔がはっきりと見えた。その顔は苦痛にゆがみ、年季の入ったしわが浮き彫りのようにありありと映し出された。そして、その左腕は血に染まっていた。


 なおも刺客は、動かせる右腕で脇差わきざしを抜き取り、利三の胸めがけて刺し貫こうと振り上げた。利三は、めいっぱいの力を足の裏に込め、刺客の鳩尾みぞおちに当て、蹴倒した。のけぞった刺客は、濡れ縁の下へ転げ落ちた。


 利三は身を起こし、先ほどたおした若い刺客の胸から太刀を引き抜いて駆け寄ろうとしたが、身体からだが十分に言うことを聞かない。先ほどまでの争闘の疲労がどっと出たのだ。


(くそっ。ここで仕留めねば。)


 よろめきながらも二、三歩進んだとき、戌亥いぬいの方角(北西)の塀の方から前庭を駆けてくる三人の武士が見えた。


「利三殿!」


 庄左衛門の声。そして、その家臣だ。三人とも抜刀して駆けてくる。それを見た刺客は、身体を起こすと無言で駆け出した。とりの方角(西)の塀際へいぎわの植え込みに足をかけ、乗り越えて駆け去った。かなりの出血をしているはずだ。それでも、身のこなしはあざやかだった。義龍よしたつは相当の遣い手を送り込んできたのだ。庄左衛門の家臣がそれを追おうとした。


「追うな。追ったところで捕まらん。それよりも、こやつを縛り上げよ。」


 庄左衛門が家臣を制止した。庄左衛門もなかなかの遣い手だ。3 蟄居ちっきょしている間に稽古もしたことがある。利三より二回りも年上の50がらみの男だが、剣の腕には光るものがあった。若い頃はだいぶん腕が立ったのだろう。だから、あの刺客の軽捷けいしょうさを見て、家臣ども、そして庄左衛門自身でも追いつけないことが分かったのだろう。


「利三殿、ご無事で。さすがの腕ですな。よくぞ斬り抜けられた。」


「いや。正直申して危うかった。庄左しょうざ殿が来られなかったら、どうなったか分からぬ。」


「申し訳ござりませなんだ。小者が急を知らせに来なければ、気づかぬままでござった。」


 庄左衛門は、今晩、米田山よねだやまにある米田城の城主・肥田ひだ玄蕃允げんばのじょう忠政ただまさのもとに流寓りゅうぐうしている旧知の男に会うために、その山麓の肥田家の居館に出向いていたのだ。


「その小者にも後で礼をします。庄左殿だけでなく、小者にも救われたな。」


 利三は、庄左衛門の安堵した顔に笑顔で応えた。


 その後、濡れ縁の下に腰を抜かして座り込んでいる男に眼を落とした。先ほど庄左衛門が言った「こやつ」だ。手燭てしょくを持っていた一番の年若の刺客。利三は、他の刺客との争闘に入った後は、この男のことはすっかり忘れていた。やはり、この男は、まだ震えていた。歯の根が合わず、奥歯がかちかちと音を立てている。股間のあたりが濡れている。


 その男は、庄左衛門の家臣に縄をかけられ、縛り上げられている。何も抵抗することなく、一言も発しない。もちろん自裁じさいする気配もない。


「我が小さき居館には牢がござりませぬ。うまやにでも入れておきまする。もちろん見張りの者はつけますが、かような臆病な男は逃げることもしませんでしょうな。」


「・・ああ、そうしてください。」


 利三は、修羅場を越えた後でもあり、疲労感に包まれていたし、こんな軟弱な男に関心はなかった。利三は武門の家に生まれた自分を誇りに思っている。同じ武士として、こういう男がいることが恥ずかしい。この場で命のやりとりをし、死んでいった3人の刺客。大けがを負いながらも、自分を仕留めようとすさまじい殺気と執念で迫ったあの年嵩の刺客。余人よにん特に武士以外の者が聞いたら、奇異に感じるかもしれないが、自分の命を狙っていた彼らにこそ敬意を払いたい気分だ。


 年若の刺客は、厩へ引き立てられていった。部屋の中では、すでに小者や中間ちゅうげんたちが倒された刺客の死体を運んでいく作業をしている。


 利三は、もう休みたい気分だったが、先ほどから気になることを尋ねなければゆっくり休めない。


「庄左殿。おれがあの逃げた刺客に襲われたときに聞こえた音。あれは種子島たねがしま(※)だ。それにも、おれは救われた。あれを撃ったのは?」(※ 火縄銃)


 庄左衛門が戌亥の方角の塀をふり向いた。利三がその視線の先を追うと、塀際のかしの木に背をもたせかけ、竹筒を口に当てている男がいた。樫の木には、種子島が立てかけてある。


「あそこから撃ったのか。20けん(※)はあるぞ。」(※ 約36メートル)

 利三は、心から驚嘆した。


「射撃の腕、鬼神きじんのごとき男です。」


「その鬼神、仕事が終わればその場で酒をむか。まさに豪傑だな。」


「いえ。酒は、からっきし呑めませぬ。中身は水でございましょう。」


 利三は、樫の木の根方ねかたで水を呑むその男に、おかしみと共に、これまで出くわしたことのない型の人間の「味」というものを感じた。


「名は?」


「明智十兵衛光秀。」


 種子島を片手に立ち上がった光秀が、こちらへ歩んでくる。

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