第2話 お乳

 おじいさんは檎太郎を家に連れて帰りました。

 でも、ここで困ったことが起きました。

 檎太郎はいつまでも泣いています。どうやらお腹がすいているようなのですが、おじいさんではお乳をあげられません。



   🍎



「やれ、困ったのう。赤子の世話なんぞしたことがないから、どうしたものか……」

 絵に描いたような茅葺屋根の家の中、おじいさんが俺の前でおたおた歩き回っている。

 俺は寝ころんだまま。体が赤ん坊だからどうしようもない。止めようとしても、空腹に耐えかねて泣いてしまうのだ。

 考えてみれば、この時代(って、いまがいつ頃なのかよくわからないけど、とにかく「むかしむかし」らしい)に粉ミルクはないし、ましてやコンビニやスーパーに出かけて買ってくるってわけにもいかない。

(ってのんびり考えてる場合じゃない、ほんとに腹が減って死ぬっ!)

 赤ん坊の体では何もできない。はいはいぐらいはできるかと思ったけど、自分の体重も支えられないのだ。


 俺が生まれてすぐに命の危機に直面しているとき、ふいに入り口に人影が現れた。

「なんじゃ、さっきから。ぴーぴーうるさいと思ったら、どこかから赤ん坊なんか拾ってきたんかえ」

 小柄なおばあさんだ。髪は白いけど、背筋はしゃんと伸びている。少しきつめの顔立ちで、いらだっている様子だ。俺の泣き声が癪に触ったんだろう。


「赤ん坊は泣くものじゃ」

 おじいさんは、困ったように腕を組んでいる。

「泣かんようにするのが親の仕事じゃろ」

「そうは言っても、わしはけっきょく子宝には恵まれんかったから、どうすりゃええかわからんのじゃ」

 おじいさんはうろたえるばかり。その様子を見て、ますますおばあさんはいらだつらしい。


「ええい、ちょっと待っとれ!」

 と、おばあさんは家を駆けだしていった。

「なんじゃ、せっかちなやつじゃなあ」

 おじいさんはのんびりとこぼしながら、包丁を取り出してサクサクと何かを切り分けている。


「さすがに歯がないとリンゴは食えんじゃろうし、どうしたもんかの……」

 どうやら、俺が入っていたリンゴを食べているらしい。確かに大きいリンゴだから捨てるのは勿体ないけど、赤ん坊が出てきても構わず食べるあたりはたくましいというか、なんというか。

 いや、感心している場合じゃない。さっきから腹が減ってだんだん力が抜け、頭がぼうっとしてきて……


「ほれ、こっちじゃ!」

 その時、おばあさんが戻ってきた。何やら、若い女性の手を引いている。頭に白い布を巻いた、さっぱりした雰囲気のひとだ。

「おや、まあ。ほんとに赤ん坊がいるわ」

「じいちゃんが産んだん?」

 その女性は、さらに小さい女の子を連れている。小さいと言っても、もちろん今の俺よりは大きいのだけど。7、8歳というところか。

「おふじさん、いらっしゃい。あかねちゃんも」

 おじいさんが二人に挨拶を送る。大人の方がふじ、子供のほうがあかねという名前らしい。


「実はこの子をリンゴの中から取り上げたんじゃが、わしは男やもめ、赤ん坊の世話などとんとわからんのじゃ」

「たわけ。母親がおらんときは、村のもんから乳を分けてもらうのが当たり前じゃ」

 のんびりした様子のおばあさんは、やけにトゲトゲしい態度だ。どうも、おばあさんのほうが一方的に嫌ってるみたいに見える。

 その割に、さっきから世話を焼いている気がするけど。


「まあ。ほんと。お腹を空かせてかわいそう……」

 と、ふじさんが俺を抱き上げる。

 の時気づいた。ふじさんの胸は、かなり大きい。俺の頭より大きいものがふたつ並んで、どーんと張り出している。小袖の上からでもたゆんと弾むのがわかるぐらいだから、相当だ。

 ……ごくり。このおっぱいからミルクを飲むなんて、そんなレベルの高いプレイをいきなり経験していいのか!?

 あ、赤ん坊だから当たり前か。


「かーちゃん、おっぱい出るん?」

 ふじさんの袖をひっぱりながら、女の子……あかねちゃんが小首をかしげる。素朴だけど、ふじさんに似てかわいらしい顔立ちだ。将来は美人になるだろう。

「もうだいぶ前に止まってしまったわねえ」

 困り顔のふじさん。そうか、おっぱいは吸えないか。残念……って、残念どころじゃない。せっかく転生したのに、このままでは飢え死にだ!


「あかねちゃんも大きくなったからのう。どれ、リンゴを食べるかの?」

「食べる!」

 おじいさんがのんきに差し出したリンゴをひとかけ、あかねちゃんが嬉しそうに受け取った。

「はい。かーちゃん、どうぞ」

「はいはい、ありがとねえ」

 俺を抱いていて両手がふさがっているふじさんへ、あかねちゃんがりんごを差し出す。あーんと口を開けて、さくりとかじった。


 自分が生まれてきたリンゴだというのに、妙にうまそうだ。つやっぽくてみずみずしく、甘酸っぱいにおいが漂ってくる。

「ほれ、お前も食え」

「ふ、ふん。あんたがどうしてもというなら、食べてやるわい」

 おじいさんはおばあさんにもリンゴを勧める。なぜか妙な言い訳をしながら受け取る様子を見るに、やっぱり昔、何かあったんだろうか?


「おいしいねえ」

「そうねえ」

 あかねちゃんとふじさんが、笑みを交わす。

 和気あいあい、という言葉がぴったりだ。このままテレビCMに採用できそうなぐらい。うう、そんなにうまいなら、俺にも分けてほしい。


「しかし困ったのう。他に赤ん坊がいる家があれば……」

「たわけ、この辺じゃあ、あかねちゃんが一番小さい子じゃ。あのいくさのせいで、若い男はいなくなってしもうたからな」

 おばあさんは、しゃくしゃくとりんごを口にしていた。

「そうか。そうじゃったのう……」


 と、場が暗い雰囲気に覆われたとき。

「あら? あららら?」

 不意に、ふじさんが声を上げた。

「なんじゃ、どうした?」

「きゅ、急におっぱいが張ってきて……どうしてかしら」

「はあー。きっと山の神さんのお力じゃ。ありがたや、ありがたや」

「たわけ! 女の胸を拝むな!」


「んんっ……!」

 ふじさんが体を揺すると、俺の目の前で大きな乳房がたぷんと揺れる。俺は思わず体ごとその胸に飛びついた。

 ……いやらしい目的ではない、こっちは死活問題なんだ! 本当だ!

「おお、よしよし。すぐにあげますからね」

 俺をあやしながら、ふじさんが小袖の襟をつかむ。少しずつ襟元が開かれ、谷間が覗き……


「あー、じーちゃん、かーちゃんのおっぱい見ようとしてるー」

「い、いやいや。わしはじゃな。この子のことを思って……」

「たわけ! 男は出て行かんか!」

 と、おばあさんがおじいさんを蹴りだす。

「わしの家じゃというのに……」

 しぶしぶながらも、おじいさんが外に出ていくのを確かめ。

 今度こそふじさんは襟を引き、その胸を、俺の目の前に……



   🍎



 こうして、檎太郎はお乳をわけてもらいました。



   🍎



「……けぷ」

「よしよし。たくさん飲んだわねえ」

 俺の背中をとんとん叩きながら、ふじさんが小袖の襟元を直す。

 至福の時間だった。

 もちろん、この世界に転生して初めてものを口にしたのだからその喜びのことだ。断じてやましい意味はない。


「かーちゃん、この子大きくなってるよ」

「赤ん坊がそんなわけないじゃろ」

「あら、でも、ほんと……さっきより、大きくなってるわ」

 ふじさんが俺の体を揺する。言われてみれば、さっきは生まれたての新生児だったはずの俺の体は、一回り大きくなっていた。


「あれ、まあ……不思議なこともあるもんじゃのう」

 入り口から覗き込んだおじいさんが、あっけにとられている。

「誰が入ってきていいと言ったんじゃ!」

 おばあさんは相変わらずの様子だが、ふじさんとあかねちゃんは、まじまじと俺の体を見下ろしていた。

(そういや、昔話だとよくあるパターンだよな。「すくすくと育ちました」ってやつ?)


 かぐや姫なんて、三か月ぐらいで大人になったんだっけ。桃太郎も、同じように大きくなったらしいし。

 かそけしの君は俺のことを「昔話の主人公」って言ってたけど、俺も同じように成長するのかもしれない。


「そうだ!」

 ……と、俺が考え込んでいたとき、あかねちゃんが声をあげた。

「この子、あたしの弟にする。ねえかーちゃん、いいでしょ?」

「そうねえ。しばらくはお乳が必要だろうし、うちで預かってもいいかしら?」

「おお、おお、そうじゃな。すまんが、頼めるかのう」

「構いませんよ。そのほうが、うちもにぎやかになりますから」


「やったあ! ねえ、じーちゃん。この子、名前はなんていうの?」

 あかねちゃんが俺の体を抱き上げる。俺の顔を覗き込んで、にかっと笑った。前歯が一本生え変わっている途中らしい。

「檎太郎じゃ」

「あたしはあかね。よろしくね、きんちゃん!」

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