第4話 おかゆ

 土壁に小さく開けられた窓から、朝の日差しが差し込んでいた。

「うー……」

 薄暗い家の中を、陽光がうっすらと照らす。

 俺はござの上で、目をこすった。


「ふわ……あ、っ!? ど、どこだ、ここ!?」

 見慣れたの白く清潔な壁ではなく、土を塗り固めて作った壁。

 どことなく温かい空気に包まれる感触。春の気配だ。

 その空気には、どことなく土の匂いがする。これも、俺の感触にほとんど記憶がない。

「きんちゃん……?」

 もぞり、と、俺の隣で誰かが体を起こした。小さな女の子……に見えるのに、俺よりもずっと大きい。


「あ、え、あ、あ……」

 思わず、後ずさり。どうして? 何が?

「怖い夢を見たん?」

 女の子は逃げようとする俺の腕をつかむ。振りほどこうとするけど、力は相手の方が強くて、俺はあっさり抱き寄せられてしまった。


「ほら、いいこ、いいこ」

 女の子が俺の頭を抱えて、ゆっくりと撫でてくれる。

(あ……そ、そういえば……)

 撫でられているうちに、その掌のあたたかさで気持ちと頭が落ち着いてくるのを感じる。

 ようやく、自分の状況を思い出せるようになってきた。


「あ……あかね……たん」

 俺の喉から、甲高い声が漏れる。舌がもつれるようなしゃべりにくさ。

「きんちゃん、すごい! もうしゃべれるようになったの?」

 朝日よりも明るいぐらいに目を輝かせるあかねちゃん。

「う、うん……」

 昨日みたより、あかねちゃんの体は小さくなったような気がする。ということは、俺の体が大きくなってるってことだ。


 しゃべれるってことは、3歳ぐらいの体だろうか。

 子供の発達段階には詳しくないけど、これなら歩くことくらいはできそうだ。

 昨日一日赤ん坊として過ごして、恐ろしく不自由な経験をしたのに比べれば、今はだいぶ体が動かせるようになっている。

 昨日よりも、周囲の光景がよくわかる。感覚器官も発達が進んでるんだろう。

 改めてあかねちゃんを見てみる。たぶん、歳は10歳ぐらいだろうか? くりくりした目がかわいらしい。


 そうだ、せっかく話せるようになったんだから、ちゃんと彼女とコミュニケーションを取らないと。

「あ……」

「うん、どうしたの?」

 楽しそうに俺を見つめてくるあかねちゃんの裾をつかむ。

「あかねたん、ありあと」

 飢えて死んでしまいそうだった俺が生きているのも、ふじさんとあかねちゃんのおかげだ。だから、これだけは伝えたかった。


「うん。どういたしまして」

 歯が一本生え替わる途中の口で笑ってみせてから、首をかしげる。

「でも、何が?」

「え……と」

 あかねちゃんにとっては、俺が何を感謝しているのかわからないのだろう。

 頭で考えていることを言葉にしようとすると、うまくまとまらない。本当は、もっと伝えたい事があるのに。

「お……おっぱい」

 って、声に出せたのはそれだけだった。


「あははっ。おっぱいはかーちゃんのだよ」

 からからと笑うあかねちゃん。

「かーちゃんは、おしごとだから。あたしとおるすばん。きんちゃんのお世話が、あたしのおしごと」

 仕事があるのがよほど嬉しいらしい。自慢するみたいにあかねちゃんは胸を張っている。


「シロも一緒だよ。見て、シロ、今日は元気なの」

 あかねちゃんが土間を指さす。つられて視線を向けると、そこにシロがしっかりと鎮座している。

 今度は、きっちり犬の形に見える。ぴんと耳を立たせて、太い前足を床についている。毛は土にまみれているが、黒々とした目には瑪瑙のような輝きがある。

 その瞳が俺の方に向けられて、太い尻尾がぱたりと揺れる。


「おはようございます、檎太郎さん」

「へぇっ!?」

 よく通るバリトンボイス。明らかに、目の前の大型犬が発した物だ。

「だいじょうぶ、シロは優しいから噛まないよ」

「いましゃべって……」

「?」

 きょとん、と、丸くて大きな目を瞬かせるあかねちゃん。


「もしかして、私がしゃべってることがわかるんですか?」

 シロが嬉しそうに身を乗り出した。

「う……うん」

 俺はこくりと頷く。

「きんちゃん、シロとお話ししてるの?」

 あかねちゃんは、何が起きてるのかよくわかってないみたいだ。たぶん、シロの声も「ワンワン」という鳴き声にしか聞こえないんだろう。


「昨日、あの果物を食べてから体に力がみなぎってきて。10年も若返ったみたいな気分なんです。あなたのリンゴだったんですよね?」

「うん」

 もうちょっと気の利いた言葉を返してあげたいけど、頷くのが精一杯だ。大人の体よりもずっと小さいし、筋力も弱いから頭が重くて仕方ない。

「きっとそのおかげです。あなたと私に縁のようなものができて、心が通じるようになったんです」

 尻尾をぶんぶん振って、シロはその場でぐるりと回った。今の俺にとっては、体重40キロ近くありそうな大型犬の動きは、それだけでも大迫力だ。


「あらあら、騒がしいわね」

 入り口から、白い布で髪をまとめたふじさんがやってきた。穏やかな表情は、なんだかすっごく母親って感じだ。うまく説明できないけど、とにかく俺はそう感じた。

「きんちゃんが、シロとお話してたんだよ」

「まあ、すごいわね。檎太郎ちゃん、あーん」

 手を拭いながら、ふじさんは俺の顔をのぞき込んでくる。


「あ、あーん」

なんだかよくわからないけど、口を大きく開けてみる。

「もうちゃんと歯が生えてるわね。一日しか経ってないのに……本当に、神様の子なのね」

「すごいねえ、きんちゃん」

 よしよし、と俺の頭をあかねちゃんが撫でる。

 うう、むずがゆい。心の中では、あかねちゃんよりも俺の方が年上だったんだけど。

「これなら、おかゆを食べられそうね。待ってて、すぐに用意するから。あかね、手伝って」

「はーい!」



   🍎



 ふじさんが「おかゆ」と言っていたから、てっきりお米が出てくるのだと思ったら、違う。

 もっと味が薄くて、お米のような甘みとか、粘り気があまりない。

 歴史の教科書で読んだ事がある。ひえとか、あわのおかゆなんだろう。

 ふじさんの甘やかなミルクの味に比べると、無性に物足りない。

 でも、「はい、あーん」なんてしてもらって、食べ残すわけにもいかないだろ?


 俺はおなかが破裂しそうなくらいにおかゆを飲み込んで、しばらく伏せっていたのだけど……

「んんっ……」

 なんだか体がむずがゆくて、身じろぎする。

 すぐにおなかの苦しさが解消されたかと思うと……

「あや。きんちゃん、また大きくなっとる」

 あかねちゃんが目を丸くする。

 自分の体を見下ろすと、さっきは膝の下まであった着物が、腿くらいまでしかない。着物が縮んだんではなく、俺の体が大きくなったのだ。


「食べるたんびに大きくなるのね。嬉しいようなもったいないような、ふしぎな気持ち」

 ふじさんは複雑そうに俺を見ていた。すくすく育つのが嬉しいような、もっと成長を見守りたいような、そんな気分なのだろう。

「きんちゃんがあたしより大きくなっても、あたしのほうがおねーちゃんだからね?」

「う、うん。わかってる」

 言葉も、だいぶはっきりしゃべれるようになってきた。今の体は5,6歳くらいだろうか?


「あの、檎太郎さま」

 と、ふたりを眺めている俺に、シロがおずおずと声をかけてきた。

「な、なに?」

 振り返る俺の姿を見て、ふじさんが驚きに目を丸くする。

「ほんとにお話してるみたい」

「お話ししてるんだよ、神様の子だもん」

 なぜかあかねちゃんが自慢するみたいに鼻息を鳴らした。


「お願いがあるのですが……」

(そういえば、むかし話の動物って、普通に人間としゃべったりするよな……)

 シロの申し出を聞きながら、俺はぼんやり考えていた。

 キツネとかタヌキみたいな、ふしぎな力があるとされてきた動物だけでなく、いろんな動物がしゃべるのがメルヘンってやつだ。

 俺がむかし話の主人公だとしたら、それに近い力が宿ったのかもしれない。

 とにかく、言葉が通じるようになって喜んでいるシロを、むげにするわけにもいかない。

 俺はこころよく、その頼みを受けることにした。

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