あかねとシロ
第3話 シロ
リンゴの実から生まれた檎太郎は、まだまだ小さいので、お乳を分けてもらわなければいけません。
おじいさんだけでは檎太郎を育てられないので、近所に住む親子、ふじとあかねのおうちに預けられることになりました。
ところで、この親子のおうちには、一匹の犬が一緒に暮らしていました。
犬の名前はシロ。
大きな体で、とても勇敢な犬でした。
村の畑を、ほかの獣や、鳥たちから守っていたのです。
しかし今は年をとって、元気をなくしていました。
🍎
俺はふじさんの胸に抱かれていたから、周りの景色なんか見ている余裕はなかった。
布にくるまれた俺は、ござの上に寝かされた。いぐさのにおいもしなくなった、使い古しである。もちろん、ベビーベッドなんてしゃれたものはないようだ。
目を開けてまわりを見る。
床は板張り、壁は土壁、屋根は
今がいつの時代なのか……そもそも、「いつの時代」って表現が正しいのかわからないけど、親子ふたりで住むには立派な家のように思う。
入り口を入ってすぐは土間になっていて、
さっきまでいたおじいさんの家と比べると小ぎれいだ。きっと、ふじさんがこまめに手入れしているのだろう。
「シロ、ただいま」
板葺きの床のへりに座ったあかねちゃんが、土間のほうに声をかけた。
すると、「のそり」と、土間で茶色いかたまりが動く。
てっきり使い古しの毛布でも丸めてあったのかと思ったら、重たそうな毛並みの犬だ。
「この子は檎太郎。今日から一緒に暮らすんだ」
あかねちゃんがござを引っ張って、俺を土間にみせるように動かす。
のそりと顔を上げて、ゴワゴワになった犬が俺の方を見た。
(……で、でかい……)
その犬は、俺よりもはるかに大きい。あかねちゃんよりも。もしかしたら、体重で言えばふじさんよりもあるかもしれない。
汚れすぎてわかりにくいけど、
黒々とした瞳が、にらむように俺を見据える。
(た、食べない……よな……)
緊張で体がこわばる。自分の10倍ぐらいは大きな存在に直面して、生物的本能でおしっこがもれそうだ。
いくらなんでも、ふたりの前でそんな恥ずかしい姿を見せられない。
いや、赤ん坊なんだからいいのか!?
……俺がそんなふうに命の危機を感じている間に、シロと呼ばれていた犬は「きゅーん」と小さく鳴き、その場に伏せた。
どうやら、かなり弱っているらしい。
にらんでいるように思えたのは、あまり目がよくないせいだろう。
呼吸も弱々しく、動くのもやっと、という様子だ。
(なんか、かわいそうだな……)
同情しても仕方ないのだけど、あと一年も保ちそうにない。
俺は、前の人生では(って、こんな言い方したくないけど)犬とはあんまり縁がなかったけど、こんな姿を見せられて哀れむな、という方が無理だ。
「ほら、シロ。おじいさんがリンゴを分けてくれたよ」
あかねちゃんはシロに世話を焼きたいみたいだけど、なんだかそれも痛々しい。
女の子の小さな手で口元に差し出されたリンゴを、シロは口で受け止める。でも、すぐにこぼれてしまって、土のついた果実を、ゆっくりと食べ始める。
なんだか見ていられなくて、俺はそっと目をそらした。
「それじゃあ、あたしはきんちゃんと遊ぼうかな?」
「ダメよ、まだ遊べるほど大きくないわ」
「そっか……」
しゅんとうなだれるあかねちゃん。
俺だって、一緒に遊んであげたいのはやまやまだ。いや、俺の方が年下だから、「遊んでもらう」か? それとも、「遊んでもらってあげる」? ああ、だめだ。混乱しそうだ。
とにかく、俺の体は赤ん坊だ。
「あー、ぅー」
って、そんな声しか出せないし。仕方ないんだよ。体を起こすことも……
と、試しにひねってみたら、ころんと体の向きが変わった。息苦しくて手をつくと……
「あら、まあ!」
ふじさんの驚きの声が頭の上から聞こえる。
さっき生まれたばかりなのに、俺は手と膝をついて体を支えている。
「すごい。もうはいはいできるのね」
目を丸くするふじさん。なんてことだ、四つん這いになっただけでこんなに褒められるなんて。
「檎太郎、こっちまでおいで」
かがむふじさんの方へ、夢中で手足を動かして進んでいく。
その膝までたどりつくと、ふじさんは俺を抱き上げ、柔らかな手つきで頭の産毛を撫でてくれた。
「よしよし。いい子ね」
「きんちゃん、すごいね。すぐ大きくなるよ。そしたら、一緒に遊ぼうね」
ふたりが喜ぶ顔を見てると、こっちまでテンションが上がってくる。
最高に「ハイハイ」ってやつだ!
……うん、忘れて。
「あー、だぁー♪」
ついつい体を揺する俺の頭が、ぽふぽふとふじさんの頭にぶつかる。
「あらあら。もうおっぱいが欲しいの?」
そう言われてみれば、少し体を動かしただけなのにもうおなかがすいている気がする。
赤ん坊の体では、相当な運動量だったのかも知れない。
「ちょっと待っててね……」
ごそごそと、あかねさんが襟を広げていく。
ああ、なんてことだ。
ちょっと動いただけできれいな女性とかわいい女の子に褒められて、おねだりすればいつでもミルクをもらえるなんて。
これが天国?
そうかもしれない。
いや、きっとそうだ。
最初に聞いた謎の声が幻聴だっただけで、俺へのご褒美としてこんな幸せな時間があるに違いない。
ミルクを飲み終えて、ふじさんに背中をとんとんしてもらいながら、俺はむせび泣いていた。涙は出ていなかったけど、とにかく心の中では。
神さま、仏さま。
もしいるならだけど、少しでもこの平和な時間を長く過ごさせてください。
🍎
おなかがいっぱいになった檎太郎は、ぐっすり眠ってしまいました。
にしても、たいへん都合のいいことを考えていますね。
古今東西、昔からお話の主人公はたいへんな目に遭うものです。
日常から非日常の世界へ、いずれは自分から飛び込む決意を迫られる。それでこそ主人公。
すぐに、檎太郎もその宿命を知ることになるでしょう。
……まあ、でも。
もう少しくらい、楽しくて幸せな時間を過ごしてもいいでしょう。
恐ろしい「悪」は、いつか必ず彼の元へ現れるのですから。
もちろん、決して、私が仕組んだりはしてませんからね?
おっほん。公明正大な語り部として、少々よけいなことを話してしまいました。おはなしを元に戻しましょう。
翌朝、檎太郎が目覚めてみると、自分の体が大きくなっていることに気づきました。
そう、大きな虫に……ではなくて。
また体が大きくなっていたのです。
そして、さらに驚くべきことが起きるのです……。
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