第5話 ここ掘れわんわん
畑の中のあぜ道を歩いて行く。
昨日は赤ん坊の体だったから見る時間がなかったけど、いわゆる農村ってやつだ。
畑には植物の穂がならび、風の動きに合わせて波打っている。
(二毛作、っていうやつかな……)
季節は春の陽気だ。田植えをするのはだいたい梅雨の時期のはずだから、植えられてるのは稲ではない。たぶん、麦だろう。
梅雨に稲を植えて秋に収穫、冬の間に麦を育てて、土地を休ませない農法だ。
かそけしの君は「むかし話の時代」って言ってたけど、俺の知ってる中では、鎌倉時代や室町時代に近いみたいだ。
織田信長や徳川家康の時代よりも少し前。むかし話は多くが江戸時代頃にまとめられたって言うから、江戸時代の人々にとっての「むかし」ってことだろう。
「子供だけで村の外に出ちゃダメなんだよ?」
ぼんやり考えているときに、隣からあかねちゃんが俺の顔をのぞき込んできた。
「でも、シロが……」
と、後ろを見る。今の俺よりもずっと大きな茶色い犬が俺の歩調に合わせてゆっくりついてきている。
「ずっと動けなかったから、体を洗いたくて……」
申し訳なさそうに頭を下げながら、シロ。話せるようになったおかげか、表情まで人間みたいだ。
「村の南に、川があるんだよね?」
「はい。少し歩けば、あるはずですよ」
「シロはなんて?」
あかねちゃんは、俺がシロと話せることを疑ってないらしい。この時代のおおらかさか。それとも、子供だから純粋なのか。
「外は、あぶない?」
村の外、って言っても、柵や塀があるわけじゃないみたいだけど。
少なくとも、麦穂がたくさん並んでいるこの光景は、危険な場所のようには見えない。
「怖い人たちがいるって、かーちゃんが言ってたよ」
「そう……なんだ」
山賊、なんだろうか? 元の世界には滅多にいないから、というか生きてて一回も遭ったことがないから、なんだか実感がわかない。
でも、動物としゃべれるだけしかできない5歳児の体で、山賊に会いに行く事もないだろう。
「じゃあ……誰かに一緒に来てもらおうよ」
うん。大人の力を借りるのが子供の最大の知恵だ!
🍎
檎太郎はおじいさんのところへ行きました。
おじいさんは檎太郎が大きくなったことに仰天しましたが、「さすが神様の子じゃ」と喜びました。
おじいさんはおばあさんに先立たれてしまってから家族がいませんでしたから、檎太郎のことを本当の子供のように思っていたのです。。
そして、シロが元気になったことを教えると、とても喜んでくれました。
そして、檎太郎が「川に行きたい」と言うと、農作業を止めて一緒についてきてくれました。
🍎
川は村から少し歩いたところにあった。
小石と粘土の川底が見えるくらい、澄んだ水が流れている。
「ふだんは井戸の水で十分なんじゃが、田んぼに水を入れるときにはここから引いてくるんじゃ」
おじいさんはニコニコしながら、俺に説明してくれる。
俺と一緒にいるのが、よほど嬉しいらしい。
「さあ、シロを洗ってあげよう」
おじいさんが持ってきた手桶で、水をすくい上げる。
「シロ、こっち」
「冷たそうですね……」
「自分で言ったんじゃん、洗って欲しいって」
「そうですけど、いざとなったらためらうんです」
「はいはい、早くしようよ」
怖じ気づいているシロの、くるんと巻いた尻尾のついたお尻を押して川の中へ。
「ひゃあ……」
「じっとしておれよ」
足首が冷たい水に浸かって、思わず声が漏れてしまう。おじいさんが手桶の水をすくって、シロの土まみれの体に浴びせる。
「あああ、冷たいー!」
キャンキャンと吠えるシロの体から、ドロドロの土が流されていく。
「洗ってあげよ、きんちゃん」
あかねちゃんが水の中に飛びこみ、シロの背中の毛をわしゃわしゃとなで回す。毛の間に詰まった水がドロドロと泡立ちながら流れ落ちていく。
「う、うん」
「ほっほ、気持ちよさそうじゃな」
「冷たいですー!」
俺にしかわからない悲鳴を上げるシロの体におじいさんが手桶で水をわんさと浴びせる。
「あははっ、すごいすごい。どろどろだー」
甲高い笑い声を上げるあかねちゃん。
「冷たい冷たい、冷たいですー!」
ざばざばと水の中を逃げ回るシロ。
「ほら、逃げるな逃げるな」
おじいさんが桶の水を次々にシロに浴びせる。
「よし、待てー!」
なんだか俺まで楽しくなってきて、水を蹴立てながら追いかける。
春の日差しがさんさんと降り注いで、川の水で遊ぶ俺たちを照らしていた。
シロの毛の間にたっぷり詰まった土を洗い流すころには、すっかり太陽が真上に昇っていた。
「も、もう大丈夫です、ほら!」
ぶるるるっ!
シロが体を揺する。毛を濡らした水が弾き飛ばされて、真っ白な毛皮が露わになった。
「おおー……本当に白かったんだ」
「そうだよ。だからシロ!」
これも、りんごを食べたおかげだろうか。胸を張るように力強い体格。若々しく艶のある毛皮。堂々とした偉容だ。
「シロ、けっこうかっこいいかも」
「そうじゃとも。この村をずっと守ってきてくれたんじゃからな」
「猿やイノシシも、シロの鳴き声を聞いたら逃げてっちゃうんだから」
「そうなんだ……これからも、よろしくね」
「もちろんです。檎太郎様のためなら、どんなことだってしますよ!」
鼻息を荒くするシロ。シロが元気になったのはリンゴの力であって、俺は何もしていないんだけど。
「ふたりとも、服が濡れておるぞ。乾かした方がええ」
おじいさんが、河原に腰を下ろして大きく息を吐き出した。さすがに、老体にとってはなかなかにつらい作業だったようだ。
「そうだね。うー、冷たい。風邪ひいちゃうよー」
あかねちゃんがぶるっと震えてすぐ、帯だけで留めた服をぱっと脱ぎ捨てた。
「うわわっ!?」
いきなり、目の前に少女の裸。思わず目を丸くする俺を、ふたりと一匹がふしぎそうに見つめてくる。
「どしたん?」
日焼けした痩せぎすの体をまるっきり隠しもせず、首をかしげるあかねちゃん。
「い、いやその……」
お、落ち着けっ。十歳やそこらの子供の裸なんて、全然たいしたことないぞ!
そ、そうだ。夏になったら裸で遊び回るような時代なんだし。全然変なことじゃないぞ!
「ほら、きんちゃんも」
笑いながら、あかねちゃんが俺の服に手をかける。
「い、いいって!」
袖を押さえるけど、5歳で10歳にかなうわけがない。がば、と服が剥ぎ取られる。
「あはは。かーいーちんちん」
けらけらと笑いながら……明らかに性的なニュアンスはないけど……あかねちゃんが体を河原に横たえる。
「セクハラだぁ……」
「よくわからん言葉を使うのぉ」
泣きたい気分の俺の髪(いつの間にか、けっこう伸びている)を撫でながら、おじいさんが呟く。
俺は開き直って大の字に寝転び、太陽光に体を晒す。
水で冷えた体が暖められる。おじいさんの大きな掌が触れるのも気持ちいい。
5歳の体には、大きな犬の体を洗うのはかなりの運動だ。疲れに身を任せて、俺はうとうとと目を閉じた。
🍎
「ん……」
心地よい揺れを感じながら目を覚ます。
俺は大きな背中に背負われていた。土の匂いの背中。おじいさんだ。
「家に帰るから、もう少し寝ておれ」
「んん……」
眠気で美味く頭が働かない。とりあえず、服は着せられているみたいだ。
「わん、わん、あのっ!!」
シロが大きな体を揺すりながら何かをしきりに叫んでいる。
「こーらっ。きんちゃんが起きちゃうでしょ」
「もう起きてるよ……」
シロをしかるあかねちゃんに、ぽそりと返事。
「何か言いたいみたいだけど……」
シロがこくこくと大きく頷く。
「助けていただきましたし、体も洗っていただいたので、お礼をさせてください!」
「お礼したいって言ってるよ」
「こっち、こっちです!」
言葉が通じるのが嬉しいみたいだ。ぶんぶん尻尾を振りながら、シロが畑の方に向かっていく。
「おじいさん、シロが」
「よしきた」
俺の言いたいことをくみ取って、おじいさんはそのあとを追いかけてくれる。
やがて、シロは畑の一角で麦を踏みながら、高く吠えた。
「ここ、ここです! わん!」
「ここ……?」
呟く俺に、シロがさらに返事。
「ここ掘れ、わんわん!」
俺の頭はまだ眠気でうまく働いてくれなかったが、猛烈にイヤな予感がした。
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